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国立文楽劇場

女と女の文楽

谷崎 由依

『心中天網島』は、近松門左衛門六十八歳の作である。彼が初めて書いた世話物『曾根崎心中』から十八年後の脚本だ。 『曾根崎心中』は美しかった。お初と徳兵衛は率直に、若木がすっと伸びていくように、当たり前のように死を選び取った。二人にとっては愛も死も、混じりけのないものだった。心底まで澄み切ったみずうみのように、透徹したものだった。

だが『心中天網島』の二人、小春と治兵衛にはそうではない。小春は十九でお初と同い年、徳兵衛が二十五で治兵衛が二十八だから、そう離れてはいないのだが、あたかも近松自身の年齢と、浄瑠璃作者として経た年数が人物にも重ねられたかのように、二人はずっとたくさんの、浮き世のしがらみを背負い込んでいる。 何より違うのが、治兵衛に家庭のあることだ。妻も子もありながら、遊女の小春に惚れた治兵衛は心中を考えている。妻のおさんはそれを知り、止めるため小春に手紙を書く。すなわち夫と別れて欲しいと。おさんの意を汲んだ小春は芝居を打ち、心変わりして別の男に身請けされる振りをする。怒り、落ち込む治兵衛だが、その言葉を聞いたおさんは、小春が自殺する気だと悟る――「小春は死にやるぞや」。そして今度は、逆に小春を身請けするよう治兵衛に言う。

着物を一枚ずつ箪笥から、質入れせよと取りだして、言葉とともに積んでいく。いろどり豊かな着物の意匠とともに、一家が幸福だったころの記憶が取りだされては畳まれ、手放されていく。生活を守り支えてきた妻自身によって。そのおさんに、治兵衛は問う。小春がうちに来たら、お前はどうするのかと。 「ハテなんとせう子供の乳母か、飯炊きか、隠居なりともしませう」――そう答えるおさんもおさんだが、問う治兵衛もいかなるものなのか。無神経、と言いたいわけではない。この男の心性には、何か得体の知れないところがある。徳兵衛にはなかったもの、あるいは徳兵衛においてはさほど顕わになっていなかった何か。河庄の段で縛られた治兵衛の、揃えてこちらを向けられた草履の裏。たとえばそんな細部にも、その何かは表象されていたのではないか。

やがて訪れた父親によって、おさんは実家へ引き戻される。治兵衛は、いよいよ心中せねばならない。 だが、なぜ?

小春の気持ちを疑い、おさんのそんな振る舞いを見たあとで、なおも心中に向かうとは。きっと、もはや理屈ではない。自分が何をしているのか、たぶん誰もわかっていない。暗闇を探り進むかのようだ。そう思って、気づく。この演目はすべての場面が夜において展開している。何を守ろうとし、望み、目指してきたのか。行動してきたのだったか。わからないことに、ぎょっとする。それでも止まることはできない。さまざまなものを引き受けながら、物語は失速することなく、むしろ凄みを増して転がる。

死に場所を求めていく小春と治兵衛を見守るかのように、ずらりと並んだ大夫と三味線。が、と思うそばからもう、「悪所狂ひの身の果ては、かくなりゆくと定まりし」――醒めた語りの言葉が入る。近松はしかし、突き放してはいない。ただ、目を開けているのだ。義理のためでもない、何のためでもない、もはや死の欲動に駆りたてられているとしか思えない者らの、行く末を、曇りのない筆で捉えようとしている。「道行名残りの橋づくし」、ほのかに照らすあの人魂はない。切れぎれの橋を数えながら、ひとの心の闇路のなかを、二人たどりつく網島。そこは、ほんとうはどこだったのか。

最期のときにあって、小春が目を瞑ることはない。『曾根崎』のお初とは対照的だ。ひらいた小春の両目に映るのは、生き残されたおさんの未来ではないか。この地獄を、目をみひらいて見よ、とばかりに。死んでのちにすら彼らの許には、追いかけてくるものがあるだろう。幼い息子と娘。そして実際の事件でも、残された妻は出家し、菩提を弔って生きたという。


文楽に登場する女たちについて考える。彼女たちはたいていのとき、駄目男に振りまわされている。男を見守り、失態を埋めあわせ、許す、たおやかで強い女。この四月公演では、そんな女たちが前面に出ていた。それも対峙する女と女が、ある意味すべての演目で、描かれていたのではないだろうか。

『新版歌祭文』では、久松という男をめぐり、お染とおみつが対立する。おっとりと優雅な令嬢お染を簑助、きゃんな村娘おみつを勘十郎が遣い、師弟対決の趣もあった。『釣女』では美女と醜女が対置されていた。 『伽羅先代萩』は、若君を守る政岡と、暗殺を企む八汐の対決だった。『仮名手本忠臣蔵』では男たちの忠義が描かれたが、『伽羅先代萩』を観て、思った。女の忠義は過剰である、と。菓子の毒見をして殺された息子・千松に、「よう死んでくれた、出来した」と言う政岡も過剰ならば、いくら謀反のためとはいえ、子どもを滅多刺しにする八汐にも唖然とさせられた。

ギリシャ悲劇におけるアンチゴネーの系譜にも連なる烈女。江戸の世にはそんな女たちが生きていた。彼女らの血は現代のわたしたちにも流れている。そう思うと、震撼する。

■谷崎 由依(たにざき ゆい)
作家、翻訳家。1978年生まれ。京都大学文学部美学美術史学科卒業。2007年『舞い落ちる村』で第104回文學界新人賞受賞。訳書に、キラン・デサイ『喪失の響き』、インドラ・シンハ『アニマルズ・ピープル』、ジェニファー・イーガン『ならずものがやってくる』(ピュリッツァー賞・全米批評家協会賞受賞作)など。京都府在住。

(2013年4月25日『伽羅先代萩』『新版歌祭文』『釣女』、27日『心中天網島』観劇)