国立文楽劇場

蘭菊と五重塔

黒澤はゆま

大坂の陣の際の徳川方の足取りを追うため、熊野街道を住吉大社から北の方へ歩いたことがある。日本一高いビル、あべのハルカスに見下ろされながら、黙々と歩を進めていくと、右手に「安倍晴明神社」と書かれた幟が見えた。

あたりはハルカスとは対照的な下町である。控え目な鳥居が、町並みに似つかわしかった。

「安倍晴明神社」はその名の通り、阿倍野が出身地である安倍晴明が祭神で、境内には生誕碑もある。フィクションにもよく取り上げられる著名な陰陽師の神社にしてはさして広くもなく、誠にささやかな神社だったが、樹々が影差し、風通しもよい。熊野街道を行き来する旅人が憩うには格好の場所のようだった。

『蘆屋道満大内鑑』を見ながら、この時吹いていた涼しい風を思い出した。

晴明には、父保名が信太に住む狐と交わって生まれた子であるという伝説がある。

『蘆屋道満大内鑑』はこの伝説に典拠した文楽だが、

「なんで信太の狐なんだろう? 阿倍野と信太は結構離れているけど……」

と思って劇中の休憩時間にスマホで調べてみたら、熊野街道を通じて、阿倍野と信太はつながっていたらしい。

京の都に住まう王朝人が熊野に詣でると、阿倍野と信太を通ることになる。無数の旅人の誰かの頭のなかで、阿倍野の安倍晴明伝説と、信太の狐伝説が結びついたのだろう。

普段、考証家から、ギュウギュウに突っ込まれてる癖に現金なもので、実際に自分が行ったところとなると、チェックの目が厳しくなる。

葛の葉子別れの段では、安倍保名が住まう家が江戸時代の町屋風なのはご愛敬だが、背景の書割を見ると畠の向こうに、五重塔が描かれていた。

「間近き住吉天王寺」とうたわれているので、四天王寺の五重塔だろう。

今、安倍晴明神社から四天王寺の五重塔は見えないが、かつてはビルも立て込んでおらず、東の方に目を巡らせば、はっきり見ることが出来たに違いない。安倍晴明が生きた平安時代の景色としては、史実に近いかなと思う。

さて、信太からやってきた狐はこの五重塔を、そして阿倍野をどう見ただろうか。

高層ビルを見飽きた現在の我々は、京の東寺はじめとする、各地の五重塔に奥ゆかしさを感じる。

だが、高層ビルなんか一つもないなかで、天突く五重塔は神仏の恐るべき力の顕現であり、畏怖の対象に他ならなかった。当時、五重塔は、現在のハルカスなんか目じゃないくらいの迫力で聳え立っていたのだ。

さらに、四天王寺周辺に出来た門前町は畿内でも指折りの都市で、あの五重塔は巨大宗教都市の象徴でもある。

だから、当時の阿倍野はメガシティ郊外の下町だったわけで、保名はなかなかのシティボーイなのだ。それに対して劇中で何度か「鄙」と呼ばれていた信太生まれの葛の葉、そしてそれに化けた狐は正反対のカントリー娘ということになる。

この文楽は人間と妖怪(自然)、都会と田舎といったものの対立を軸として展開するお話なわけだ。

狐は五重塔の威容に肝を潰したに違いないが、それでも命を助けてもらった御恩返しに、保名との新しい生活に飛び込む。健気である。

一方、主人公のはずの保名は、文楽あるあるだが、ヒーローの役割を担っている割に、恋人榊の前が死ぬと気が変になって放浪の旅に出るし、狐を助けてやったまではよかったが、悪右衛門たちにボコボコにされてしまうし、あまりかっこよいところがない。

そもそも、失うと頭がおかしくなるくらい榊の前のことが好きだった癖に、瓜二つの葛の葉に声をかけてもらうとあっさり正気を取り戻したり、葛の葉姫に化けた狐とそうと気づかず結婚してしまったりと、どうも調子がよいところや迂闊なところが目立つ。

そして、これも文楽あるあるで、色男はあまり実践的な才覚はないが、やることだけはきっちりやるので、阿倍野に引っ越し早々こども(晴明)をこさえてしまう。

それから六年。劇中では描かれていないが、阿倍野での暮らしになれるための、狐の努力は生半可なものではなかったに違いない。都会の複雑な人付き合いに耐え、あまり頼りになりそうもない保名の世話もしつつ、晴明をしっかり育て上げたのだ。

だが、怪しい物売りも軽くあしらえるくらい世慣れし、人として妻として母としてようやくつきづきしくなってきたころに、本物の葛の葉姫親子があらわれ、狐の正体が知られてしまう。

「鶴の恩返し」等と同じパターンで、この場合、女の側が去らなくてはならない。

私なんかは「男の方をたたき出してやればよいのでは」と思ってしまうが、河合隼雄氏によれば、こうした悲しげに立ち去る女性たちのイメージは、日本人の深層心理に重大な影響を及ぼしているという。

隼雄氏の論理を私なりに解釈すると、自然を象徴する動物と人間が一時的に深い関係を持っても、最後は人間は人間、動物は動物の世界に落ち着く。だが、まったく元の木阿弥になたわけではなく、女を喪失した人間側にはあわれの感情が、幸せを断ち切られた女側にはうらみの感情が起こる。人間と自然、その関係性は以前より深化し、心の全体性は回復される。

理屈っぽいことを言ってしまったが、「狐を妻に持つたりと笑ふ人は笑ひもせよ。我はちっとも恥ずかしがらず」と号泣する保名や、「恋しくば尋ね来てみよ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」という一首に心動かされるとき、私たちは普段、気づかない自然や無意識の世界との絆を取り戻し、涙を流しつつ、深いところでは癒されるということになるのだろう。

「蘭菊の乱れ」、保名、晴明への情に後髪をひかれながら、狐は信太の森へと帰っていく。

背景は生駒の山並みが青くかすむなか、蘭菊が狂おしく咲き乱れている。先の五重塔と比較したら、山並みや蘭菊が象徴しているものが何かは明確だろう。

そういえば、熊野詣を、故郷を喪失した王朝人が、自然を取り戻すための里帰りの旅と評していたのを見たことがある。狐は熊野のある南を向くとしぐさがキツネになり、阿倍野がある北の方を向くと人間らしくなっていた。

この伝説は、自然に還る旅の中で生まれた、自然との新しい絆を取りもどす物語なのだ。

観劇後も、狐が哀れで仕方なく、供養というのもおかしいが、伝説の舞台である信太森神社にしばらくしてから行ってきた。信太の狐伝説など、私の祖父の代ならだれでも知っている物語のはずなのに、観劇するまで余り知らなかったことが恥ずかしかったこともある。

すると境内には楠が生い茂り、祠には狐の像が並んでいた。七五三のお祝いらしい晴れ着を着た女の子が、神社でお土産として売っているのか、小さな狐の張り子を掌に載せて笑いさざめいている。

失われそうな物語の存在を教えられるのも文楽ならば、その物語が地元ではしっかり新鮮な形で息づいていることに気づかされるのもまた文楽なのである。

参考文献:「昔話と日本人の心」(河合隼雄著、岩波書店、1982年)

 

■黒澤はゆま(くろさわはゆま)
作家。1979年生まれ。宮崎県出身。九州大学経済学部経営学科卒業。九州奥地の谷間の村で、神話と民話、怪談を子守歌に育つ。小説教室『玄月の窟』での二年の修行の後、2013年『劉邦の宦官』でデビュー。大阪府在住。

(2021年11月6日第一部『蘆屋道満大内鑑』観劇)