国立文楽劇場

女方のひとり芝居 ―令和3年錦秋公演―

森田 美芽

 錦秋公演を見てふと思った。文楽は男中心の物語で、主役も男性がほとんど。しかし今回の演目は、三部とも女性が大活躍する。そしてほとんど一人芝居のように演じる場がある。強く、優しく、一途で、潔い女性たちの美しさ。当代を代表する3人の女方遣いが、それぞれの美しさと趣向を見事に遣い、その物語世界を表現している。今回はそこに注目したい。
 まず、第一部では、『蘆屋道満大内鑑』で吉田和生さんの「女房葛の葉」。本物の葛の葉姫が現れ、保名からかまをかけられて、もうこれまで、と覚悟を決め、眠っている童子に我が身の正体を明かし、去っていくその場面。
 「恥づかしや年月包みし甲斐もなく…」と、直接語ることをはばかる、と言い訳し、「我は誠は人間」で一呼吸おいて、「ならず」から、狐としての本性を表わしていく。「死ぬる命を保名殿に助けられ、再び花咲く蘭菊の千年近き狐ぞや」で、一瞬で狐に使われる「毛繡(けぬい)」と呼ばれる衣裳に変わる。そして「夫の大事さ大切さ愚痴なる畜生三界は人間よりは百倍ぞや」と、狐でありながら人間らしい情を持つと知らせる。その優しさ、「恩はあれど怨みはなし」と、ただ、我が子が狐の子よとそしりを受けないように、案じる。生き物を殺すその癖を、自分のせいと感じて「釘貼り刺す如く何ぼう悲しかりつるに」と語るその痛ましさ、そして「名残をしやいとほしや」と離れ難く、寝ている童子を妖力で引き寄せる(ここは一瞬なのでお見逃しなく!)。
 このクドキの美しさと切なさ。狐の方がよほど人間よりも、母として、妻としての情に満ちているのだ。命を救われた恩を忘れず、保名を愛し、生まれた子どもを大切に愛おしむ。だが別れは突然やってくる。葛の葉姫の姿を借りていた狐であることが全て明らかになる。この子がどんな目に遭うか、これから、大事に守ってもらえるのか、その不安と、別れなければならない哀しみが、見る者に涙を誘う。和生さんは派手に訴えることはしないが、何と優しい母性に満ちた眼差しで、童子を見つめていることか。そして、そのまま消えていく。「恋しくば尋ね来てみよ」の歌を残して。
 舞台はここから、頼りなかった保名が追手と闘って信田の森へ向かう、となる。この続きは、「信田森二人奴の段」で、三人遣いの原点を見せるやり方と、12年前に故文雀師匠で出された「蘭菊の乱れ」で狐に戻った葛の葉の幻想的な道行姿を見せるやり方とがあり、今回は後者である。清治さんに率いられた三味線が地鳴りのように響き、私たちの見る世界と、もう一つ、隣接した別世界へと誘う。
 ここでは葛の葉は、笠をかぶって万寿菊の柿色の衣裳。こちらは人間から狐へ戻っていく表現が細かい。「身は畜生の苦しみ深き」で、人間になろうとしてなれなかった苦しみが伝わる。「足爪立ててちょこちょこ・・・」の狐特有の走り方。また犬を恐れ狩人を恐れ、その心の乱れを象徴する、「蘭菊」を踏み分けつつ歩む。最後に狐火を描いた「火炎」の小袖姿で決まる。
 はるかに和泉の山々、菊は色もなく、狐火だろうか、暮れ行く寂しい野の果てに、狐でありながら人となった、それゆえに最愛の夫と子とも別れなければならない運命。妻であり母であり、生活者である女。異種婚の物語ではあるが、和解できない人間と異種の悲しみと、それゆえの孤独が迫ってくる。愛はどこまで捧げることができるかを問うように。

 これに対し、第三部の『ひらかな盛衰記』四段目、「神崎揚屋の段」に出てくる傾城梅ヶ枝は、激しく、果断で、愛する人のために真っすぐである。
 梅ヶ枝、元々の名は千鳥、父は木曾義仲の忠臣鎌田隼人。最初、生き別れの姉、お筆が訪ねてくるとき、彼女は傾城の立兵庫の鬘、べっ甲の櫛と笄、銀のかんざし、黒地に紅葉と滝の豪奢な打掛の、堂々たる傾城姿である。姉から父が殺されたことを知るが、実は自分の恋人がその敵の一族とは知らない。
 彼女は愛する恋人の梶原源太が勘当され、廓勤めをしているが、この源太が全く頼りにならないぼんぼんで、金がないのに自分に会いに来るため、その代金のため産衣の鎧をとっくに金に換えていることすらわからない。金がどこかから降ってくるとでも思っているのだろうか。それでいてプライドだけは一人前で、今回の出陣に遅れては、と切腹しようとするものだから、結局彼女は源太を宥めて、その上金策は彼女がしなければならない。本当に厄介な男である。その自覚がないから余計に悪い。
 追い詰められた梅ヶ枝は、自分を身請けしようとするお大尽を殺して金を奪おうとするが、思い返し、懊悩し、その果てに手水鉢を「無間の鐘」に見立てて一念を込めて撞こうとする。
「この世は蛭にせめられ未来永永無間地獄の業を受くともだんないだんない大事ない。」
 小夜の中山、現在の掛川市にあったという観音寺の「無間の鐘」を撞けば、この世の富貴は思いのままだが、死後は無間地獄に落ちるという。無間地獄、いまの我々にはなじみのない言葉だが、輪廻も地獄も信じていた昔の人にとって、究極の二択というべきもの。梅ヶ枝は恋する男の故に、自分の身を永遠に犠牲にすることを決断する。髪を振り乱し、柄杓を構えて手水鉢をきっとにらむ。その姿は、狂気を思わせる。(結果として、彼女は「無間の鐘」を撞かずにすむのだが、そのあたりは実際に舞台でお確かめください。)
 この「神崎揚屋」は、国立文楽劇場では、1988年に故竹本越路太夫、この春引退した吉田簑助師で上演されて以来の復活となる。今回遣うのは、その弟子の桐竹勘十郎さん。華やかで、若いのに太夫の位の貫禄があり、堂々としている。なのに、姉の前では純な少女のようで、源太の前ではいじらしい若女房になる。もともと傾城になったのも恋人のためだから、心はいつも、彼のためにというところからぶれない強さがある。その強さが華やかな秋の打掛をまとい、動くたびに銀のかんざしが揺れる。観客はいつの間にか、梅ヶ枝の思いに引き込まれていく、彼女の芝居にはそれだけのスケールと吸引力がある。
 もう一人、凛々しく戦うキャリアウーマンともいうべき、腰元お筆を忘れてはならない。『ひらかな盛衰記』の、主に三段目で活躍する。彼女は木曾義仲の妻山吹御前を守り、落ち延びる途中、大津の宿屋で、偶然隣室に泊まった一行との間で子どもの取り違えが起こり、さらに追手と戦ううちに、主と父を同時に失うという事態に直面する。
 お筆は慎重にならざるを得ない。大津宿屋でも、常に緊張している。その夜、番場忠太らの追撃に、ほぼ女一人で立ち向かい、男4人を相手の立ち回りを見せる。しかし父は忠太に切られ、駒若君は首を討たれる。その直後、取り違えた子であるとわかったが、あまりの心労に山吹御前も亡くなってしまう。しかし彼女には嘆く間もない。まだあたりには敵が忍んでいる。主の遺骸、父の遺体、そして取り違えられた子の始末、駒若君の行方、全てが彼女の肩にかかってくる。絶望してもおかしくない中で、彼女は毅然と、山吹御前の遺骸を伐り倒した笹竹に載せ、運ぼうとする。女一人で、必死に引こうとする。そこへ残党の一人が襲い掛かるが、それも彼女は刀を奪い取って倒してしまう。(ここにまたユーモラスな人形が現れるので、ぜひお見逃しなく!)
 次の「松右衛門内」で、彼女は亡き子の笈摺を頼りに権四郎親子を訪ねてくるが、その出からの憂いの風情、沈んだ表情。何しろ、取り違えが原因で、死んだ子の親に会ってそのことを話さねばならないのだ。子との再会を待ちわびている親に対して、最も残酷なことを言わなければならない。でも彼女の思いは、あくまで無念の内に亡くなった主の山吹御前と、主君の後継者である若君のことしかない。ここに権四郎の一家との致命的なすれ違いがある。
 私も以前は、このお筆の性格が、あまりに主君のことしか考えていない、冷たい女と見えていた。しかし、「大津宿屋の段」から「笹引の段」での彼女の、一人で負うには大きすぎる重荷を引き受けざるを得なかったことを思えば、このときの必死さがわかる。そして松右衛門(実は義仲配下の樋口次郎兼光)と再会、ようやく彼女は味方を得た、という安堵が伝わる。しかしまだ、彼女には、父の敵を討つ、という使命が残っている。その後、四段目、「辻法印の段」「神崎揚屋の段」で、妹を思い敵討ちを志す強い姉としての顔を見せる。
 お筆の強さ、潔さ、また主君への忠節は、ちょうど男性の世界の論理を投影しているように思える。ここでは彼女には、思う男の影はない。自らが戦い、思いを引き受け、凛として立ち続ける美しさ。衣裳は変わらず黒の着付け。その凛々しさと強さの中にふと見える弱さを、思わず知らず助けてやりたいと思う。遣うは豊松清十郎さん。この「笹引の段」は必見(必聴!)である。
 
 文楽の女たちの魅力、それは物語の中で、様々な困難を引き受けながら、その思うところは一筋であること。そして女方の人形の楽しみは、衣裳の美しさと役柄のバランスにもある。その点、見ての楽しみが多い。だが文楽の女たちは、決してお飾りではなく、一人一人が強い意志を持った存在であり、思いをもって生きている。そこには、現代にも通じる、人が愛する理由、人が生きる理由が隠されているように思える。それを伝え、現代の私たち自身を再発見するために、彼女たちを生かし、遣っている人形遣いの方々がおられる。しかしそれだけではない。太夫の語りと三味線と人形の見事な三重奏があって初めてできるのである。そのような交感と協調によって、文楽は、変わらないものを変わらないものとして私たちの内に呼び起こすものであるから。

■森田 美芽(もりた みめ)
大阪キリスト教短期大学前学長・特任教授。専門は哲学・倫理学 大阪大学大学院博士(文学)キリスト教と女性と文楽をテーマに執筆を続ける、自称「大阪のおばちゃん哲学者」。

(2021年11月6日第三部『団子売』『ひらかな盛衰記』、
7日第一部『蘆屋道満大内鑑』第二部『ひらかな盛衰記』観劇)