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国立文楽劇場

祭りなき世の「夏祭」―2021年7月公演―

森田 美芽

 難波の夏を彩る夏祭は、6月30日の愛染祭に始まり、7月25日は天神祭の船渡御、8月1日に終わる住吉大社の祭りで締めくくられる。しかしどこの夏祭も今年は縮小、中止の連続で、コロナ禍の先の見えない不安と重苦しい世相が続くけれど、ここには熱い「夏」がある。劇場では、夏を代表する演目が、私たちの夏の無聊を慰めてくれる。

 第一部は恒例の「親子劇場」。今年の演目は『うつぼ猿』『解説 文楽ってなあに?』『舌切雀』。親子、と銘打っているが、これが侮れない。子どもにもずばっと通じる簡明な解説や、目や耳を楽しませてくれる工夫が至る所に散りばめられ、宝探しの気分になる。昨年夏にはできなかっただけに、子どもたちの生き生きした反応や、集中する姿勢も新鮮に思える。
 『うつぼ猿』では、大名の身勝手さに腹が立つが、最後にはめでたしめでたしとなる。でもその中間の、猿曳の深い情愛、やさしさ、猿の無邪気さの描出が文楽ならでは。そして『舌切雀』の方は、葛籠の中の化け物との対決が見もの。こういうところに時事ネタを仕込むのが、大阪での公演の楽しさである。ぜひご自身でお確かめください。
 実は私の見どころは、夏公演の第一部は、中堅・若手の方が中心となって舞台を作っていることだ。とはいえ、芯には信頼できるベテランを配置し、しっかりまとめてくださっているから、安心して見、聞くことができる。『うつぼ猿』の方は、藤太夫さん、清友さん、文司さんらがいて、初舞台の聖太夫さんや薫太夫さんが安心して力を出せるように引っ張ってくださる。実際、最初は恐々声を出していたような感じが、「俵を重ねて面々に」など、先輩方に負けず大きな声を出しておられるのを聞くと、嬉しくなる。また、猿を遣うのは、若手の勘介さんや玉路さんら。愛らしい猿の仕草に客席からも笑いや温かい拍手が沸き起こる。
 そして『舌切雀』の方は、小住太夫さん、亘太夫さん、碩太夫さんという若手トリオ。いまや中堅の清志郎さんが三味線をリードする。親雀は貫禄十分だが、子雀たちは実に愛らしい。翼を広げていっぱいに踊る姿で、前半の不気味さも中和される。もちろん、筋立がやや単純すぎるきらいはあるが。
 実はこの舞台、ほとんどのメンバーが国立劇場の研修生出身である。おそらく国立劇場による伝統芸能の伝承者養成の中でも、最も研修生出身の方の割合が多いのは文楽ではないだろうか。そしてこれだけの舞台成果を上げていることは、特筆すべきではないか。先輩たちがこれほど努力され活躍されているのを見れば、おそらく後輩の方々も、これから入門しようと思う方も、心強く、また精進の思いを新たにするだろう。そしてプロ同士の技芸のぶつかり合いの中にも、後輩を導き育てていく気概と温かさを感じる。文楽は、人間国宝の方でさえ、ただ一人でその技芸を表わすことはできない。文楽は三業一体、そして人形も三位一体、そしてその支え合う力が、この舞台を創造し輝かせているのを如実に感じた。

 さて、第二部は『生写朝顔話』の半通し。これは夏公演によく取り上げられる。しかもよく紹介されるのが、深雪ストーカー説である。お家騒動もので、女性が男性を追っていくパターンは時代物では少ない。男の犠牲になり、殺されたり、子どもを奪われたり、身を売ったりということが多い中、自ら追っていく女の代表といえば、『義経千本桜』の四段目の静御前を思い出すが、この深雪、愛する人がどこにいるかもわからないまま、他の男と結婚させられそうになって(実は彼女の間違い)家を飛び出すのだから、怖いもの知らずというか、いささか大胆すぎるように思う。
 それでふと思った。なぜ「朝顔」なのだろう?夏の朝、いち早く咲き出して昼にはしぼんでしまう。色鮮やかではあるが、あまりにも儚く、それは深雪にあまり相応しいたとえとは思えなかった。
 そこで朝顔が当時の人からどう扱われていたか気になった。岩淵令治氏の『江戸の変化朝顔』(「歴博 くらしの植物苑だより No.287」 2010 年)によれば、当時、朝顔ブームともいう事態が起こっていた。もとは大名などの庭を飾っていたのが、この時代、鉢植えが始まり、富裕な町人たちの間で、珍奇な朝顔の種類を競うようになったと言われる。第一次朝顔ブームはだいたい1804~1829年頃の文化・文政期で、「朝顔図譜」なども作られたという。つまり突然変異の特殊な朝顔に人気があつまったということだ。すると、朝顔は高嶺の花、しかも大切に大切に育てられる観賞用の花ということになり、ますます深雪=朝顔からは遠ざかる。むしろ逆のようだが、『源氏物語』の朝顔の斎院、源氏に求婚されながら拒み通したただ一人の女性の方が近い気がする。当時の慣習にも、周囲の思惑にも負けず自分を通す強さだ。
 深雪=朝顔の魅力は、阿曾次郎しか見えていない一途さと、そのために行動する大胆さ、そして、今回は出ていないが、誘拐されたり、遊女として売られたりととんでもない目に遭い、再び私たちに姿を見せる時には、盲目で物乞いの女芸人になって、粗末な小屋(現代なら段ボールハウスのような)に住まい、近所の悪童のいじめに遭っている。そんな状況になっても、彼女は阿曾次郎を思うことをやめない。大家のお姫様が落ちぶれても、なお恋人のために生きようとする。その一途さだ。だからこそ、知らずに阿曾次郎と再会し、彼が去ってしまったことを知り、絶望して大井川に身を投げようとする。ストーカーは相手に執着するが、彼女は自分が相手にふさわしくない身であることも理解しながら、それでも彼を求め続ける。阿曾次郎=駒沢次郎左衛門は、にも拘らず、公的な立場と役目のために、彼女を思いつつも手を差し伸べることができない。そのツンデレぶりにも驚かされるが、やはり相思相愛なのだ。だからストーカーというより、深雪は命がけで彼を愛さずにはおれない。
 そして今回の上演で気づいたこと。「薬売りの段」「浜松小屋の段」が出ることで、「大井川の段」でなぜ戎屋徳右衛門が自害するのかの理由が語られる。そこには、生き別れの娘と父の絆、深雪を介して、会うことのできなかった二人が冥途で出会うという伏線。深雪と阿曾次郎の恋の陰にある、家臣たちの忠誠の証。その犠牲の上に、彼女の恋はついに成就する。そのもう一つの主題、親子と主従の絆の深さを見ることができたのは、今回の大きな収穫である。
 この物語の主題、「露のひぬ間の朝顔を照らす日陰のつれなきに、哀れひとむら雨のはらはらと降れかし」の唱歌は熊沢蕃山の作と推測されているが、美しく咲きながら、萎れようとするときにも、家臣たちの忠義と阿曾次郎への愛と人々の思いやりが潤す。
 この舞台の初日、深雪を遣う桐竹勘十郎さんが、重要無形文化財保持者、すなわち人間国宝に認定されるとの第一報が入った。吉田簑助師匠の薫陶を受け、その至芸の一つ「朝顔」を受け継ぎ、まさに大輪の花を舞台で咲かせている、その盛りを見る者は幸いである。

 さて、ここで欲張って第三部の『夏祭浪花鑑』まで見てしまったが、あまりの名作で、しかも夏の暑さを吹き飛ばすような力演で、おそらく誰もが引き込まれるエネルギーに満ちている。極めつけ、夏の定番。様々な浪花の夏の風情をちりばめて、夏の日の祭りの興奮と狂気が交錯する中での殺人事件。その背景は、高津神社の夏祭である。「釣船三婦内の段」では、じりじりと照る日の昼下がり、祭囃子、夏祭の揃いの浴衣、祝いの料理と、祭りへの期待が高まる中、涼風のように登場する徳兵衛女房お辰。黒絣、日傘、江戸で言えば、小股の切れ上がったいい女、の風情。それが一転して焼けた鉄弓を顔に当て、自分を醜くしても引き受けた約束は守ろうとする。一歩も引かない彼女の強さと、ふと見せる恥じらい。これも引退された簑助師匠の十八番であったが、それを弟子の豊松清十郎さんが見事に受け継ぎ、またさらに違った魅力で見せてくれる。そして団七の登場、義父殺し。
 「長町裏の段」では、日は落ちても、むしむしと熱気の去らない、大阪の夜。必死で追いかける団七、この憎々しい義平次。義理の親子とはいえ、義理と金に絡んだ対立、しかもこの義平次のブラックな表情。団七をいたぶる意地の悪さ、挑発。草履で顔をはたく、ここまでやられては黙っていられない、追い詰められていく団七が切れ、「毒喰はば皿」とついに刃を向ける。
 丸胴に刺青、長い手足、不思議なバランスで、その大きさ、ダイナミックさが強調される。 しかし殺し場は、スローモーションのようにゆっくりと、そして義平次のしぶといこと。泥にまみれても、この人は簡単に死にそうにない。その団七と義平次が絡み合う向こうで、過ぎていく夏祭の提灯。
 これは、「だいがく」という、いまでは西成区の生根神社に伝わっている。元は清和天皇在世のころ、旱魃に困った人々が、住吉大海神社の社前でご神灯と鈴のつく竿を立てて雨乞いを祈願したところ、たちまち大雨が降ったことに由来するという。これは、以前は難波にもあったというから、おそらくその姿を取ったものであろう。かなり大きなものであるから、ゆったりと動く。それに比べ、「ちょうさ、ようさ」の掛け声とともに現れる神輿のスピーディなこと。人形遣いが神輿の台を振り回すように、人形もそれにつれて振り回される。その騒ぎに紛れて逃亡しようとする団七。「八丁目、差して」が圧倒的。

 祭りなき世。しかしここには、祭り以上に私たちを熱くしてくれるものがある。人から人へ手渡され、繋いでいく芸の世界は、私たちの先祖の時代といまを繋ぎ、祭りのできない時も、できる時も、変わらず私たちを励まし、陶酔させてくれるのだ。

■森田 美芽(もりた みめ)
大阪キリスト教短期大学前学長・特任教授。専門は哲学・倫理学 大阪大学大学院博士(文学)キリスト教と女性と文楽をテーマに執筆を続ける、自称「大阪のおばちゃん哲学者」。

(2021年7月16日第二部『生写朝顔話』第三部『夏祭浪花鑑』、
25日第一部『うつぼ猿』『解説 文楽ってなあに?』『舌切雀』観劇)

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