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国立文楽劇場

旅が主役の生写朝顔話

黒澤はゆま

文楽は旅をモチーフにした作品が多い。

著名な「伊賀越道中双六」がそうだし、今回かんげきした「生写朝顔話」もそうだ。

日本を訪れた数々の異人達が記録しているように、日本人は昔から旅好きの民族だったようだが、それでも、一般庶民にとって旅行は一生に一度あるかないかのビッグイベント。

彼らの旅行に対する思いは、現代の我々には計り知れないほど強いものだっただろう。

文楽の舞台上で展開する宿場町や名所を再現した仕掛けは今でいうVR、旅の疑似体験だったのだと思う。伊勢参りや富士講で、既に旅を体験したものはかつての冒険を思い返し、これからのものは期待に胸をふくらませたのに違いない。

私も彼らがした旅が知りたくて、徳川家康の三大苦難と呼ばれて名高い「伊賀越え」その道のりを、大阪の四条畷から三重の白子まで、実際に歩こうとしたことがある。

あいにく、伊賀の入り口である丸柱までは歩いたが、そこで体力の限界となりリタイア。残りは公共交通機関を利用しながらの情けない旅となったが、それでも、かつての旅がどんなものだったか、おぼろげながら分かった気もする。

道沿いのただの木が涼しい木陰を作ってくれるということでおがみたいほど有難かったり、人も車も通らず段々心細くなっていくなかふとあらわれる可愛いお地蔵様の笑みに勇気づけられたり……なかでも忘れられないのは、伊賀と伊勢の国境、加太峠を越えたときのことである。

伊賀側の麓の柘植から15キロほどの道のりで、旧国道25号を行く。三重県に用がある車の多くは新道を行くのでほとんど通らない。もちろん歩いている人などいない。その癖、登り口の道はやけに広く、朽ち果てた大きな工場跡もあったりして、マッドマックスじみた地球終末の光景だった。

そして、残暑厳しい九月のことだったので、いやもう暑いこと暑いこと。おまけに、加太の集落以外には、店も自販機もほとんどない。途中、水が尽き、お腹を壊すから本当はやってはいけないのだが、崖から染み出す水を思わず口に含んでしまったほどだ。

気力・体力も限界に近付く中、ようやく山を降り、加太川に沿ってよろばうように歩いていると、目に飛び込んできたのが時代劇で見るような、昔ながらの宿場町の景色だった。

ついに熱に脳をやられたかと思ったが、幻ではなく、関宿の街並みだった。

これが人生初めての来訪になった。そのおかげで本当にタイムスリップしたかのような体験ができた。

夢見心地で街並みへ近づくと、西側の入り口の「西の追分」には畳敷きの清潔な休憩場があった。靴を脱いで畳の上に寝転ぶと涙がにじみ、久方ぶりに母親の膝にすがりついた子供のような心地になったことを、今でも鮮明に覚えている。

今は道のりの多くは舗装され、沿道にコンビニや自販機がいくらでもある。徒歩でやったぞと威張ってみても、昔と比べたら、私の旅なぞライフジャケットを着て幼児用プールでぴちゃぴちゃやっているようなものだ。

しかし、そんな幼児用プールの旅でも宿場町はこれほど懐かしく有難かった。昔の旅人にとって旅の途中で訪れた宿場町や港は、どれほど大きな存在だったろう。彼らは宿場町や港に自らの命を繋ぎながら旅を続けたのである。

私たちが駅や空港を思い出すよりも、何十倍の重さと輝きで、その景色は彼らの心に焼き付いていただろう。

ちなみに昔の日本は今よりずっと狭く、人が使える範囲は限られているので、旅人は大体同じところを通った。伊賀越えの旅を終えた後、関が原での島津の退き口を体験した漫画エッセイを読んだところ、私の見たのとまったく同じ景色が描かれていて驚いたことがある。

明石浦、浜松、嶋田宿、大井川、日本各地の旅の名所を漂う深雪を見ながら、私は自分の旅、そして江戸時代の人々の旅に思いを馳せた。そして「生写朝顔話」の表向きの主役は深雪だが、その実、影の主役は彼女がする旅そのものだなと思った。

江戸の人々は、深雪の喜びや嘆きに、自らの喜びと嘆きを重ね、旅を追体験したのに違いない。

失礼ながら思索家タイプではないが、行動力は極大という、文楽ヒロインあるあるの深雪に手を引っ張られながらの旅は悲惨なエピソードを挟みながらも、いつもどこか明るい拍子が流れているようで、楽しかった。

ちゃり場の代表だという嶋田宿笑い薬の段は腹を抱えて笑ってしまったし、薬売りの段で立花桂庵がアルコールで手を消毒するシーンもおかしく、コロナに疲れた心を癒してくれた。

このコロナ禍でどれほどの人が旅することをあきらめただろうか。

移動することに人間は本能的な喜びを感じるものらしいが、だとしたらコロナ禍による旅行の制限は人間性を削るものなのかもしれない。

コロナのない明るい空の下、また多くの人が旅に出、マスクなしで語らえる日が来ますように。

大井川の段、盲目となった深雪の目が、徳右衛門の生き血によって開くラストシーンを見ながら、そう祈らずにはいられなかった。

■黒澤はゆま(くろさわはゆま)
作家。1979年生まれ。宮崎県出身。九州大学経済学部経営学科卒業。九州奥地の谷間の村で、神話と民話、怪談を子守歌に育つ。小説教室『玄月の窟』での二年の修行の後、2013年『劉邦の宦官』でデビュー。大阪府在住。

(2021年7月24日第二部『生写朝顔話』観劇)