国立文楽劇場

語りの意義

黒澤はゆま

大昔、私はお話、それも歴史上の人物にまつわるものを、ぼんやり空想するのが好きな子供だった。そうすることで、ままならぬことの多い、つらい現実をたまさか忘れようとしていたのだろう。


伊達政宗、武田信玄、上杉謙信、織田信長、徳川家康、劉備、関羽、張飛、孔明、姜維……


空想の依り代となるのは日本の戦国武将だったり、三国志の英傑だったりした。彼らは現実の友人よりも身近な存在で、彼らと過ごした時間がなければ、きっと私は子供時代を生き抜くことが出来なかったと思う。


大人になってから、思うに任せぬことはさらに多くなり、現実はさらにつらくなったために、歴史小説家なんて因果な商売に就く羽目になったわけだが、最近寂しいのは、歴史学の発展の結果、彼らの実像の書き換えが余儀なくされていることだ。


歴史の再構築なんて、過去、何度も行われてきたことではあるが、昨今の研究は、一次史料からの再検証が主である。そこから浮かび上がる彼らの姿は、軍記ものなどを起源にした「語り」にも多くを拠ってきた今までのものとは大きな断絶がある。


友人以上に身近だった彼らがまるで他人になったようで、繰り返しになるが寂しいのだ。


今回観劇した『絵本太功記』は「語り」の元祖みたいな作品である。


この作品、実は前から見たいと思っていた。馴染深い信長や秀吉、光秀と会えるのが楽しみだったし、また、言ってみれば「語り」の末裔である、自分の職業の意義みたいなものを見つめなおす機会にもなるかなと思ったのだ。


ちなみに『絵本太功記』では、登場人物の名前がいちいち改変されていて、織田信長が尾田春長、明智光秀が武智光秀、羽柴秀吉は真柴久吉になっている。


幕開けは『二条城配膳の段』。


光秀の忠誠心を試そうと、寵童の森の蘭丸と一緒になって、光秀を嬲り打擲するという、オーソドックスなシーンである。最新の研究だと、本当にあったことか、結構怪しいのだが、本能寺の変が出てくるフィクションでは、必ず取り上げられるエピソードだ。2020年の大河『麒麟が来る』でも信長役の染谷将太が光秀役の長谷川博己を殴ってましたね。


結局、高倉健的な、理不尽に耐えて耐えて、最後の最後にブチ切れるという展開が大好きな日本人の国民性にあっているのだろう。


『二条城配膳の段』でも、春長はあくまでに憎々しく、それに対して、光秀の方は家臣としての筋を通して健気である。なるほど、春長を討たねばという気持ちになる。


続く『夕顔棚の段』では、肝心の本能寺の変はもう終わっていて、主君を弑逆した息子を嫌い、尼ヶ崎に隠棲した老母さつきの侘び住まいが舞台となる。このさつきのもとに、光秀の妻操、息子十次郎とその許嫁初菊、そして怪しい旅僧(正体は久吉)とそれを追って来た光秀がやって来る。


光秀といい、久吉といい、決戦前にそんなことをしている場合かと思うが、文楽あるあるで、大名クラスでも、異常に腰が軽くあちこちに顔を出すのだ。


ラストの『尼ヶ崎の段』で、十次郎と初菊は祝言をあげる。しかし、真柴軍の鋭鋒は間近に迫り、花婿は初夜もままならぬまま、鎧兜に身を固めて出陣する。初菊、操、さつき、女達が嘆く様は、悲壮であるが、花咲くような振袖、落ち着いた黒の留袖、枯淡の風がある茶の留袖と、世代の差が着物であらわされていて、段染めを見るようで美しい。


そして、クライマックス。


さつきに促されて旅僧(久吉)が湯殿口に入ると、外で様子をうかがっていた光秀が、竹やりを風呂場に突き入れる。しかし、あにはからんや、なかにいたのは母さつきであった。


最近、ギリシャ悲劇を勉強しているので、付け焼刃の知識を披露させて欲しい。こういう展開をアリストテレスは『詩学』のなかで「逆転」と「認知」と名付けている。


アリストテレスの論はなかなかややこしいが、蛮勇を振るって乱暴にまとめてしまうと、「認知」は無知から知への転換、要は知らなかったことを知ること、「逆転」はそれによって行いの意味付けがさかさまになってしまうことだ。


この段でいうと、光秀は風呂場にいたのが久吉ではなく母さつきであったことを知るのが認知、それによって宿敵を討つはずの一槍が、母殺しの凶行となってしまったことが逆転である。


この「逆転」と「認知」の手法は文楽ではとにかくよく使われるし、アリストテレス先生の「「逆転」と「認知」は同時に起こすように。そうすると観客がよく泣いてくれるからね」(超意訳)という言いつけもよく守っている。人の心を揺さぶる手法というのは、万国共通なわけである。


不孝の罪に恐れおののく光秀に、さつきは断末魔の息のなかさらに追い打ちをかける。


「内大臣春長といふ主君を害せし武智が一類。斯く成り果つるは理の当然」


「主を殺した天罰の報ひは親にもこの通り」


妻操も姑に息を合わせる。


「知らぬこととは言ひながら、現在母御を手に掛けて、殺すといふは何事ぞいの。せめて母御の御最期に『善心に立ち帰る』と、たった一言聞かして給べ」


この時、妻母の口説きを背中で聞く光秀の操演が何ともよかった。運命に見放されたことを自覚しながら、それに向き合えない男の切なさ悲しさが、背中で聞くという一事でよく表されていたと思う。


「武門の習ひ天下のため、討ち取つたるは我が器量」


そう言い返すも虚ろな響きである。


そして、とどめの悲劇が襲い掛かる。


子息十次郎が加藤正清との戦いに敗れ、部隊は全滅、自身も致命の傷を負って引き退いてくるのである。


かくして、光秀はもう一つのさらに大きな逆転に直面することになる。


己が起こした本能寺の変は、武王が殷の紂王を討ったような、北条義時が後鳥羽上皇を流罪にしたような正義の戦いではなく、単に天下をいたずらに混乱させ、家族を破滅に導く愚かな行為でしかなかったということである。


「さすが勇気の光秀も、親の慈悲心子ゆゑの闇、輪廻の絆に締め付けられ、堪え兼ねてはらはらはら、雨か涙の汐境、浪立ち騒ぐ如くなり」


十次郎と初菊を抱き寄せて涙にくれる武智光秀の姿に、カタルシスを得る時、観客は歴史上の明智光秀の絶望にも触れることになる。そして、それは過去も未来も「語り」でしか出来ないことである。


数万の軍船が浮かぶ尼ヶ崎の海を背景に、久吉と光秀が決戦を誓い見得を切るラストには不思議な開放感があった。それは、この演目が、自身の職に対する迷いを晴らし、その意義を教えてくれたからに違いない。


参考文献:『アリストテレース詩学/ホラーティウス詩論』(アリストテレース著、 F.Q. ホラーティウス著、松本 仁助訳、岩波書店)

 

■黒澤はゆま(くろさわはゆま)
作家。1979年生まれ。宮崎県出身。九州大学経済学部経営学科卒業。九州奥地の谷間の村で、神話と民話、怪談を子守歌に育つ。小説教室『玄月の窟』での二年の修行の後、2013年『劉邦の宦官』でデビュー。大阪府在住。

(2022年1月15日第二部『絵本太功記』観劇)