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国立文楽劇場

光差すほうへ

くまざわ あかね

ものすごく正直なところ
「あ、またやらはるんですね」
と思っていた。

『義経千本桜 道行初音旅』である。

登場人物が少なくて華やかなためか、文楽劇場でもよく上演されているし、巡業やイベントでもしばしばお目にかかる出しものだ。
ひょっとしたら、文楽では一番多く見ている演目かもしれない。
 
そんなこともあってか、初春公演、しかも鶴澤清治師匠の文化功労者顕彰記念の出し物と聞いてなお
「千本の道行ですね、ハイハイ」
と思っていた自分を殴りたい。

それほど、今回の舞台は素晴らしかったのだ。

まずもって、目にもあでやか。
冒頭の浄瑠璃があって、チョン・パで幕が落とされたときに、一人たたずむ静御前の優美さといったら! 一輔さんの素敵な裃姿と相まって、一幅の絵のような美しさ。客席にのどかな春の風が吹いてくるのが感じられた。

玉助さんが遣う狐忠信のどっしりとした大きさ、安心感もすごい。
いつもはちょっとドキドキしてしまう、射った矢に見立てて静御前が後ろ向きに投げた扇を忠信が受けとめる通称「山越し」の場面でも、この忠信なら落とさない! と絶大な信頼を持って見ていられる。颯爽とした忠信の中に、キャッチャー・ドカベンこと山田太郎のような、力強さが見えた瞬間だった。

舞台にいるのは、静御前と忠信の二人きり。なのに、あの広い文楽劇場の舞台が、二人の存在感で満ち満ちている。舞台が狭く感じられる。見ていてうれしくなるほどに。ひとえに玉助・一輔お二人の、これからの文楽を背負って立つという気概、自信、オーラのなせる技だと思う。

眼福であると同時に、耳福の舞台でもあった。

呂勢太夫・織太夫という、これまた今後の文楽を担うコンビが筒いっぱいに語る声が、客席に向かってうおおんと渦巻いて押し寄せてくる大迫力。
そんな太夫陣、そして舞台全体をまとめあげ、高みへと引っぱり上げておられるのが、清治師匠の三味線なのだ。

この日座った席は10列目の31番。上手寄りの床に近いお席で、顔を上げるとま正面に清治師匠のお姿が見えた。
華やかで、激しくて、ときにクールで艶やかで、いろんな音にあふれている。あんなにも大きく太く響く三味線の、いったいどこからあんなにも繊細な音が生まれるのだろう。舞台を見ようと思っていても、気が付くと三味線に目が吸い寄せられてしまう。

目で追っていないときでも、音の圧というか、波というか、とにかく耳に伝わってくる。清治師匠と、二枚目に座っておられる清志郎さんとがお二人で弾いておられるときなど、音がピンクの花びらとなって、こちらに舞ってくるかのよう。劇場にいながらにして「吉野山」で花見をしているようであった。

目、耳、そして身体全体がこの『義経千本桜 道行初音旅』に包みこまれるような気分の中で、いま本当にぜいたくな舞台を見ているんだなぁと陶然となった。

2020年、舞台にかかわるものにとっては本当に大変な一年だった。
年が明けて2021年、なにかがリセットされるのではないか、という淡い期待も無残に打ち砕かれた。
これからどうなっていくんだろう。先行き大丈夫なんだろうか。
不安な気持ちを抱えたまま、闇の中を歩いていたわたしの前に、
「大丈夫。未来はあるよ」
と告げてくれた、光差すほうへと目を向けてくれた、灯台の明かりのような舞台が、この『義経千本桜 道行初音旅』だった。
生涯忘れられない舞台となるだろう。

■くまざわ あかね
落語作家。関西学院大学社会学部卒業後、落語作家小佐田定雄に弟子入りする。2000年、国立演芸場主催の大衆芸能脚本コンクールで、新作落語『お父さんの一番モテた日』が優秀賞を受賞。2002年度大阪市咲くやこの花賞受賞。京都府立文化芸術会館「上方落語勉強会~お題の名づけ親はあなたです」シリーズなどで新作を発表。また新聞や雑誌のエッセイ、ラジオ、講演など幅広く活動。著書に、『落語的生活ことはじめ―大阪下町・昭和十年体験記』、『きもの噺』がある。大阪府出身。

(2021年1月8日第二部『碁太平記白石噺』『義経千本桜』、
12日第一部『菅原伝授手習鑑』観劇)