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国立文楽劇場

『釣女』をめぐる個人的感想と臆断

金水 敏

 新型コロナ感染が収まらないなか、万全の措置を講じて、大阪文楽劇場の文楽錦秋公演が再開されました。久々の劇場の座席に座り、テーンという三味線の弾き出しを聞いただけで、胸がジーンとしました。
 さて、第2部は、『新版歌祭文』、おみつのかわいい嫉妬と重い覚悟、お染の燃え上がるような恋情、久松とその家族の苦悩を、咲太夫さんはじめ三業の熱演がしっかりかみ合って楽しめました。桂春團治の出囃子でもおなじみ「野崎」の旋律の軽やかさ、船頭の所作の面白さ等々が、男女(男と女と女)の運命の悲しさを一層引き立てます。
 第2部の二番目の演目は、一転して松羽目物の『釣女』。舞台の背景にどーんと松の木が現れると、劇場全体が独特の厳粛な華やかさで満たされるのが不思議ですね。ちなみに、松羽目物とは、能楽の演目を歌舞伎や文楽に移した一群の演目で、舞台のしつらえとして、能舞台の鏡板を模して、松の大樹と竹を描いた羽目板を背景一面に配置します。能楽では緞帳も大道具もなし、簡素な舞台でことばと演技の力だけで場面を作っていきますが、松羽目物も、演出方法としては同じ様式をとります。
 松羽目物の代表としてはまず能の『安宅』から移された『勧進帳』が思い出されますが、今日は狂言の『釣針』を下敷きにした『釣女』です。もう最初から、楽しいに決まっています。藤太夫さんの太郎冠者もノリノリでしたね(人形は玉佳さん)。
 この『釣女』、妻を授かりたい独身の大名が、恵比寿神社に参詣して、夢のお告げにより得た釣り竿と釣り針で、見目麗しいお嫁様を釣り上げるというお話です。お供に付き従った太郎冠者も同じく独身、主のマネをして釣り上げると、とんでもない醜女を釣り上げてしまって大困惑、最後には主の釣り上げた美女を掠って逃げ去ります。
 ちょっと待って、お嫁さんを釣り針で釣り上げて、しかも女性を美醜だけで価値付けるなんてけしからん! という声も聞こえてきそうです。いや、まったくその通り。真剣に考えると、男性優位社会の問題が色濃く表れた困った作品、と言われてもしょうがない。ただ、ここでは浜辺で伴侶を釣り上げるという、お伽噺の無邪気さに免じてお許しを。何でしたら、案外、太郎冠者が釣り上げた女性を結局は迎え入れて、尻に敷かれながらも末永く添い遂げた、みたいな続編を想像してい
ただくのも一興かと。
 さらにこの演目、私の個人的な経験もあっていろいろ楽しめました。一つは、中学生の時にテレビで見た十一世茂山千五郎氏(後の三世千作)の『釣針』が面白くて大感激し、それもあって狂言が大好きになったこと(千五郎氏はそれ以前に大阪市内の小学校にもやってきて、大迫力の『武悪』を演じられました)。その記憶もあって、中学校の文化祭で『釣針』を翻案したお芝居を作り、クラスのみんなで演じたほどです。
 もう一つは、この演目の舞台の恵比寿神社が、「西宮神社」であること。私、今西宮に住んでいるんです。東の方から「小唄に唄ふ奈良法師、行くも戻るも心のとまるも山崎の山崎の、女郎と涅槃の長枕、結ぶ縁(えにし)の尼ヶ崎」と唄われる道行きの情景を頭に描き(松羽目物なので舞台はまったく変わりません)、また、毎日のように見ている西宮の浜辺でお嫁さんを釣る様子を想像すると、とても親近感がわいて楽しいです。
 最後に、もう一つ気づいたことを付け加えておきます。浄瑠璃の冒頭は、次のように唄われます。
 「そもそもこれは猿楽の 昔よりしてその業の、をかしといひし狂言師、名に大蔵や鷺流の、姿をうつす釣女」
 これは、松羽目物の由来をそのまま述べたものです。「猿楽」とは能楽一般のことで、特に能楽のうち狂言の演目を移した(写した)ものですよ、と言っているわけですが、「大蔵や鷺流」とは、狂言の流派を指していますね。私は国語学者という商売をしていて、狂言台本には大変お世話になっているので(狂言台本は室町時代から江戸時代初期の上方のことばをよく反映していると言われます)、こういうところに敏感に反応してしまいます。みなさん、狂言の流派ってご存じでしょうか。少し詳しい方なら、「大蔵流」と「和泉流」はご存じかと思いますが、「鷺流」までご存じの方は少ないでしょう。実はプロの狂言師としては、鷺流は今日、存在しません(山口県の演技集団によって鷺流の芸風が保存されているそうですが)。
 この『釣女』の上演史を、プログラムの「鑑賞ガイド」によって確かめてみると、「狂言『釣針』をもとに、明治三十四年(一九〇一)に常磐津舞踊として初演された歌舞伎舞踊『戎詣恋釣針』を文楽に移したもの……文楽では初代鶴沢道八の作曲、楳茂都陸平の振付により、昭和十一年(一九三六)四ツ橋文楽座で初演」とのことです。この時間関係に、近現代の狂言史を重ねて見ましょう。江戸時代、能楽は武家の「式楽」として重用され、狂言では大蔵流と鷺流が幕府のお抱え狂言師となって活躍していました。一方和泉流は、名古屋や金沢等に勢力を持つ流派で、むしろ地方流派の一つに過ぎなかったのですね。しかし明治維新が訪れると、大蔵流、鷺流とも衰微甚だしく、両方とも宗家は廃絶されてしまいました。今、大蔵流で活躍している方々は(先ほど挙げた千五郎家も含めて)お弟子筋に当たるのです。一方、和泉流は力のある職分が東京に移住されて、様々な山と谷を経ながらも今日、人気の演者たちが活躍されていることは皆様もご存じの通り。
 さて、『釣女』が出来た明治年間は、いまだ鷺流の記憶も生々しく、しかも鷺流の芸風は、「吾妻能狂言」と呼ばれる、明治年間に能楽師、狂言師が浅草で行った町方狂言(三味線音楽と結合した)に色濃く流れ込み、松羽目物にも影響が及んでいるそうなので、その記憶から「名に大蔵や鷺流の」となった、ということのようです。ふとした浄瑠璃の詞章の中にも、古典演劇史の水脈が見て取れて、興味深いですね(ただし以上は、近代古典演劇史についてまったく素人の私の想像です。どうぞ、ご専門の方にご教示をお願いしたいと思います)。

参考文献:『狂言の世界』(古川久〔著〕、社会思想社、1960年刊)、『現代能楽講義—能と狂言の魅力と歴史についての十講—』(天野文雄〔著〕、大阪大学出版会、2004年刊)、『能・狂言を学ぶ人のために』(林和利〔編〕、世界思想社、2012年刊)、『鷺流狂言詞章保教本を起点とした狂言詞章の日本語学的研究』(米田達郎〔著〕、武蔵野書院、2020年刊)他

 

■金水 敏(きんすい さとし)
大阪大学・文学部教授。1956年、大阪生まれ、兵庫県在住。専門は日本語史および「役割語」研究。著者に『日本語存在表現の歴史』(ひつじ書房、2004。新村出賞受賞)、『ヴァーチャル日本語 役割語の謎』(岩波書店、2003)、『〈役割語〉小辞典』他。

(2020年11月1日第一部『源平布引滝』第二部『新版歌祭文』『釣女』、
8日第三部『本朝廿四孝』観劇)