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国立文楽劇場

濡衣と八重垣姫 本朝廿四孝を観る

三咲 光郎

 『本朝廿四孝』は、時代物の大作です。
 足利将軍が鉄砲で暗殺され、その犯人捜しに、武田家と長尾家の争いが絡む。複雑な人物関係、幾重にも張りめぐらされたどんでん返し。今ふうにいえば「一大謀略ミステリ巨編」。スケールの大きな、先の読めないサスペンスを楽しめる作品です。
 今回の公演では、全五段のうちの四段目から、武田家の簑作と濡衣が薬売りの夫婦を装って長尾家に潜入するエピソードが語られます。
 そもそも両家はなにゆえに対立しているのかというと、武田家が宝としている「諏訪法性の兜」を長尾謙信が借りたまま返さないことにあるのです。それを取り戻すのが二人の使命。信濃路を行く「道行似合の女夫丸」で幕が開きます。
 幕開けの道行は、心が浮き立つ華やかな場面が多いのですが、この道行には、どこか憂いが感じられます。ひと茎の花を手にした濡衣が何やら悲しげなようすなのです。
 「夫は冥土に我が身はここに、桜花かやちりぢりに」
 濡衣は、夫が切腹して果ててしまった後で、この使命に挑んでいます。しかも、夫だった武田勝頼は実は家老の子で、今バディを組んでいる簑作こそが、民間で育った本物の武田勝頼。そのうえ、顔かたちも瓜二つ。実にややこしい状況で、濡衣の心は、そのぶん更に複雑です。
 「忍び忍びに褄戸へ来れば、……月の影さへ気にかかる、エエ逢ひたやな」
 舞台の幕が開くと、私は、登場人物の誰に気持ちを寄り添わせて物語に入っていこうかと思うのですが、今回は、濡衣に心が惹かれるようです。

 諏訪湖を望む長尾謙信の館城、奥御殿。ここを舞台とした「景勝上使の段」、「鉄砲渡しの段」は、先の道行と合わせて、十五年ぶりの上演だそうで、将軍暗殺事件のストーリーを追うためには重要な段です。
 武田家と長尾家は、暗殺犯の疑いを掛けられていて、三年以内に真犯人を見つけられなければ跡取り息子の首を差し出さなければなりません。武田家では、既に勝頼が切腹していますが、長尾家は、まだ。長尾謙信は我が子を死なせようとは考えていないようすです。
 この段に登場する長尾謙信の嫡男景勝は、
 「なぜさつぱりと……景勝の首討つて心底は見せられぬ……それがしここにて切腹」
 と父謙信に迫ります。キッパリとしていて、景勝は、なかなかの男前です。今回の公演ではここにしか出てこないのですが、景勝を追っかけて全段通しで観てみたくなります。
 もう一人気になるのは、謎の老人、花守り関兵衛。謙信や景勝にも臆することなく自分の意見を述べて話の流れを作っていきます。何だ、このリーダーシップぶりは。ただ者ではないぞ。この不敵な爺さんは、いったい何者だ?
 気になるキャラクターたちが暗殺事件絡みの場面を盛り上げます。

 クライマックスの「十種香の段」、「奥庭狐火の段」。
 主役は、もちろん八重垣姫です。亡き勝頼に生き写しの簑作を見て、縋りついて泣き、濡衣に仲を取り持ってくれと頼み込む。竹本千歳太夫さん、豊澤富助さん、竹本織太夫さん、鶴澤藤蔵さんたちの熱演に身を委ねて、ああ、これが令和の文楽だ、ととてもいい気持ちです。そして桐竹勘十郎さんの八重垣姫、白狐。私の好きな「白狐連中」も現れて、客席は大盛り上がりでした。
 「十種香の段」では、八重垣姫の言動はある意味、夢見るお姫さま。それに対して、苦悩と悲しみを抱える濡衣は、大人の女。濡衣のリアルな目線で観てきたおかげで、ドラマチックな物語の陰影をしみじみと愉しむことができました。
 でも、「奥庭狐火の段」での八重垣姫は凄い。これまでの物語を全部持って行っちゃうほど圧倒的な存在感でした。

 今年に入ってからの新型コロナウイルス感染拡大の影響で、ミナミ界隈に出るのは、私自身およそ半年ぶりでした。国立文楽劇場では、客席をひとつおきにしたり、終演後は時間差を設けての退場にしたりと、さまざまな予防対策に取り組んでいるなと感じました。ようやく劇場で観劇ができてホッとしています。

■三咲 光郎(みさき みつお)
小説家。大阪府生まれ。関西学院大学文学部日本文学科卒業。
1993年『大正暮色』で第5回堺自由都市文学賞受賞。1998年『大正四年の狙撃手(スナイパー)』で第78回オール讀物新人賞受賞。2001年『群蝶の空』で第8回松本清張賞受賞。大阪府在住。

(2020年10月31日第三部『本朝廿四孝』観劇)

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