文楽かんげき日誌

待ってましたっ!

仲野 徹

「待ってましたっ!」床(ゆか)の上にある御簾(みす)の中がボンヤリと明るくなり、亘太夫さんと錦吾さんの姿が見えたとたんに叫びたくなった。新型コロナのせいで禁じられているのが残念だ。なにしろ初春公演以来の10ヶ月ぶり、文楽劇場での文楽公演なのだから。

第一部は『源平布引滝』。源氏の象徴である白旗を巡る物語だが、最初の「矢橋の段」、「竹生島遊覧の段」、それから、「九郎助住家の段」の「中、次、前」までは、九郎助の娘・小まんがその白旗を守るオカルト的な奇譚である。
文楽でも歌舞伎でもよく演じられる「九郎助住家の段」だが、話がいささかややこしいし常識を完全に逸脱しているので、予備知識なしでそこだけを観ると、頭が「?」でいっぱいになる。しかし、今回は前の段も演じられるので大丈夫。と言いたいところだが、知らなかったらやっぱりちょっとわかりにくいかも。
とりあえず、白旗が命を賭けてまで守らなければならないものである、ということをしっかり頭に入れておく必要がある。なにしろ後白河上皇から授けられた平家打倒のシンボルなのだ。とはいえ、世の中に命より大事な旗なんかあるんか、っちゅう基本的な疑問は残るが、それはさておく。
その白旗を託された娘・小まんが平家の追手から逃れて琵琶湖に飛び込むまでが「矢橋の段」。何と不運なことに助け上げてくれたのが平家の船。あわれ小まんは斎藤実盛に腕を切り落とされ、どうやら落命。白旗を持った手は琵琶湖に沈んでいくのでありました。というのが「竹生島遊覧の段」。まぁ、ここまでは順当というか、いきなり腕が切られた以外は大きく逸脱のない話運びである。しかし、「九郎助住家の段」では、白旗を握った手を巡る奇っ怪な話と、ドンデン返しがあっての忠義と敵討ちの話になる。

太郎吉と祖父の九郎助は、鮒獲りをしていて見つけたと、白旗を握りしめた肘(かいな)を持って帰ってくる。って、普通、気持ち悪くてそんなもん持って帰ってこんだろうが、役所へ届けろと思うが、持って帰ってきてしまったものはしかたがない。
九郎助の家には、源氏再興を願う木曽義賢の妻である葵御前が匿われている。その身ごもった子が男なら殺すとの命を受け、実盛と瀬尾十郎がやってくる。腹を裂いて確かめんという十郎。おいっ、そんなことをしたら、葵御前までが死んでまうやないか、といいたくなる狼藉だ。それに、ちゃんと蘇生しないと、男女に関わらず赤ん坊の命だってあぶないぞ。
そこで、拾ってきた腕が役にたつ。葵御前が急に産気づきました、で、産んだのはこれでした、と九郎助の妻が差し出すのは、拾ってきた白い腕。訝る十郎を説得する実盛。それを聞いて納得してしまう十郎。う~ん、わからん。どう考えても生物学的にあり得んだろうが。などと思うのはまだ甘い。十郎が去った後におこるのは、いよいよ超常現象だ。
今でこそ平家方であるが、源氏に恩がある。なので、白旗を平家から守らんがために船上で小まんを切ったのだと明かす実盛。う~ん、小まんの命より白旗が大事と即座に判断して切ったんか。それって、あんまりちゃうんか…。
と思う間もなく、小まんの体が運ばれてきて、そこに腕を継ぎたすと、なんと一時的に生き返る!絶対にそんなことあり得るはずがない、などと否定するようでは文楽を楽しむ資格はない。生き返ったんだから生き返ったと納得せよ。と、自分を言い聞かせるしかない。
身を起こし、太郎吉に語りかける小まんだが、いかがなものか。ずっと生き続けるのならいざしらず、またすぐに死ぬのである。それって、幼い太郎吉にとっては、余計に酷ではあるまいか。

ここらあたりの「前」を語るは六代目・豊竹呂太夫に三味線が鶴澤清介の名コンビ。呂太夫師匠に義太夫の稽古をつけてもらっている不祥の弟子としては、ここで「待ってました、六代目っ!」と、そして、床本を捧げ持たれたところで「呂太夫、清介っ!」と心を込めて大声で叫びたいところだけれど、これもぐっと我慢して、マスクの下でもごもごと言っておいた。
盆が回って、今度は錣太夫・宗助による「後」。なぜか、わざと太郎吉に討たれる十郎。ここで明かされるのは、なんと十郎は小まんの親、なので太郎吉の祖父であること。それやったら、初めからもうちょっと手加減したらどうやねん、十郎。と、思うのはわたしだけではないだろう。
それにつけても気の毒なのは太郎吉だ。ちょいと息を吹き返した母と別れた直後に、知らずにとはいえ祖父を刺してしまったのだから、普通の子なら大ショックで後にPTSDになりそうなもんだ。しかし、太郎吉はしっかりしているのか、すこしネジが緩んでいるのか、そんな素振りは全く見せず、実盛に親の敵(かたき)と斬りかからんとする。う~ん、偉いのかなんだかわからんぞ太郎吉。
というような話でありますが、さすがにちょっと見方がゆがんでいるかもしれません。もっと素直に忠義の物語としてご覧になられた方が、より楽しめるような気がいたします。

久しぶりの文楽劇場での本公演、それも初日の初っぱなだ。太夫さんも三味線さんも気合いが入っているのか、いつもより大音声(だいおんじょう)で届いてきたような気がした。秋の叙勲で紫綬褒章の御受章が決まられた吉田玉男さんの実盛はえらく大きく見えたし、実盛が馬に乗るところや、「やっ!」と玉男さんが声を出して鉤縄を投げるところなんか、かっこよすぎたくらいだ。
新型コロナウイルスのために、床下の席は空けてあるし、隣との間も中央は二席おき、左右は一席おきに空けてある。なので観客は満員になっても平常時の三分の一くらいだろう。ゆったり観られるというのはありがたいが、やはり寂しい。だけど、拍手の音はいつもより大きく感じられた。
錦秋公演のパンフレット、インタビューは玉男さんで、芸に対する真摯な態度だけでなく、久しぶりの文楽劇場での公演やコロナ禍での自主トレーニングのことなど、いつにも増して内容が豊富。あ、パンフレットといえば、幻の四月公演「通し狂言 義経千本桜」のも売店で売られていた。いしいしんじさんの巻頭言「透明な舞台」がむっちゃいいし、たぶんほとんど出回っていないのでメルカリとかでいずれ高く売れるかもしれんと、思わず買ってしまいましたとさ。

大阪市の存続も決まったことだし、って、あんまり関係ないかもしれんけど、こんな時こそ、みんなで大阪文化を代表する文楽を応援せなあかんやろ。と、思っておりますので、皆様なにとぞよろしくお願いいたしまする。

■仲野 徹(なかのとおる)
大阪大学大学院、医学系研究科・生命機能研究科、教授。1957年、大阪市生まれ。大阪大学医学部卒。内科医として勤務の後、「いろいろな細胞がどのようにしてできてくるのか」についての研究に従事。現在、『みんなに話したくなる感染症のはなし』(河出書房新社)が絶賛発売中。豊竹呂太夫に義太夫を習う、読売新聞の読書委員やHONZのメンバーとして書評を書く、僻地へ行く、など、さまざまなことに首をつっこみ、おもろい研究者をめざしている。

(2020年10月31日・11月7日第一部『源平布引滝』観劇)