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国立文楽劇場

浄瑠璃の広がりを堪能

青柳 万美 

文楽人形が登場して鏡開きをしたり、客席にも和服姿が多く、通常なら年間で最も華やかな正月公演。
今年は緊急事態宣言が東京に再び出る中、大阪でも感染者が増えている中での初春文楽公演観劇だった。
客席もまばら。正直「寂しいな・・・」と感じた。が、そのおかげか?
私たちを舞台の世界にどんとひきこむ浄瑠璃がこだまする空間となっていた。
錦秋文楽公演の「再開待っていたよ」というのでもなく、「今しか味わえない(いつ中止になるか不安・・・)」という危機感なのかもしれない。
太夫、三味線、人形の三業に客席も加わって、演じ手はもちろんも観る者も含めて皆が必死となる舞台空間だった。
初めて自分から観劇に赴いたときの心が震えるような感動に等しいものがあった。

不思議な縁というか、その時と同じく、今回の演目も第一部は『菅原伝授手習鑑』で、車曳の段~桜丸切腹の段までのいわゆる佐太村の場面だ。

車から登場した時平公の高笑いのなんという迫力。
現代ならエコーをかけて表現する音の響きが声のコントロールのみで体現され、悪の権化!天下を狙う大悪党!というのがひしひしと伝わってきた。
こうなると人形の動きだけでなく「どんな顔して語ってはるんやろ」と気になるもので、笑いの件が終わるまで床の太夫を凝視してしまう。
そして白太夫の不自然なまでの明るさとそののちの悲劇。
南無阿弥陀仏と鉦を鳴らす際には太夫の声を通じて人形から魂の叫びが届いてきた。

第二部は『碁太平記白石噺』。
田舎娘のおぼこい、でもだからこそ手を差し伸べたくなる様と、その子を売り飛ばそうとする欲深い男を一人の太夫が瞬時に語り分ける妙技。人形の動きだけを観ていたら二人で語り分けていると思う人もいるに違いない。
新吉原では、その娘と今や傾城となった姉が再会する。ここは登場人物のほとんどが女性の場だが、その個性の違いが男性の太夫の声で全て表現されていることに義太夫節の奥深さを考えさせられた。

続く『義経千本桜 道行初音旅』は、幕が開く前から心がときめいた。
鴇色の揃いの肩衣と袴で太夫と三味線が居並んだその眩しさ!
狐が出てきて、その後忠信がいつどこから出てくるのか、わかっていてもドキドキして待ってしまう。
そして、通常の義太夫語りの時とは違った三味線の華やかな音に、義経を恋い慕う静御前と同様、一時夢を見せてもらったような一幕だった。

同じく道行でも、第三部は『妹背山婦女庭訓 道行恋苧環』で、夜の杜という艶かしさも感じられる場に相応しく、三味線の響きもまったく異なる。
三大道行のうちの2つを続けて鑑賞できる今回ならではの気付きができた。

太夫に、三味線に、人形たちに、それぞれについて「今どう演じているのだろう」と意識を向けながら丸一日堪能させてもらった。
便利なことに昨今は配信でも観ることができ、舞台の味わいを届けるようスタッフの皆さんも工夫してくださっている。それでもやはり、その時の自らの気持ちで床を見たり人形を見たりする楽しさには及ばない。

それにしても、江戸時代の人はなんと手間のかかる舞台を考え出したことだろう。
ナレーションと人物の台詞と全てを一人に語り分けをさせ、そこに三味線が加わり情景をより鮮やかにする。
その意味で最小単位のミュージカルである。
一方で、人が演じれば手間もかからずできることをあえて人形を使い、それも今や1つの人形を操るのに3人が必要という複雑なことをしている。
観客としては先に述べたように鑑賞ポイントが多いので、なんとも目まぐるしい舞台鑑賞だ。
そして不思議なことに、見所が山ほどあるにもかかわらず後に残るのは「この物語素敵だったな、やるせなかったな」という作品への思いなのだ。
これはコンサートに行った後の気持ちとよく似ている。
楽譜に込められた音の世界を楽しんだ時のように、劇作者たちが紡いだ言葉の世界を体で味わった気持ちなのだ。
ここに、人形浄瑠璃文楽、という時の「浄瑠璃」の部分があるのだと思う。

舞台上演には困難な状況が続き、観劇したい人もこれまで通りに楽しむのが難しい昨今。
しかし、この浄瑠璃の世界を一人でも多くの方に、叶うなら鑑賞教室などで子ども達にも体感してもらいたいと心から思う。

■青柳 万美
大学卒業後、NHK高松放送局、NHK大阪放送局に勤務。リポーター・キャスターとして、生活情報のほか、伝統工芸や古典芸能にまつわるインタビュー企画など作成。MBSラジオ『あどりぶラヂオ』やFMひらかた『おはラジ TUE』で歌舞伎をテーマに話すなど、古典芸能に馴染みのない人へ向けたきっかけ作りを大切にしている。その一環として会員制オンラインサロン Petit Foyer 歌舞伎倶楽部 を主宰。MBSラジオ『日曜コンちゃん おはようさん』 、タカラヅカ・スカイ・ステージ『NOW ON STAGE』などに出演。

(2021年1月11日第一部『菅原伝授手習鑑』、第二部『碁太平記白石噺』『義経千本桜』、
第三部『妹背山婦女庭訓』観劇)