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国立文楽劇場

心やさしき猿廻し

仲野 徹

画期的な文楽入門書が出た。『マンガでわかる文楽』(誠文堂新光社)がその本だ。サブタイトルに“あらすじから見どころ、歌舞伎との違いまで全部わかる”とあるのはウソではない。この本を読んでわかった。これまでの入門書は、入門書でありながらすこし難しすぎたことが。


文楽とはなにかという超初級の説明と、三業を代表する若手技芸員、太夫の豊竹咲寿太夫さん、三味線弾きの鶴澤友之助さん、人形遣いの桐竹勘次郎さんのインタビュー。そして、四十ほどの代表的演目の紹介から構成されている。


かなり笑えるのは、“勝手に決定! TOP5 クズ男&キャラ立ち女バーチャルインタビュー”だ。栄えあるクズ男1位には『心中天網島』の紙屋治兵衛、キャラ立ち女1位には『仮名手本忠臣蔵』のおかるが選ばれていて納得。


演目のあらすじ紹介がむちゃくちゃにわかりやすい。芸が細かくて、大阪が舞台の世話物は関西弁、それ以外は標準語と書き分けてある。それに、イヤホンガイド解説者の佳山泉さんと漫画家の上島カンナさんが、ボケ突っ込みの漫才さながらに見どころをマンガで解説してくれるのがおもろすぎる。


今月の第二部で上演されている『近頃河原の達引』のページを見てみると“「堀川猿廻しの段」の猿がとにかくかわいい -以上!”とある。は?そ、それだけですか。さすがにあんまりと思われたのか、もうすこし続く。


“一応見どころはいろいろあるんよ。人形がしっかり三味線の稽古をする場面とか。「そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん」っていう有名なセリフもあるし。”ふむふむ、と思ったのもつかの間、“ただ後半の猿にすべてもっていかれる”と、きっぱり。


たしかに猿廻しの猿がやたらとかわいらしい。人形といっても三人遣いではなく、一人遣いのツメ人形ですらない。子供の頃、誰もが遊んだことのある手人形だ。両手で遣われるオスとメスとのお猿さん。それがホントに生きているかのように見えるのがすごい。

    

ひとことでいうと、横恋慕する悪侍に謀られて抜き差しならぬ状況になってしまい、遊女と心中に向かう、という、文楽にありがちなストーリーだ。ひどい目にあわされるのが井筒屋の若旦那・伝兵衛で遊女がおしゅん。おしゅんの母は盲目で家はあばら屋と、極貧をいく家庭で、病気がちの母が三味線を教え、おしゅんの兄・与次郎の猿廻しとで生計をたてている。


「堀川猿廻しの段」の始まりは、母親が三味線のお稽古をつける場面である。それに次ぐ親子の会話から、母は子思いで与次郎はとても親孝行であることがわかる。二人は、伝兵衛が血迷って、おしゅんを傷つけに来はしまいかと心配し、おしゅんに別れ状を書かせる。貧しいながらも三人がそれぞれを優しく思いやる心に泣ける。


寝入ったところへ伝兵衛がやってくる。気づいた与次郎は伝兵衛を家に入れまいと追い出したつもりだったが、慌てふためいていたために間違えて、おしゅんを家の外に押し出し、伝兵衛を家の中へと入れてしまう。そして、伝兵衛に別れ状を読ませるが…


おしゅんの心根を知った母は、「賤しい勤めする身でも女の道を立て通す」のがよかろうと、伝兵衛と共に行くことを許す。そして、門出の祝い(といっていいのだろうか)としての猿廻しとなる。おしゅんも、母親も、与次郎も優しすぎるほどに優しい。


お猿さんに目を奪われがちだが、視線を移せば、おしゅんと伝兵衛、そして母親が、身じろぎもせず猿廻しを見つめている(母親は盲目だけれど)。この三人と明るく猿を遣う与次郎、皆の心にはいったい何が浮かんでいるのだろう。表面上は明るく笑える猿廻しだが、そのシチュエーションは悲しすぎる。


少し前に、女流義太夫の鶴澤寛也さんの『はなやぐらの会』で、人間国宝・竹本駒之助師匠による猿回しの段を聞く機会があった。その時は、しみじみとした感情が強くかきたてられた。しかし、そこへ人形がはいると、滑稽さがおおきくかぶさってくる。これぞ文楽、三業一体の醍醐味だ。


暗闇の中、与次郎が誤って伝兵衛を家にいれてしまうシーン、怖がる与次郎が別れ状を箒に乗せて伝兵衛に差し出すシーン、そして猿廻しのシーン。語りの妙もあって、思わず笑わずにはいられない。そして、笑い終えては悲しさと切なさが一段とつのりくる。


終了間際の数分間、猿廻しの人形に集中してしまう、というのは、決して人形の動きだけによるものではない。三味線と語りがあってこそのものだ。三味線も義太夫も明るい。もちろんお猿さんも明るい。しかし、その明るさがあるからこそ、悲しさがさらに引き立てられるクライマックスシーンである。


おしゅんの「そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん」というセリフは、『艶容女舞衣』のお園の「今頃は半七さん、どこにどうしてござろうぞ」と並ぶ、浄瑠璃界の二大有名フレーズだ。豊竹呂太夫師匠が語られる「そりゃ聞こえませぬ伝兵衛さん」から始まるクドキと、母親が考えを改めるシーンとで二回も拍手がわきおこった。段の半分で二度も拍手があるのは珍しかろう。鶴澤清介師匠の三味線も素晴らしく、いつもどおりお二人の息もぴったり。もちろんお猿さんの大熱演にも拍手喝采。お猿さんは黒衣で顔が見えないのだが、桐竹勘介さんが演じられているそうな。


国立文楽劇場開場35周年記念で、『仮名手本忠臣蔵』が4月、7月、11月と三回に分けて通しで演じられる。文楽劇場も気合いがはいっていて、HPに、細川貂々さんの書き下ろし「忠臣蔵まんが」がアップされている。『マンガでわかる文楽』でも“よくわかる!『仮名手本忠臣蔵』完全ガイド”として20ページ以上にわたり詳しく説明されている。さすがは文楽界のチャンピオン演目、忠臣蔵が演じられる第一部はほぼ満席らしいが、残念なことに第二部には土曜日でも空席があった。


しかし、面白さからいくと、第一部で演じられる大序から四段目と比べて、近頃河原の達引は全くひけをとらない。いや、猿廻しがある分、『近頃河原の達引』の方が面白いかもしれない。第二部のもうひとつの演目、『祇園祭礼信仰記』も、桜が満開の金閣寺のしつらえが豪華で見応え十分。おののがた、これらを見逃す手はあるまいぞ。

■仲野 徹(なかのとおる)
大阪大学大学院、医学系研究科・生命機能研究科、教授。1957年、大阪市生まれ。大阪大学医学部卒。内科医として勤務の後、「いろいろな細胞がどのようにしてできてくるのか」についての研究に従事。現在、『(あまり)病気をしない暮らし』(晶文社)が絶賛発売中。豊竹呂太夫に義太夫を習う、HONZのメンバーとしてノンフィクションのレビューを書く、など、さまざまなことに首をつっこみ、おもろい研究者をめざしている。

(2019年4月13日第二部『祇園祭礼信仰記』『近頃河原の達引』観劇)