国立文楽劇場

元禄の浅草キッド

黒澤はゆま

昨年の紅白、観客も視聴者も息を呑んだビートたけしの「浅草キッド」は、彼のかつての相方を思って書いた曲だという。同名の小説でマーキーと呼ばれている彼は、たけしと笑いのセンスが似ていながら、実力の差に悩まされ、ついには心を病み、自殺未遂をして芸人の道をあきらめた。

歌詞のなかの、

「夢はすてたと言わないで」

は万感の思いが込められたものなのだろう。

今回『傾城反魂香』の「土佐将監閑居の段」を観劇しながら、私はどうしたことかこの曲が頭に響いて仕方がなかった。

『傾城反魂香』は戦国時代の高名な絵師狩野元信の百五十回忌を当て込んで書かれた作品である。土佐光信がモデルの土佐将監も出てくるが、ストーリー展開は文楽の例にもれず、史実とはあまり関係がないオリジナルである。

「土佐将監閑居の場」の主役の絵師又平にもモデルがいる。

織田信長の部将、荒木村重の息子、岩佐又兵衛である。又兵衛も本来、武士として立身するはずだったが、村重が信長に謀反したため全てパーになる。母親含めた一族はほぼ族滅。まだ赤子だった又兵衛だけ乳母の手で救出され、流浪の生活を重ねた末、絵師になったといういわくつきの人物だ。

一族が皆殺しになる凄惨な光景が深層心理のどこかに植え付けられていたのか、鮮血の飛び交う修羅場を書くのが得意で、転がる生首、真っ二つになる胴、笑いながら女を殺す男など、その絵には残忍なモチーフが随所にちりばめられている。

しかし、それでいて決して卑俗な印象は受けず、何とも言えない色気とともに、凜とした清冽さがその絵にはあるのだ。

実在の又兵衛には吃音があったらしいが、それが文楽の又平の人物設定にも反映され、 物語の重要なキーとなっている。

「土佐将監閑居の段」に登場する又平は絵の腕は確かでも、吃音のため弁が立たず、風采もぱっとしない人物だ。旅人がお土産に買う大津絵のバイトで糊口をしのいでいる。

一方、弟弟子の修理之助は、まだ少年にも関わらず、狩野四郎次郎元信が書いた、魂の宿った虎を筆でかき消した功によって、土佐光澄の名と免許皆伝の書を、師土佐将監から与えられる。

そのことを知った又平は、妻おとくとともに、自分にも免許皆伝を許してくれるよう将監に頼み込む。

しかし、腕はあっても又平にはまだ何の功績もないことから将監は、許そうとしない。又平の訥弁をなじってもいるので、口が不自由なことのコンプレックスが絵にもどこかあらわれて、物足りなさを感じていたのかもしれない。

又平と違って、弁のたつおとくが立て板に水で頼んでも無駄である。

そこへ、元信の弟子の雅楽之介が、加勢を求めて飛び込んでくる。師元信の姫が敵に奪われたというのだ。

これはチャンスと姫を救う使者を買って出るが、弁の立たない又平に任されるわけもなく、弟弟子の修理之介が役を負う。

窮したオッサンの又平は、前髪の少年の修理之介に役目を譲ってくれるよう取りすがるが、将監から「武功を立てても土佐の名字はやれない」と叱られる。

又平はついに絶望し、妻からも「もう死ぬしかない」と告げられる。

夫婦涙にくれ、せめてもこの世の名残に自分の姿を描き残さんと、手水鉢に自画像を描く。

「名は石魂に止まれ」

ところが、決死の覚悟で振るった筆跡は、その一念で手水鉢を貫き、裏側にまで突き抜けていたのである。

「我が姿を我が筆の、念力や徹しけん」

この有様を見た師将監は、又平がついに絵師として大成したことを認め、土佐光起の名を与え免許皆伝とし、姫の救出を命じたのだった。

以上が簡単な「土佐将監閑居の場」のあらすじだが、浅草キッドが聞こえてきたのは、又平が「もう死ぬしかない」とこぼす辺りだった。

元禄の世にも、夢を抱きながら、冒頭のマーキーのように、道半ばであきらめざるを得なかった人は大勢いただろう。

それはマーキーのようにどうしようもない実力の壁だったり、又平のように生まれつきの障害や世渡り下手のせいだったかもしれない。

たけしは火事で横死した師深見千三郎や、マーキーをはじめとする、修業時代の仲間たちに対し、自分だけ売れてしまったという負い目をずっと持ち続けている人なのだという。近松門左衛門の仲間と言えば 、師宇治嘉太夫や、盟友の竹本義太夫、坂田藤十郎が有名だが、それ以外にも、「念力や徹しけん」の一歩手前で敗れ去った、無名の仲間がいたのに違いない。

というか、近松自身、当代きっての浄瑠璃語り、宇治嘉太夫に弟子入りしたくらいだから、もともとは太夫になりたい人だった可能性がある。当時、浄瑠璃の筋は、演者自身が書くのが普通だったのだ。近松は、いわばシンガーソングライター希望だったのに、どうしたわけかソングライターになったのである。ひょっとしたら、シングの方に、何か問題があったのかもしれない。

だとしたら、又平の人物造形には、特異な経歴を持つ実在の天才絵師のほかに、近松のかつての仲間、そして彼自身の蹉跌が重ねられていることになる。

舞台の上の又平はモデル達と違って夢がかなって、大頭の舞いを舞い、勇躍して使いに出発する。

「師匠の御恩を頭に戴き、どうどうどう。力足踏む又平は、今ぞ出世の金頤、あつぱれ諸人の絵本ぞと、勇み勇んで急ぎ行く」

それは、近松にとって、自分自身と仲間の果たせなかった夢の救済だったのだ。私は「土佐将監閑居の段」を、近松が己の青春に捧げた挽歌として見たのである。

私自身が「念力や徹しけん」の境地に至るのはいつの日になるだろうか?

そんなことを思いながら、観劇後、夜の巷をほろ酔いでぶらつきつつ、そっと口ずさんだったのだった。

「夢はすてたと言わないで」

■黒澤はゆま(くろさわはゆま)
作家。1979年生まれ。宮崎県出身。九州大学経済学部経営学科卒業。九州奥地の谷間の村で、神話と民話、怪談を子守歌に育つ。小説教室『玄月の窟』での二年の修行の後、2013年『劉邦の宦官』でデビュー。大阪府在住。

(2020年1月11日第一部『七福神宝の入舩』『傾城反魂香』『曲輪ぶんしょう』観劇)