日本芸術文化振興会トップページ  > 国立文楽劇場  > 忠臣蔵が愛され続ける理由

国立文楽劇場

忠臣蔵が愛され続ける理由

黒澤はゆま

私は小説家なので、文楽を見るとき、どうしても脚本や演出の意図を読み取ろうとしてしまう。

何をフォーカスし、何をぼかし、何をカットしたか?

そして、それは何故か?

分析の結果、作り手側の心理を読み取ることが出来ると、非常な喜びを感じてしまうわけだが、何とも因果な商売である。

そして、作り手側の意図を知るためには、観客の心理も知らなくてはならない。

例えば、11月文楽公演では、最初の段が「道行旅路の嫁入」だった。

タイトルに入っている通り、いわゆる道行物だ。

道行物は、現代の感覚だと、あまり物語が動かないので、見ていて退屈だったりする。

しかし、それでも定番なのは、何故か?

これは道行がかつて旅行の疑似体験に他ならなかったからだと思う。

人形浄瑠璃が出来た江戸時代、旅行は一般的でなく、人生に一度、お伊勢参りが出来ればよい方だった。

そんな人々からしたら、富士山や琵琶湖、名のみ聞く景色が、舞台にあらわれるだけでも大興奮なのである。

ひと昔前、海外旅行と縁遠い庶民は、「兼高かおる 世界の旅」などの旅番組を見て、行った気になっていたものだが、道行の機能はそれに近かったと思う。

演出する側からしても道行は便利だっただろう。ホームランは狙えないが、確実にヒットを打てる。短く持ってコツン。そんな題材だったに違いない。テレビ業界には「困ったら犬か子供かラーメンを出せ」という格言があるらしいが、それと似ている、多分。

一方、これは絶対ホームランだろうというシーンを、丸まるカットしてしまうこともあるから文楽は面白い。

「天河屋の段」が終わり、さぁいよいよ討ち入りだと思っていたら、幕が開いて目に飛び込んできたのは、雪景色のなか意気揚々と引き上げる浪士たちの姿だった。

にっくき仇の高師直は、もう首になっている。

あれれ?と思ったが、聞くとこれは江戸時代からなのだという。

初めは討ち入りシーンもあったが、人形浄瑠璃では何回かでやめ、歌舞伎の方にだけ討ち入りが残ったとのことだった。

『仮名手本忠臣蔵』は、この作品の題にちなんで、史実の赤穂浪士討ち入り事件まで「忠臣蔵」と呼称されるようになったくらい、忠臣蔵モノのなかでも古典的な作品である。

そのため、以後の忠臣蔵の作品では必ずクライマックスに持っていくシーンは、ベタにこってりと描写すると思っていたのだが、私の考え方自体がベタだったようだ。

実際に人間の肉体を使う歌舞伎と違い、人形の文楽ではチャンバラ劇もそこまで迫力が出なかったのかもしれない。

作り手側は、客の反応を見て、討ち入りシーンなしと判断したのだろう。

勿論、そこには、討ち入りに至る過程、そしてその後を丹念に描くだけで、十分勝負できるという計算があったはずだ。

かつて、日本三大仇討ち「曾我兄弟の仇討」「伊賀越えの仇討」「忠臣蔵」といえば、子供でも諳んじることの出来るくらい、メジャーな物語だった。しかし、「曾我兄弟の仇討」「伊賀越えの仇討」については映画もテレビもまったく取り上げなくなって久しい。

社会が発展し、世の中が複雑になるにつれ、旧来の復讐譚が、求められなくなってきたからだと思う。

だが、「忠臣蔵」だけは、今年も新しく映画化されたように、まだまだ生き残っている。

それは、この物語に求められているものが、他二つとは少し違うからだろう。

そもそも観客が「忠臣蔵」に求めていたのは、単に仇を血祭りにあげることではなかったのだ。

でなければ作り手側も、いくら演出上の問題はあっても、最大の山場であるシーンを丸まるカット出来なかったはずだ。

江戸時代のころから、「忠臣蔵」に観客が求めるものは、塩谷判官の無念であり、早野勘平のような仇討ちに参加したくてもできなかった者の葛藤であり、時に韜晦しつつも浪士たちをまとめあげ仇討ちをやりおおせた大星由良助の労苦であったのだ。

そして、最大のカタルシスを得るはずの、高師直を討ち取るシーンが描かれないことによって、光明寺での焼香のシーンは、清浄ながら虚ろで悲しい響きを感じる。

私たちは、大星が勘平の義兄、平右衛門に二番焼香を許す気遣いに感動しながら、彼らがこれから辿る運命を思い、ひいては復讐の無為さに気づかされるのである。

この感興は、現代人だけでなく、江戸時代にこの作品を見た観客も皆等しく覚えたものだったに違いない。

「忠臣蔵」ははじめから現代でも通用するような複雑さ、奥行きを持ったコンテンツだったのだ。

さすがに一頃と比べたら数は減るだろうが、「忠臣蔵」は今後も映画やテレビ、小説で取り上げられ続けるだろう。そして、過去作られ、今後も作られ続ける「忠臣蔵」ものの原点はまぎれもなくこの『仮名手本忠臣蔵』なのである。

■黒澤はゆま(くろさわはゆま)
作家。1979年生まれ。宮崎県出身。九州大学経済学部経営学科卒業。九州奥地の谷間の村で、神話と民話、怪談を子守歌に育つ。小説教室『玄月の窟』での二年の修行の後、2013年『劉邦の宦官』でデビュー。大阪府在住。

(2019年11月24日第二部『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』(八段目より十一段目まで)観劇)

  • 歌舞伎・能楽・文楽鑑賞教室のご案内
  • バリアフリー情報
  • 会員募集中! 国立文楽劇場友の会
  • グループ・団体観劇のご案内
  • 快適なご観劇のために
  • 伝統芸能を「調べる」「見る」「学ぶ」文化デジタルライブラリー
  • 伝統芸能に興味津々 養成事業
  • 芸術の創造・普及活動を援助する 芸術文化振興基金
  • 国立文楽劇場 出版物のご案内