国立文楽劇場

無音という音楽、仮名手本忠臣蔵
暑さ忘れる夏の宵、国言詢音頭

たきいみき

なかなかタイミングが合わず、今回が今年初の観劇となりました。
第2部の「仮名手本忠臣蔵」と第3部の「国言詢音頭」

いつも観劇日が近づいて来ると、ワクワクして遠足前の小学生状態になるのですが、今回はちょっと違ってました。
ワクワクには変わらないのですが、観劇の2日前。
今回の第3部について、落語家の桂吉坊さんの、

 「こえええ。怖すぎる、というか引く恐ろしさ。」

というご感想を発見してしまったのです。
終演後にお知り合いを見つけるも、お互い会釈程度で会話のできる雰囲気でない余韻だった、と。

え???
引くほど怖いって、なにが行われるの???
第2部は「忠臣蔵」の中でも超有名なエピソード、おかる・勘平夫婦の物語、一力茶屋の五、六、七段目だからワクワクはそのままに、
予備知識無しの第3部、何が起こるのかを新鮮に楽しみたいから、もう予習しないで行こう!と覚悟を決めたのでした。

そして当日、第2部開演の15分前に劇場に到着すると、さすが人気演目、客席は超満員!
満員の客席は、演者としても観客としても盛り上がります。

五段目の幕が開くと、常よりも暗い舞台。上手床のロウソクの灯りが何時もよりも煌々として見える。
運命の歯車が狂いだす出会いにふさわしい闇。

視覚的な部分では、一力茶屋での密書を読む由良助、床下で盗み読む九太夫、手鏡で覗くおかるの3人の構図が美しく、心打たれた。
斬りかかる平右衛門の刃をかわす、おかるの投げた紙が倍にもなってひらひらと舞う瞬間も美しい。

そしてなにより、一力茶屋の段は太夫さんが一人一役で語る演出が新鮮。
肩衣も役毎に違ってたりして目に楽しいし、平右衛門は下手の仮設の床で語られるのがわかっていても、登場におおおっ!となる。
「いつも」をはずされる、うれしい裏切り。

ひとつの役にひとりの太夫さんがつくことで、他者と会話を交わすという状態になるためだからなのか、おひとりで語られるときとはまた一味違う「芝居感覚」を感じられてとても楽しかった。

第2部で一番印象的だったのは、無音の時間、2ヶ所。
勘平が猟師姿から紋付きに着替え、刀を取り出し、刀身に我が身を映して身繕いする時間。1分半くらいかと思うけど、突然の無音に、只事ではない気分にさせられる。
そして、一力で由良助が眠ったあと、平右衛門が立ち去るまでの時間。

衣擦れ、客席からの咳、空調の音だけ。
なんてドラマティックなんだろう、とこちらも固唾を呑む。
こう書いていると、ジョン・ケージの4分33秒を思い出した。

ふと、音楽の流れが止まることでこんなにも想像力を刺激され、五感を開かされることに感激したし、そこに至るまでの曲の構成、音楽性の素晴らしさを再確認。

今現在使われている演劇的手法のお手本がいーーーーっぱい詰まってる。
まさに、「演出の宝石箱や~」と、浮かれてしまった。
目にも耳にも、とても豊かな時間を堪能させていただいた。

余談ですが、一力さん、元の屋号は「万屋」。
この芝居で、内蔵助→由良助と変えられているように、万屋さんも、万の字を解体して、「一」と「力」にわけてのアレンジネーミングだったそう。
でも、あんまり芝居が流行ったものだから、本家のほうが芝居に合わせて「一力」に名前を変えたんですって。

「忠臣蔵」は文句なしに面白い!
次の公演もすでに楽しみでたまりません。

そしてそうして、第3部。。。
もう、なんと言っていいかわからないんですけど、
1788年初演のこの演目、
「籠釣瓶花街酔醒」(1888年初演)と、
「夏祭浪花鑑」(1745年初演)と、
オスカー・ワイルドの「サロメ」(1893年出版)の
美味しいとこ全部盛り!!みたいなお芝居でした。
もう、エゲツナイ、のヒトコトです。(褒め言葉)

田舎侍が入れあげた遊女にコケにされた!とキレて、その遊女と恋人の男を殺戮するというストーリーは、「国言詢音頭」と「籠釣瓶」は似ている。
ただ、こちらは彼氏(仁三郎)が生き残るのと、菊野が仁三郎の許嫁に対してめちゃくちゃ気を使ってていいやつなのであることがこのあとの惨事を、より嫌な感じにしてくださる。

最もエゲツナイのは、サロメ的場面。
初右衛門は「仁三郎はどこじゃ~!ぬかせ~!」と菊野の首を締め上げながら問うのだけど、その時の千歳太夫さんの声と顔が恐ろしい。(褒めてます)

足が宙に浮くほど吊し上げられながら、答えられるかいな!と、ビビリつつも内心突っ込んでいられたこのときの私はのちに、この夏一番の肝冷えを体験するとは思ってませんでした。

菊野を何度も串刺しにした後、首をはねちゃったときには、繰り広げられる大惨事を目撃しながら「え、マジで?」と口に出してしまったほど。

そして、「髻摑んで搔き切る首、血に染む丹花の唇をねぶり廻して念晴らし」

サロメも、自分を振った男の生首を所望し、その冷たい唇に口づけして大喜びする狂気のお姫様なのだけど、こんなにもエゲツナクはない。
「ひえぇぇぇ~」と、もう、座席におとなしく座ってられない状態に。
次々に人形のギミックをフル活用しながら、人物が殺されていく。
暴力、マックス。
うかうか出てきちゃった最後の一人、もう、気の毒としか言いようがない。
唐竹割で、お顔パッカーン。
五人伐の段、だから、五人で終わるはず、舞台上には四人の亡骸、とするとこれで終わりだと、申し訳ないけど、ややホッとしてしてしまった。

だけど、芝居はナマモノ、その日の芝居を作る要素の一つは観客。
この日は、菊野が首をはねられたときも、女中が胴切りされていくときも、やや笑い声が起こった。
笑っちゃうくらいエゲツナイ、って感じと、人形ならではの演出に湧いた、という感じが近かったように記憶している。

なんというか、息もできない!って感じにならず、私としては救われた気がした。今日は、こういう空気の日だったんですね。だから、お芝居って同じ公演を何度か観たくなる。

そして、重苦しい気持ちながらも、友達に出会ったら「いや~すごかったねぇ~」くらいのノリで話せそうだったのは、ラストシーンのお陰もあるかも。

「夏祭浪花鑑」を彷彿とする、血に染まった体を洗い流す仕草。
と、舞台に本水の雨が降る、視覚的な美しさへの驚き。

キラキラ光る雨粒の向こうで、傘をさし「弥陀仏の西の国へと急ぎ行く」初右衛門の胸の内が伝わって来るような時間。
虚しい、割りきれない、やるせない、言葉にできないモヤモヤした初右衛門の気持ちと、彼のこれからを想像させられたことが、エゲツナイだけの芝居ではない、人間を描いてくれていたから。

■たきいみき
舞台女優。大阪生まれ。
主演作に「黒蜥蜴」「ふたりの女」「夜叉ヶ池」(演出:宮城總)、「令嬢ジュリー」(演出:フレデリック・フィスバック)など。野田秀樹作、オン・ケンセン演出「三代目、りちゃあど」では歌舞伎や狂言、バリ伝統影絵などジャンルを超えたメンバーと共演の他、クロード・レジ「室内」、オマール・ポラス「ドン・ファン」など、海外の演出家とのクリエーション作品も多数。

(2019年8月1日第二部『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』(五段目より七段目まで)
第三部『国言詢音頭』観劇)