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国立文楽劇場

魔法がかかるまで

やぶくみこ

ここ3年くらいで、文楽がすっかり好きになり、年に何度かの公演がとても楽しみで仕方ない。
どうやら語りと三味線、三人で操られる人形の動きとドラマにやみつきになってしまったようだ。音を浴びにいくという感覚もある。義太夫の声には人をリラックスさせるような音と、覚醒させるような音が入り混じっていて、観劇中はその間をゆらゆらと漂う。
少し前に住んでいた家の隣人は若い人だが、伝統芸能が大好きな人で、大音量の義太夫節が聞こえてくることがあった。それはどうやら彼にとっての目覚ましだったらしい。なんてゴージャスな目覚ましなんだろう。覚醒としての義太夫節は隣人の目覚ましが原点だ。

この冬に私はタイに2ヶ月滞在していた。帰国する数日前にバンコクでトミー・ハンソンというアメリカ出身のダブのミュージシャンと話していた。彼の今の一番の興味は魔法。 彼は演奏家というよりは、共演者の音をつなぐ音の交差点のようなポジションで、私の演奏する音をマイクやピックアップで拾って、そのまま出る音と、ループを加えたり、エフェクトをかけた音を出したりする。
タイ仏教のお札がスピーカーや音響のダイヤグラムの図に似ているところから、これは音楽と深く結びついていると直感し、以後タイのおまじないや魔法について調べているそうだ。そしてお経などの言葉の順番を変えることで鍵をかけているらしいという話をしていた。
「物事には順番があって、そのとおりに行わなければ”魔法”は絶対にかからないのだ」と。
日本の茶道とか伝統芸能はそんな風にできてるんじゃないかな。日本に限らずだけど、アジアの国に住んでいてそう感じると彼は言う。

4月になり文楽を観にきた。
文楽の魔法についてぼんやりと考えていた。
ロビーに入るなり聞こえてくるBGMからもう魔法は始まっているのかもしれない。

やはりはじめは拍子木の音から。
横にうーーーーんっと幕が開く音と、演奏者ののった盆が回る音。黒衣さんの演目の読み上げと太夫と三味線弾きを紹介する声。
この音がないと始まらないのだ。
そして客席からは「待ってました」の掛け声。

「祇園祭礼信仰記」
テンポ感のよいパキっとした作品。舞台左手のカーテンがシャーっと鳴る音がして、人形が出てくる。
拍手が鳴る。日によって拍手が大きかったり小さかったりする。
舞台は観客によってもつくられている。
太夫の声と三味線の音によって、音の魔法が始まる。2時間あまり音の船に乗るような気持ちになる。
東吉が活躍するシーンでは三味線の音はひたすらかっこいい。どうしてこんなかっこいいフレーズばかり集まるのだろうというくらいかっこいい。
名剣倶利伽羅丸に光が反射して、庭の滝に龍が浮かぶのはお話の中の魔法。
そして縄にかかった雪姫の姿。雪姫がひとりになる場面ではうんと音の数が少なくなって、あたりの音がよく聞こえるようになる。風にのって鐘の音が聞こえるよう。やがて雪姫は足で桜の花びらを集めて鼠を描く。描いている間には願いを込めるように繰り返しの音楽のフレーズがつづく。
やがて鼠が生まれ、雪姫の縄を食いちぎり、花となって消えていく。
東吉がさっそうと現れ、かっこいい音の流れに変わり、東吉=真柴久吉が桜の木を登るにつれて音も高揚していく。登場人物の本当の名前が現れる展開もクライマックスが良い流れである兆しのように思える。
桜の木に登るにつれて、金閣寺の2階、3階がみえてきて舞台もどんどん変わっていく。2階での大立ち回りでは、切られた人形が顔が半分になったり、腕がちぎれたりして、これも実写では到底かなわない人形ならではリアリティー。
狼煙があがって、雰囲気がすっと落ち着く。
演目の終わりごろには太夫が盆の内側へにじり寄る。
本を掲げて、礼をされて盆がくるりと回る。回ったらもう誰もいなくて、休憩だとわかる。

「近頃河原の達引」
1つ目の演目とは打って変わって、黒い幕と一本の松というシンプルな舞台ではじまる。
はじめのシーンの印象は重たかった。女性の気配を思わせるような雰囲気で入ってくる御簾の向こうで演奏される三味線の音と太棹三味線のコントラスト。
喧嘩の後にぱっと背景が変わる。目に入っていなかった景色が急に目に飛び込んでくるみたいなことを観客も体験する。太棹三味線の音が心地よい。ひと息と鐘の音。
のちに現れる久八という人は伝兵衛の味方。伝兵衛と違って軽やかだ。2回くりかえして話したりする言葉遣いも軽い。風のような人。

シーンが変わって、地歌の稽古のシーンからはじまる。
人形が弾く姿と、実際の演奏者が弾く姿が重なるのが面白い。そして歌の景色と境遇の重なりがお話をいっそう深めていく。
竹本津駒太夫さんの抑揚のきいた声が素晴らしく、時に本当に色っぽくてドキリとする。もちろんお一人で語られてるのだけれど、声を出している人が複数いるとふつうに錯覚してしまう。
「人の落ち目を見捨てるのは廓の恥」とおしゅんの思いつめた表情と、猿廻しの兄の与次郎の軽やかさのコントラストが際立つシーンがある。仕事から帰ってきた兄、自分で部屋に戻るお猿。
兄は妹が心配で好きなものも喉を通らない、南無阿弥陀仏だとかいいながら普通にごはんをモリモリ食べて、おかわりもしている。心のどこかで大丈夫だと信じている。
おしゅんに伝兵衛宛に離縁状を書くようにせまる母と兄、そして書くおしゅん。書いている間の三味線の音は不規則で、そして絶妙すぎる音の弱さと強さを行き来する。
おしゅんに書かせた離縁状は、実は伝兵衛と生死を共にする覚悟であるという書き置き。
夜中に忍んで来た伝兵衛にその書き置きをほうきに載せて渡す。母は盲目、兄は字が読めない。
家族を思い、愛する人と添い遂げるおしゅんの覚悟と、母と兄の伝兵衛への信頼が交差する。
涙涙のシーンは豊竹呂太夫さんの声がたまらない。全員が泣いている、三味線の音がどんどん速くなる。速い音なのに、粒立ちが丸々していて、涙の粒のよう。
雰囲気ががらりと変わり、旅立ちの場面。
門出を祝う猿廻しの芸で演奏された三味線の二重奏は、余白があるのに隙がない演奏で、観終わったあとしばらく感動して動けなかった。

細部に宿る音の魔法にすっかり魅了された夜だった。

■やぶくみこ
音楽家/作曲家。1982年岸和田生まれ。英国ヨーク大学大学院コミュニティーミュージックを修了。舞台音響家を経て音楽家へ。東南アジアや中東の民族楽器を中心に国内外の舞台音楽の作曲、演奏や他ジャンルとのコラボレーション多数。2015年にガムラン・グンデルによるソロアルバム「星空の音楽会」。2016年に箏とガムランと展覧会「浮音模様」を美術家かなもりゆうこと発表。即興からはじめる共同作曲の活動にも力をいれている。京都市在住。

(2019年4月29日第二部『祇園祭礼信仰記』『近頃河原の達引』観劇)