国立文楽劇場

素浄瑠璃の楽しさ

久堀 裕朗

 「素浄瑠璃」って何かご存じでしょうか。人形が付かない、太夫と三味線だけによる浄瑠璃の演奏のことです。「じゃあ、素浄瑠璃は素うどん、人形浄瑠璃は具の入ったうどんのようなものか」なんて想像されるかもしれません。そう考えると「せっかくなら具が入っている方(人形浄瑠璃)がいい。素うどん(素浄瑠璃)だと物足りない」ということになってしまいそうです。でも、それは違います。落語やオペラを音だけで楽しむことができるように、浄瑠璃も舞台や人形なしに大いに楽しむことができます。人形浄瑠璃(文楽)を観る場合とは、少し楽しみ方に違いがあるのです。

 例えば、素浄瑠璃の場合、語られる物語を聴きながら、それぞれの場面を自由に想像することができます。舞台だと、劇場の決まったスペースの中で、限られた数の人形しか登場させることができませんが、想像では何でもアリです。映画監督にでもなったつもりで、どうぞ頭の中に自分好みの映像を作り上げてお楽しみください。人形遣いが足りなくなるなんていう心配もご無用。多くの武者が入り乱れる一ノ谷の合戦シーンを思い浮かべるのもよいでしょうし、人間に化けた狐が正体を現したり、急に消えたりするシーンを映像化することも、想像の世界では自由自在です。主人公が「ほろりとこぼす涙の露」(一谷嫩軍記)を、ズームアップして眺めることもできます。

 素浄瑠璃の長所は、それだけではありません。「素浄瑠璃って難しそう」と思っている方がおられるかもしれませんが、素浄瑠璃で聴くと、物語の内容が意外とよく頭に入ってきます。これは、より注意深く語りの言葉に耳を傾けることによって、細かなところまで聴き取ることができるからでしょう。また聴くことに集中すると、浄瑠璃の音楽的なおもしろさもわかりやすくなります。ふつうにしゃべっていたお姫様の言葉が、いつの間にかメロディーが付いて歌のようになったり、しばらくするとまた元の調子にもどったり、浄瑠璃の語りは音楽的にも非常にユニークです。素浄瑠璃で聴くと、そんな浄瑠璃の音楽的なおもしろさがいっそうよくわかると思います。そして、人物の感情や場面の状況などを音で描き出す三味線の多彩な表現も、より細かいところまで聴き取ることができるでしょう。狐の告白(義経千本桜)に耳を傾けると、ちょっとあやしげで不可思議な三味線の音がところどころに聞こえてくるはずです。

 ですから、「文楽には興味があるけれど、素浄瑠璃はちょっと……」という方がおられましたら、とりあえず食わず嫌いをせず、ぜひ一度、素浄瑠璃の会にも足をお運びください。きっとこれまで以上に文楽が好きになるはずです。

■久堀 裕朗 (くぼりひろあき)
1970年大阪府生まれ。京都大学文学部卒。大阪外国語大学(助手・講師・助教授)を経て、現在大阪公立大学大学院文学研究科教授。研究テーマは日本近世文学、主に人形浄瑠璃史。主な著書に『上方文化講座 義経千本桜』(共編著)、論文に「近松浄瑠璃における作品構想の連関― 『堀川波鼓』『松風村雨束帯鑑』『鑓の権三重帷子』を例に―」「淡路座の『仮名手本忠臣蔵』―現行文楽との相違とその価値―」など。