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国立文楽劇場

大河の風格 仮名手本忠臣蔵を観る

三咲 光郎

 平成最後の、というフレーズは聞き飽きるほど耳にしましたが、万年初心者ファンとして文楽を楽しんできた身としては、感慨をこめて言わせてほしいものです。
 平成最後の文楽公演です、と。
 そして今回が国立文楽劇場開場三十五周年記念『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』の第1弾。
 夏休み公演、11月公演と連続して、全段を上演する壮大な大河企画です。平成から令和をまたぐ楽しみな1年になります。

 4月公演の第1部は、大序の「鶴が岡兜改めの段」から四段目「城明渡しの段」まで。元禄赤穂の事件史でいえば浅野内匠頭(劇中では塩谷判官)の切腹、赤穂城明渡しまでが描かれます。私が子供の頃は、毎年冬になると、山下達郎の歌が流れるようにテレビで忠臣蔵のドラマか映画が流れていて、忠臣蔵のお話も自然と知ったものでしたが、最近は見かけないですね。若い人に訊いても、忠臣蔵を知らない人が多い。「殿中でござる」とか「四十七士の討ち入り」とか言っても「はあ?」と首を傾げられてしまいます。忠臣蔵だけではなくて、八百屋お七はもちろん、四谷怪談のお岩さんすら知らない若者がたくさんいます。ショックです。今公演では赤穂城明渡しまでです、と言って万人に通じていると思い込んでいるのは私の世代まででしょうか。
 若い方に限らず、忠臣蔵ってどんなだったっけとお思いの方は、このホームページ内に『仮名手本忠臣蔵』の特集ページが公開されています。おもしろくて為になりますのでチェックしてみてください。

 えらそうに言う私ですが、忠臣蔵の有名な場面、エピソードをぼんやりと知っている程度で、通し狂言は初めてです。今回、大序から四段目までを観劇して、びっくりしました。実は、「忠臣蔵って、ちょっと重たくて堅苦しいかな」と思っていたイメージが、ひっくり返ったのです。おもしろい。3時間半の上演があっという間に過ぎてしまった。「寝落ち」無しです。
 このおもしろさの理由は、何といっても、太夫、三味線、人形がオールスター体制で臨む意気込みの強さです。飽きさせません。堂々たる大河ドラマの布陣といえばいいでしょうか。

 物語の設定も完璧です。
 勝てるはずのない強大な悪(高師直)に対して、自分たちの一番大事なもののために命を賭して戦う。実に明快なテーマが示されて、幾つもの個人のドラマがその成就(仇討ち)に向かって収斂していきます。主人公、ヒーローの大星由良助は、四段目の後半でようやく登場。主君の許へ駆けつけても、今はまだ状況に受け身のままで、城明渡しに従うしかありません。しかしその重厚で意志的な存在感が半端でない。この男なら不可能をきっと可能にさせるに違いない。そう感じさせ、応援したくなるヒーロー像の設定も完璧です。

 有名なサイド・ストーリーも通し狂言の中で楽しめそうです。四段目までの流れで私が気になった人物は二人。加古川本蔵と早野勘平です。どうして気になったのかといいますと、さっき私は、個人のドラマが仇討ちに向かって収斂していくといいましたが、この二人は、流れの中で、また違った存在感を放っていると感じるからです。
 加古川本蔵は、自分の主君である若狭助が高師直のパワハラに憤り師直を斬ろうと考えているのを知ると、若狭助には内緒で師直に金品を贈り、パワハラの矛先を納めさせます。その結果、パワハラの矛先は塩谷判官に向かい、殿中刃傷に至ってしまうのですが。更に、本蔵は、刀を抜いた判官を抱き止めて、師直に止めをさすのを妨げてしまいます。
 私は、この本蔵さんを、大人だなあと思うのですが、いかがでしょうか? 現実の社会にはよくいる、ある意味頼りがいのある「大人」です。忠臣蔵のピュアな世界観でこのような「大人のリアリティ」は違和感があるといえばある。この存在感が果たして仇討ちの清廉でまっすぐな流れに合流していけるのかしら、と気になるのです。
 いま一人の早野勘平は、塩谷判官のお供なのに、お役目を脱け出して恋人おかると逢い、その間に判官が刃傷沙汰を起こしてしまいます。このしくじりは手痛いですね。勘平はその場で自害しようとしますが、おかるに説得されておかるの実家に身を隠します。どことなく、義理に縛られる江戸期よりも、ノリでやってしまう現代の若者っぽくないですか? こちらのキャラクターも仇討ちへの本流に合流できるのか。気になるところです。
 幾つもの支流が交わって、深い色を湛え、緩急をつけて流れ行きます。大河の行く果てを最後まで眺めてみたいところです。

■三咲 光郎(みさき みつお)
小説家。大阪府生まれ。関西学院大学文学部日本文学科卒業。
1993年『大正暮色』で第5回堺自由都市文学賞受賞。1998年『大正四年の狙撃手(スナイパー)』で第78回オール讀物新人賞受賞。2001年『群蝶の空』で第8回松本清張賞受賞。大阪府在住。

(2019年4月7日第一部『通し狂言 仮名手本忠臣蔵』(大序より四段目まで)観劇)