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国立能楽堂

トピックス

【千駄ヶ谷だより】国立能楽堂9月主催公演がまもなく発売です!

 昭和58年に開場した国立能楽堂は9月に40周年を迎えます。9月の国立能楽堂開場40周年記念公演では、天下泰平を寿ぐ「翁」を皮切りに、現代能楽界を代表する演者による能と狂言の名作、大曲、稀曲の数々をご覧いただきます。

 約二百数十番あるといわれる能の現行曲(古典のレパートリー、作品数は流派によって異なります)のなかで、唯一、別格とされる曲です。演劇的な物語の筋はなく、神聖な神事や儀式としての特徴を色濃く留め、年の初めや記念の会の最初に上演されます。
 幕が上がると、翁の面をおさめた箱をうやうやしく捧げ持った面箱の役者を先頭に、翁、千歳、三番三(三番叟)の役者、囃子方や地謡、後見が舞台に入り定位置に着きます。その後、露払いとしての千歳、天下泰平・国土安穏を祈る翁、五穀豊穣を祈る三番三、それぞれの舞が順に披露されます。翁と三番三の役者が舞台の上で面をかけ、人から神へと変身するのもこの一曲のみです。

清経

 源平の戦いで都を追われた平家一門。もはや勝ち目はないと絶望した平清経(たいらのきよつね)は、豊前国の柳が浦で入水して命を絶ちます。船中に残された遺髪を清経の妻に届けるため、家臣の淡津三郎(あわづのさぶろう)が、はるばる都へとやってきます。夫の自死を知らされた妻は、嘆き悲しみ、遺髪を受け取ることを頑なに拒みます。
 その晩、妻の枕元に清経の亡霊が現れて、なぜ遺髪を受け取ってくれなかったのかと恨みを述べると、妻は、ひとりで勝手にあきらめて命を絶たれたことが口惜しいと夫を責め恨みます。清経は、神に見放され敵におびえる船上での日々の苦しさと、世の無常を説き、戦に明け暮れた者が落ちる修羅道の様子を語ります。けれど最後に念仏を唱えた功徳で、自らの魂は救いの船に乗ることができたと告げて、闇の中へと消えていくのでした。
 恋之音取の小書(特殊演出)は、笛方にとってとても重く、常にはない所作を加えての特別な演奏に変わります。その笛の調べに導かれるようにして、シテ(主人公)は登場します。

栗焼

 客にふるまう栗を焼くことを主人から命じられた太郎冠者。焼きあがった栗はいかにもおいしそうです。味見と称してひとつ食べると、あまりのおいしさに手がとまらなくなり…。

山姥

 山姥が山を廻る様子を舞にした芸を得意とし、「百魔山姥(ひゃくまやまんば)」と呼ばれる遊女が、供を連れ信濃国・善光寺へと向かっています。山道に差し掛かると、にわかに日が落ち、辺りは暗くなってしまいました。そこに、宿を貸そうと言う女が現れます。女は遊女が有名な百魔山姥であることを知っており、「山姥の芸で名を上げながら、本物の山姥のことを気にもかけない」と恨みを述べます。そして、女が山廻りの芸を見せてくれたなら、自分も真の姿となり舞を見せようと言い残し、消えてしまいました。実はこの女こそ、山姥だったのです。
 やがて真の姿で現れた山姥は、自らの境涯を語り、大いなる自然の有様に仏教の摂理を重ね、山から山へと廻る様子を謡い舞いながら、何処ともなく消えて行くのでした。
 波濤ノ舞の小書により、常はない序ノ舞が太鼓入りで舞われ、終曲部分が緩急のついた迫力ある形となります。

 

枕慈童

 周の穆王(ぼくおう)に仕える童子は、王の枕をまたいだ罪で、酈縣山(てっけんざん)に追放されてしまいました。
 それから七百年の時が経ち、魏の文帝の時代。麓から「薬の水」が湧いたという知らせを受けて、文帝の勅使が酈縣山にやってきます。水源を訪ねて分け入った険しい山中で、勅使はひとりの少年と出会います。その少年こそ、かつて穆王に仕え追放されたあの童子だったのです。童子は、形見に賜った枕に書かれていた妙文(みょうもん)を、菊の葉に写して水に浮かべたところ、不老不死の薬の水となり、こうして七百年の齢を重ねたのだと明かします。そして、菊水の功徳を讃え、舞うのでした。やがて童子は、帝にこの霊水を贈り長寿を奉ることを告げ、山奥へと帰っていくのでした。
 金剛流に伝わる前後之習の小書により、常の上演では演じられない前場が上演されます。

月見座頭

 中秋の名月の夜、下京辺に住む座頭(盲人の呼称)が、目は見えずともせめて虫の音を聴いて愉しもうと野辺に出て、さまざまな虫の音に耳を傾けています。そこに上京辺の男がやってきて、打ち解けたふたりは酒を酌み交わし、風流のひとときを共にします。やがて上機嫌のうちに別れたふたりはそれぞれの家路へと就きますが、途中で上京辺の男はふと心変わりして…。

船弁慶

 兄・頼朝から嫌疑をかけられた源義経は、愛妾・静御前を伴って摂津国大物浦(だいもつのうら)まで落ち延びてきました。腹心の家来・弁慶から静を都へ帰すよう勧められ、義経は断腸の思いで静と別れ、船に乗り込みます。
 漕ぎ出した船が沖に出ると、にわかに海が荒れはじめました。義経に滅ぼされた平家一門の亡霊が海上に現れて、平知盛(たいらのとももり)の怨霊が襲いかかります。義経は動じることなく立ち向かい、弁慶の懸命の祈りによって調伏された怨霊は波の内へと消えて行きました。
 小書の後之出留之伝により、後場の知盛の亡霊の登場や退場がより印象的な演出に。語入は、後場の船上で弁慶が船頭に所望されて一の谷の軍語りを披露するワキ方の語りの見せ所です。名所教えは、船頭が弁慶の所望で船中から見える名所を教える狂言方の小書です。

 

三井寺

 わが子と生き別れになった母親が、清水寺の観世音の霊夢を蒙(こうむ)って、三井寺へと向かいます。
 今宵、仲秋の名月の三井寺では、寺に仕える稚児たちが僧に伴われ月見をしています。子への思いで物狂いとなり、鐘の音に心乱れた母親は、境内にたどり着くと僧の制止を振り切って自らも鐘をつき、月光のもとで舞い興じます。やがて心の落ち着きを取り戻した母は、三井寺の稚児となっていたわが子とめでたく再会を果たすのでした。

萩大名

 訴訟で都に滞在していた大名が、勝訴して帰国することになりました。清水寺にお礼参りの途中、今が盛りの萩を見に風流人の庭に立ち寄ることにします。ただし庭の主人は、萩を見に来た者には当座(とうざ・即興の和歌)を求めるらしく、家来の太郎冠者が聞きかじりの和歌を主人に教えます。ところが物覚えの悪い大名はなかなか覚えることができず…。

白田村

 桜が満開の清水寺。旅の僧の前に不思議な童子が現れます。童子は、本尊・観世音菩薩の由来と、坂上田村麻麿がこの寺を創建した経緯を語ると、田村麿を祀る御堂の中へと消えて行きました。
 やがて花蔭から、威風堂々たる姿の大将軍・坂上田村麿の霊が現れます。そして、平城天皇の御代、東国の鬼人を退治した激戦の様を振り返り、戦いを勝利へと導いてくれた観世音菩薩の霊験を讃えるのでした。
 さまざまな曲で、シテの神性を高めたり作品の位を重くしたりする小書として“白式”があります。喜多流の「白田村」は、小書としてではなく曲名そのものを変えた、きわめて重い習いとなっています。後シテは白を基調とした装束で、面が常とは変わり、品格のある重厚な演出となります。

 

末広かり

 果報者(富貴な人)が、召し使う太郎冠者に「末広かり(すえひろがり)」を買ってくるように命じます。それが何かもわからないまま都にやってきた太郎冠者は、すっぱ(詐欺師)に目をつけられ、言葉巧みに言いくるめられて古傘を買って帰ってくるのですが…。

鬮罪人

 今年の祇園祭にどんな山(山車(だし))を出したらいいか、頭(とう・世話役)になった主人と町内の人々が相談をしています。なかなか決まらないなか、太郎冠者が「閻魔大王が亡者の罪を責める様子」を題材にしてはどうか、という提案をします。一同、大賛成で、さっそく稽古を始めようと、鬮引きで役を決めることになり…。

獅子聟

 聟入り(結婚後、聟が初めて舅に対面する儀式)のため、聟が舅の家を訪れます。盃事が始まると、舅は聟に「土地の習わしなので、一指し」と獅子舞を所望します。仕度を調えた聟は、勇壮でめでたい獅子の姿をさまざまに面白く舞って見せ、やがて舅もそれに加わります。
 大蔵流山本東次郎家にのみ伝わる作品で、今回は新たな演出でご覧いただきます。

 

芭蕉

 唐土(もろこし)・楚国(そこく)の山中で修行する僧が、月明りの下、法華経を読誦しています。そこに訪ねてきた女は、法華経には「成仏ができないとされる女性も非情(心をもたない)の草木までも、成仏が叶う」と説かれていることを喜び、その徳を讃えます。僧が素性を訊ねると、女は芭蕉の精であることをほのめかし、庭に消えていきました。
 夜が更けて、法華経を唱え続ける僧の前に芭蕉の精が姿を現します。仏法の有難さに感謝し、諸法実相(万物はありのままの姿こそが真実で、悟りに通ずるとする考え)や世の無常を語り、月の光のなかで静かに舞を舞います。やがて山から下りてきた荒々しい風が吹きつけて庭の草花を散り散りにすると、芭蕉の精の姿は消え、後にはただ、風に破れた芭蕉の葉が残るばかりでした。

文蔵

 主人の許可を得ず、勝手に旅をしてきた太郎冠者。怒った主人が問い詰めると、「都見物をしてきた」と言うので、都の様子を教えることと引き換えに、今回は許すことにしました。話を始めた太郎冠者は、都で主人の伯父にご馳走になったと言うのですが、食べたものの名が思い出せません。主人は次々と食べ物の名を挙げてみますが…。

望月

 信濃国の主君・安田荘司友治(やすだのしょうじともはる)が討たれ、家臣の小沢刑部友房(おざわのぎょうぶともふさ)は近江国守山で宿の亭主に身をやつしています。その宿に、主君の妻と遺児の花若が、さらに主君を討った望月秋長(もちづきあきなが)の一行が、偶然にも泊り合わせます。友房は、芸人になりすまして望月を討つ計略を立てます。母子と友房は、謡や八撥(やつばち)、豪壮な獅子舞などの芸を披露して望月を油断させ、酔ってまどろんだ隙を突き、見事に本懐を遂げたのでした。

【文/氷川まりこ(伝統文化ジャーナリスト)】

●9月主催公演発売日
  • ・ 電話インターネット予約:8月10日(木)午前10時~
  • ・ 窓口販売:8月11日(金・祝)午前10時~
  国立劇場チケットセンター(午前10時~午後6時)
  0570-07-9900/03-3230-3000(一部IP電話等)
  https://ticket.ntj.jac.go.jp/