公式アカウント
チケット購入
English
国立劇場

トピックス

【8・9月文楽】文楽を支え続ける囃子 望月太明藏社中インタビュー

開場当時から、現在上演中の8・9月文楽公演まで、舞台下手の御簾内から文楽公演を支え続けてきた囃子、望月太明藏社中。
普段、なかなか表には出てこない文楽の囃子について、社中の皆さんに貴重なお話を伺いました!


望月太明藏社中の皆さん
左より、望月太明十郎、望月太明藏、望月太明吉、藤舎次生


御簾内で演奏する望月太明藏社中の皆さん


◆◆◆


―今月の公演で、初代国立劇場での文楽公演は最後です。そして、10月末には建て替えのため一旦閉場します。皆さんに今の国立劇場の思い出や今後への期待というものを伺いたいと思います。

望月太明藏(以下、太明藏):まずなによりも、最後の公演に呼んでいただいて非常に嬉しいです。私の祖父の初代太明藏が、文楽の囃子を担うようになって間もない頃に出来た劇場ですから思い出は深いです(現太明藏は三代目)。


望月太明藏

望月太明吉(以下、太明吉):この劇場の開場から出させていただいて、最後の公演にも出られたということがなにより嬉しいですね。開場当時は、長い通し狂言が多くて、12時の開演から、終わるのが夜の10時前で、我々若い者にとってはしんどかったなっていうのが一番の思い出です。社中の人数も今より大分少なかったんですよ、あの当時は。


望月太明吉

望月太明十郎(以下、太明十郎):僕が最初来た時に『恋女房染分手綱』「定之進切腹の段」に加えさせてもらいました。もう30年以上前になります。その時は文楽では珍しく出囃子をやったんです。閉場は寂しいですけど、別のホールで文楽を公演するらしいので、そのときもよろしくお願いいたします。


望月太明十郎

藤舎次生(以下、次生):東京公演では、3週間ホテル暮らしで常に体調管理してないと駄目だっていうのが一番プレッシャーを感じています。特に笛は私一人しかいないので、絶対体調管理していないといけない。それが東京公演の心構えになっています。


藤舎次生

―今月の公演は『菅原伝授手習鑑』『寿式三番叟』『曾根崎心中』を上演しておりますが、それぞれ囃子の聞きどころも沢山あると思いますが、特にお客様に聞いていただきたいポイントを教えてください。

太明吉:51年ぶりの「北嵯峨の段」と「大内天変の段」ですね。ここが楽しみでいらっしゃるお客様も多いです。結構お囃子も入っているんですよ。

太明藏:『三番叟』はお囃子が大分入りますんで、最初から最後まですごく聞きどころが多いです。翁や千歳のところはお能の『翁』から採っている曲らしい格式を出さないといけません。三番叟になってからはすごく忙しくなってきて、もうフル回転で頑張っておりますので、ぜひとも、全体的に聞いていただきたいなと思います。あと、『菅原』ですと「天拝山の段」も後半の盛り上げどころを頑張っております。

太明吉:これは思い出の一つですけども、「天拝山」の最後、菅丞相が岩に上って天神の形相になるところは、かつてお囃子がなかったんです。最初の時は笛が入ってなかったんじゃないかな。それが先代の玉男さんがやるようになって変わってきた。特に注文されたわけじゃないんです。そこを盛り上がるように、こちらから囃子をはめ込んでいったんですよ。ダメ出されたらそれでいいかと、囃子を入れていきました。

太明藏:こちらは色々と試行錯誤しながら作っていっています。


―『曾根崎心中』は昭和に作られたものですけど、望月太明藏社中として作ってきたことは何かございますか?

太明吉:『曾根崎』は簔助さんのやり方からこちらも考えて作っていったところが大きい。例えば、風音ってありますよね。天神森で一歩、二歩、三歩、四歩歩いてから、風音をガーッとやったら倒れるとか、そういうのを形としてね。本来であれば言葉でやってしまうんですけども、それを囃子を当てにしてくれはって。それはもう簔助師匠の気持ちを汲んでです。今日やったことを、明日こんな風にした方がいいなとか、試行錯誤でね、出来上がったもんなんです。
開場当時、『忠臣蔵』が通しで出て、そのとき初めて着到の太鼓を打ったんです。そのときはまだ文楽が合併したところで、まだ何にも分からん時分だったから、歌舞伎の方を呼んでいただいて、歌舞伎の形でやったんですよ。杵屋花叟さんいう方にお頼みして。
で、僕が着到を打ってたんですよ。その時は開演15分前に。ただ、僕もまた子供の頃で、まだ腕もできてないときでね、舞台下手に大臣があって、大臣で太鼓を打って、その下で笛と大太鼓を打つわけだ。それを打っていたら、見かねた先代の桐竹勘十郎さんが、「ちょっと僕に打たせてえな」って言って、打ってくれはった。それからずっとその公演中、二週間ほどずーっと打ってくれました。これがまた上手に打ちはるんです。勘十郎さん、お囃子をよく心得ていて、昔の人形さんは結構音に敏感でしたね。勘十郎さんは囃子の方にものすごく興味があったようです。『夏祭浪花鑑』の泥場(長町裏の段)でもそうです。私が呼ばれて、勘十郎さんと二人で作り上げたんです。元々あそこは形がないんです。何にもない。白紙なんです。そこから一緒に作り上げた。こっちゴン入れよかなとか言ってね。


太明吉氏作成のお囃子のツケ帳


赤く囲まれた部分がお囃子の部分

―望月太明藏社中は、文楽に出ておられる唯一の社中ということで、文楽の囃子の特徴を伺いたいのですが。

太明十郎:太明藏社中が文楽に関わるようになったのは昭和38年、因会と三和会が合同して文楽協会が発足した際、桐竹紋十郎師匠たちから初代太明藏に「文楽にも本格的な囃子を取り入れよう」という趣旨で依頼があったことからです。それまでは手伝いに来た囃子方や手の空いている人形遣いの人が風音を入れる程度だったようです。それから国立劇場や文楽協会の主催の本格的な文楽公演には我々が文楽の囃子方を一手に担っています。長年の経験でどんな演目でも対応できる附けの蓄積が出来、浄瑠璃や三味線、人形遣いの足拍子の間だけでなく、個々の技芸員の特徴や心理も踏まえた作調ができるのも我々の強みですね。

太明吉:文楽は、殆ど三味線が表現しますので、鐘の音にしろ水の流れにしろ、出の音にしろ、何にしたってそこに乗っかっていくことになるんですからね、そうすると、邪魔になってはいけない。テーンツいってんのに、ゴーンって入れるわけですよ。三味線にしてみたら、そんなん要らんていうところもある。そこに乗っかっていくわけですからこれは難しいですよ。やはりこの一座にずっと付いている人でないとなかなか出来ない。

太明藏:邪魔にならずに、やかましくならずに、なおかつ色をつけてですからね。

太明吉:これは関西の打ち方です。水音にしたって何にしたって、歌舞伎とは全然違います。江戸は早くタッタッタってやるけど、のんびりしたはんなりしたもんで、それはなぜかというと邪魔にならへんようにやってるんですよ。太夫さんとか三味線に邪魔にならんように。

次生:笛を入れる場面は、囃子全体を見ても少ないですね。歌舞伎の同じ出し物と比べると、圧倒的に音の入れ具合は少ないと思います。それは、あんまり囃子が前面に出ないっていうことが根本にあっての少なさだと思います。それでもここぞという時はしっかり情景を作れるよう吹いています。





◆◆◆


御簾の陰から目立たぬようにしっかりと文楽を支え続ける望月太明藏社中の囃子。
文楽ご観劇の際には、是非囃子にも注目してご覧ください。
8・9月文楽公演は24日(日)まで!

チケット好評販売中
国立劇場チケットセンターはこちら


公演詳細はこちら



\『菅原伝授手習鑑』特設サイトはこちら/