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国立劇場

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【6月邦楽公演「現代邦楽名曲選」特別インタビュー】 福永千恵子(箏曲家)
「楽器と対話を重ね、その力を引き出すこと」


福永千恵子

―国立劇場に初めてご出演いただいたのは、昭和58年でした。

福永千恵子(以下、福永) : 昭和54年に結成された沢井忠夫合奏団のメンバーとして、国立劇場主催公演に初めて出演させていただいたのは昭和58年、沢井忠夫作曲《焔》。その後、翌年には三善晃先生の《風紋》(国立劇場委嘱・初演作品)にも出演させていただきました。


昭和58年(1983)6月国立劇場 『第一回 現代日本音楽の展開』
《焔》沢井忠夫作曲

―いつから沢井忠夫先生に師事されたのですか。

沢井忠夫

福永 : 箏は4歳から始めておりますが、特に演奏家になりたいという気持ちはありませんでした。ただ現代音楽には興味がありシェーンベルクの曲に惹かれていて、入野義郎作曲《協奏的二重奏曲》を聴いて、現代音楽であれば箏を弾いていけるかもしれないという希望を持ちまして、沢井忠夫先生に師事するようになりました。
その後東京藝術大学へ進学いたしますが、その当時は古典中心の習得でしたね。同時代の作曲家の曲の演奏をするようになったのは、昭和49年に藝大を卒業した後になります。


―その後、昭和62年には『伶楽』という公演で唐箏(からごと)を演奏されています。

唐箏

福永 : この時に初めて、復元楽器に触れる機会を頂戴いたしました。国立劇場では、少し前(昭和50年)から正倉院宝物に残されている楽器の復元と演奏を取り組まれていらっしゃいましたが、私はこの「唐箏」が最初でした。唐箏は、外見は一般の箏とあまり変わりはないのですが、胴の構造が全然違う。板を貼り合わせた作りをしているのですね。そのため、張力はあまり加えられないようになっていて‥‥。
実は本番前、唐箏の甲にヒビが入ってしまったのですよ。今でもその傷跡があると残っていると思うのですが、出来立ての楽器でまだ取扱い方が分からなかったので、演奏には随分気を遣いました。箏爪は、雅楽用の爪をはめて演奏したのでそれも大変でした。


―そして、平成元年には《水の相対》をご演奏いただくというわけです。

福永 : 「瑟(しつ)」という楽器は、9本7本9本という25本の弦で構成されていて、中央7本が低音部になります。特殊な調弦ですよ。瑟は、はじめ沢井一恵先生が高橋悠治さんの曲を初演され、その後、西潟昭子さんが一柳慧さんの《水の聲》を演奏されていましたので、私は3人目の奏者になりました。はじめのうちは不安もありましたが、実際に演奏してみるとすごく良い音が出るんですね。指の運びや奏法など、より良い音を求めて何度も工夫を重ねたことを覚えています。音楽の作り方は作曲家との共同作業ですが、一つ一つの音色については、演奏家の努力次第で追究することもできますから。


平成元年(1989)2月国立劇場
『伶楽 復元された古代楽器の演奏』
琴・瑟合奏のための《水の相対》一柳慧作曲

―復元楽器を演奏する際に心がけていることはありますか。

福永 : 楽器の発する声に耳を澄ませることが大切だと思います。
どの音がもっともよく響くのか、演奏方法の違いで音色にどんな違いが出るのか、徹底的に考えます。自問自答ではなく対話。ある意味、楽器に身を委ねる、と言えるのかもしれません。楽器のポテンシャルを最も引き出せるよう、工夫に工夫を重ねて、本番の演奏に臨んでおります。楽器の力を引き出す、これは木戸敏郎さん(開場当時、楽器復元を主導した国立劇場制作担当)の仰っていたことでもありました。


―一番印象に残る舞台は何ですか。

福永 : 復元楽器では、平成2年に小杉武久さんが作曲してくださった《モジュール》(国立劇場委嘱作品)です。これは、唐箏や瑟など国立劇場が復元した古代楽器を四面用いて上演される作品だったのですが、調弦を取るのにも、手元に用意した木片を叩き、その音を復元楽器の糸に託すなど、とても前衛的な発想で創られた曲でした。物体の持つ力を光や音に変換する。光や音のエネルギーを豊かな音楽に変換する。そういうコンセプトが示されていました。


平成2(1990)年国立劇場 『二つの音楽シーン』
《モジュール》倭琴・唐箏・もの音・弓・光と音の装置による音楽 小杉武久作曲

福永 : また、十三絃箏の作品では、昭和63年《風姿行雲》(国立劇場委嘱・初演作品)が印象に残っています。師匠の沢井忠夫先生が敬愛してやまない湯浅譲二氏の作品の初演は、私にとり「演奏」の意味合いを強く自覚し、音楽に携わる者として第二の出発となる経験を与えてくれた曲でした。
当時の私には湯浅譲二先生の音楽世界への精神的な理解が不十分であったこと、この曲の持つ二つの箏の対峙の世界を実演として表現できず、もどかしさと反省だけが残りました。箏の響き一音の世界観を感じること、作曲家との音楽観の共有など、とても深い経験を与えていただきました。


昭和63年(1988)6月国立劇場
『第六回 現代日本音楽の展開』
組曲《風姿行雲》湯浅譲二作曲

―目覚ましいご活躍でしたね。

《オーケストラとのコンチェルト始源》収録
『一柳慧作品集Ⅰ』

福永 : 80年代は国立劇場での演奏をはじめ、たくさんの新作を演奏させていただく機会に恵まれました時期でした。『ベルリン連詩』と同じCDに収録されている一柳慧作曲《オーケストラとのコンチェルト始源》(1989)もこの頃です。上浪渡氏のNHK・FM「現代の音楽」でも定期的に邦楽曲を取り上げてくださって、私にとって一番良い時代だったと思います。




―若い演奏者にお伝えしたいことはありますか。

福永 : まずは古典を大切にすること。その基礎がなければ何にも通用しません。その上で、現代曲というものに挑戦していただけたらと思います。最初から現代曲ばっかりというのはいかがなものでしょうか。古典と現代という二つに分けてしまうのではなく、演奏者側も主催者側も、その古典と現代の垣根をなくすような工夫をしていただきたいと願っています。


写真右から福永千恵子、吉澤延隆、木村麻耶


―今後に期待することはありますか。

福永 : 私は国立劇場に出演させていただくなかで、演奏家として自立していこうという決心がつきました。そういう意味で、ここは私の「原点」です。古代楽器について哲学的な見解を享受できたこと、同時代の作曲家と新たな音楽世界を創造できたこと。この二つは、国立劇場が私に与えてくださったかけがえのない大切な経験です。
この後しばらく建て替え工事が続くと聞いておりますが、どうか若い演奏者にとって励みになるような公演を企画してください。引き続き精力的な活動を期待しております。


<プロフィール>
福永千恵子(ふくなが・ちえこ) 箏曲家

東京藝術大学邦楽科生田流専攻卒業。
『パンムジークフェスティバル東京79』コンクールにて独奏部門第1位、ドイツ大使賞 審査員賞受賞。
1987年より、国立劇場主催伶楽公演にて、正倉院古代箏による復元演奏を担当。その後古代琴 やよいのコトなどの絃楽器を各伶楽公演で演奏。また、『現代日本音楽の展開』公演では、三善晃 湯浅譲二 西村朗 野田暉行らの初演曲を演奏。
1989年、岩城宏之指揮 アンサンブル金沢と、一柳慧作曲 箏コンチェルト『始原』を初演演奏。
1997年、パリ日本文学センターオープニングコンサート「武満徹の世界」で演奏。一柳慧音楽監督の【東京ミュージック アンサンブル】の箏奏者として世界各地で演奏。
2007年、東海大学教養学部卒業生とともにKOTO2KAIを結成。沢井忠夫作品連続公演などを企画。
2020年より[The箏KOTO ]連続コンサート開催。
元東海大学教養学部教授、東京藝術大学、茨城大学、北海道教育大学非常勤講師。
沢井箏曲院所属。


【公演情報】
6月邦楽公演「現代邦楽名曲選」 公演の詳細はこちらから