国立劇場あぜくら会

イベントレポート

あぜくらの集い「襲名から十年──変わったこと、変わらなかったこと」

開催:令和8年5月16日(土)
場所:シアター1010(10階アトリエ)

(株)コテンゴテンとの共催企画第4弾として「あぜくらの集い」を開催しました。ゲストにお迎えしたのは、文楽の人形遣いで人間国宝の吉田玉男さんです。ご案内役は、株式会社コテンゴテン代表で文楽にも精通する峯田悦子さん。二代目襲名から現在に至る歩みや、文楽に対する思いをたっぷりとお話しいただきました。

襲名を決意するまで

5月文楽公演・第3部『伊勢音頭恋寝刃』の出演前に登壇された玉男さん。令和5年(2023)の重要無形文化財保持者(各個認定=人間国宝)認定に続き、令和8年(2026)3月には日本芸術院会員に選出されました。現役の文楽技芸員で日本芸術院会員は、三味線の鶴澤清治さん、人形遣いの桐竹勘十郎さんに続いて3人目です。「昨年(芸術院会員に)なられた勘十郎さんのお祝いをしたばかりだったので、まさか自分が?と驚きましたが、うれしい限りです。大きな役割をいただいて責任重大です」。

平成27年(2015)に二代目を襲名して丸10年が過ぎ、今年は11年目のスタートという節目を迎えました。昭和43年(1968)に初代玉男師匠に入門以来、半世紀近く名のっていた「玉女」から、平成18年(2006)に逝去した師匠の名を継ぐことを決意するまでには、気持ちを固めるまでの長い道のりがあったそうです。

「師匠が亡くなって3年ほど経った頃、(吉田)簑助師匠から〝継いだらどうか〟と言っていただいたんです。でも自分ではまだまだやなと思っていたので、決心がつきませんでした。平成25年(2013)に母親が亡くなり、その年に国立劇場で『伊賀越道中双六』の唐木政右衛門を遣わせていただいた時に、舞台をご覧になった長唄の先生から〝もう玉男の名を継いだらどうか〟と言っていただいたんです。それでようやく決心をしました」。

襲名時にあつらえた手ぬぐいに染めた言葉は「轉女成男*てんにょじょうなん*」。襲名を勧められた長唄の師による揮毫で、玉〝女〟から玉〝男〟へと転じる意味が込められています。

吉田玉助

思い入れの深い熊谷直実

襲名披露は『一谷嫩軍記』の熊谷次郎直実。玉男さんにとっては昭和55年(1980)、大阪朝日座での若手向上会で初めて主遣いをつとめた思い入れのある作品です。「その時に1回だけ、師匠が熊谷の左を遣ってくれたんです。師匠が遣うとものすごく重いんですよ。僕が前に行こうと思っても、〝まだや〟という感じでグッと引っ張られる。いい勉強になりました」。以来、幾度も遣う熊谷は「じっと耐える中に肚があって、好きな役です」と玉男さん。「若手の時には力一杯遣っていましたが、襲名の時には気持ちが全く違いました。初日に出た瞬間、掛け声をたくさん掛けていただいたのも忘れられません」。

※『一谷嫩軍記』の「嫩」のつくりは「欠」が正式です。

経験を重ねて深まる解釈

ご案内役の峯田さんから「経験を積むと役に対する思い入れや解釈は変わるものですか?」と尋ねられた玉男さんは、「どんな役でも回数を重ねると解釈が違ってきます。今年4月に国立文楽劇場で遣わせてもらった『菅原伝授手習鑑』の白太夫は2回目でしたが、初めて遣った5年前とは違う発見ができました。師匠も菅丞相と白太夫を両方遣っていまして、自分も70歳を過ぎて年相応の役をいただくようになったので、3回目もあるならまた違う遣い方ができそうです」。

年齢に応じて役柄も変化しているとはいえ、玉男さんといえば勇壮な武将など骨太な立役が印象に残ります。時代物の立役の中でも、熊谷や『勧進帳』の弁慶、『絵本太功記』の武智光秀などはご自身も好きな役だそうです。ただ時代物の重い人形は負担が大きく、「『菅原伝授』の松王丸も好きな役ですが、体力的にはもうちょっとしんどいかな」とのこと。

ほかにも、『ひらかな盛衰記』の松右衛門(樋口次郎兼光)は「スッキリして発散できる」、通し狂言では「『仮名手本忠臣蔵』の由良助はやはりやりがいがありますが、勘平も遣ってみたい」、『菅原伝授』の「寺子屋」は「最後の見せ場は武部源蔵あってこそ。いつか源蔵も出来れば」など、好きな役や遣ってみたい役の名前が次々と挙がりました。

世話物では近松門左衛門作品に惹かれるという玉男さん。「八百屋半兵衛をまた遣いたい」と語る『心中宵庚申』は、今秋(10~11月)、三代吉田簑助三回忌追善として国立文楽劇場で上演されます。同じく三回忌追善として行われる国立劇場主催12月文楽公演(東京芸術劇場プレイハウス)での『曾根崎心中』徳兵衛と共に、相手役は朋友である勘十郎さんです。

「十人斬り」の裏話も

懐かしい写真や貴重な舞台写真も投影しながら、師匠との思い出や入門間もない頃のエピソードなども交えたトークタイムは、あっという間に予定の時刻に。最後は、国立劇場5月文楽公演第3部で上演の『伊勢音頭恋寝刃』の福岡貢について、クライマックスの「十人斬り」では血のりの付いた人形を途中で替えている、といった裏話も飛び出しました。玉男さんが実際に遣っている貢の人形も一緒に登壇していたため、これから第3部を鑑賞予定の方も、鑑賞済みと思われる方も、間近で人形を眺められる機会に興味津々の様子でした。

二代目襲名から10年を経て、年齢を重ねると共に役柄が徐々に変化していく一方で、役に対する情熱と探究心を変わらず持ち続けている玉男さん。穏やかな語り口から、謙虚で真摯なお人柄が伝わる「あぜくらの集い」となりました。

吉田玉助


(取材・文 市川安紀)

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