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国立文楽劇場

声の力

やぶくみこ

今年の桜は咲いたと思ったら一瞬で散ってしまった。どこかテンポがはやく、夏までを急ぐような気候にドキドキする。今回の舞台は桜のピンクと雪の白。
春なのに暖かい日が続きすぎて、もうすこし季節に待ってほしいと思う時に、雪の白をみると少しほっとする。桜のピンクは、一瞬で過ぎ去った満開の桜をとどめてくれるようだった。

今回は遠方に住む新婚ご夫婦と一緒に観劇させていただいた。
新婚夫婦の纏う空気感は独特だと思う。晴れ晴れしく、新しい気持ちでありながら、でも良く知っているようななんとも言えない華やかな気持ちがふたりから伝わって来る。
ふたりともはじめて文楽を観劇された。だれかのはじめて、に立ち会えるのはたくさんあることではないので、とてもうれしい。1階の展示も公演ごとに変わり、いつも楽しみにしている。
文楽が大事に伝えられてきた空気に満ちている。

今回は吉田玉助さんの襲名披露、おめでとうございます。
襲名披露の口上、赤紫の裃が鮮やかで、幕が上がった時におもわず笑顔に。他の人形遣いの方が話す玉助さんとのエピソードを聞くのがひとつの大きな楽しみでもある。愛情いっぱいのエールがユーモアとともに丁寧に披露される。

第1部の「本朝廿四孝」桔梗原の段の、慈悲蔵が赤ちゃんの峰松を置いて立ち去ろうとするとき、音楽も高い音から低い音へ行ったり来たりして、行くに行けない、行かなければならない気持ちが音で浮き上がる。赤ちゃんの声がリアルに聞こえるのも驚きのひとつ。次の段の景勝下駄の段と勘助住家の段では老母の様子が見逃せない。
景勝下駄の段では長男の横蔵を贔屓し、勘助住家の段ではその横蔵に腹を切れという。腹は切らずに右眼をえぐりだし、人相が変わったから身代わりは務まらないし、山本勘助の名前を継ぐという。
身代わりになったり、名前が変わったり、態度が変わったり、最後の展開が早くてぽかーんとしてしまった。家族ですらも欺いたり、子供を身代わりに差し出したりする。この時代の人たちが信じていたことは、何を信じて生きる力にしていたのだろう、と想像する。

白い雪の舞台美術からピンクの桜の景色へかわる。
「義経千本桜」道行初音旅
太夫さんと三味線弾きさんが舞台にずらり。
ずらり、のところに狐を遣う桐竹勘十郎さんがおひとりで登場。
そして狐にみとれているうちに、あっという間に早替りされて再登場。舞台の経験がわたし自身にもあるにもかかわらず、こういう仕掛けは本当にうれしくて、とてもわくわくする。三味線は華やかに鳴り、語りが響く。
桜の海の中に浮かび上がる八島の合戦の様子の語りと、はかなく散る桜がつながる。

文楽を観劇して、道頓堀の街を楽しんでうちに帰る。帰りはいつも音楽をいっしょに持って帰っているような気分。電車の中にいる時も、帰ってからも、頭の中で太夫さんの声と三味線の音がぐるぐる鳴り、なんどもなんども味わう。頭の中で再生されて発見することもあって、見ている時によく分からないと感じていたシーンが腑に落ちることがある。

観劇に向かう電車のなか、河合隼雄さんらが書いた「声の力 歌・語り・子ども」という本を読みながら来た。
声とことばは生身の人間から発せられるエネルギーで、よくも悪くも力をもつ言葉の音。
歌にし、言葉にし、残ってきた音楽はとても大事だと感じる。近年はことばの力が少し希薄になったように感じる。丁寧で重いことばよりも、すぐに打ち解けられる軽さをもつことば。太夫さんから語られる話や声は丁寧で重くて隅々まで響いていくので圧倒される。圧倒されると同時にとてもリラックスもする。話の内容が辛辣にも関わらずリラックスできてしまう。すこし瞑想の状態に近いのでは、とも思う。
昔から変わらず、人間のもつ大事なもの忘れたくない気持ちや、自分では持ったことのない感情の入り混じったストーリーと音のシャワーをまるごと浴びて、また次の舞台を拝見できるのを心待ちにしている。

■やぶくみこ
音楽家、作曲家。1982年岸和田市生まれ。桜美林大学で音響を、文化庁在外研修員としてヨーク大学大学院で共同作曲を、インドネシア政府奨学生としてインドネシア国立芸大ジョグジャカルタ校にてガムランを学ぶ。ジャワガムランや打楽器を中心に様々な楽器を用い、楽器の本来持つ響きや音色、演奏する空間を生かした作品を提示。日本国内外で演劇、ダンス、絵画など様々なアーティストとのコラボレーション多数。京都で即興、共同作曲をベースにしたガムラングループ“スカルグンディス”を主宰。2013年より「瓦の音楽」プロジェクトを監修。京都在住。

(2018年4月10日第一部『本朝廿四孝』「襲名披露口上」『義経千本桜』観劇)