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国立文楽劇場

楽しい哉!妖狐降臨 『玉藻前曦袂』

三咲 光郎

秋の週末。夕方の大阪は、電車に乗っても、街を歩いても、何だか妙なかんじがしました。アニメや童話のキャラクターのコスプレをした人がやたらと目につきます。ハロウィンの夜です。いつもの週末より浮かれている街を、私もうきうきした気分で日本橋の文楽劇場へ。錦秋文楽公演の初日。第2部の『玉藻前曦袂』を楽しみにしてきました。

玉藻前といえば、大陸から渡ってきた金毛九尾の妖狐。妖怪の世界の大御所です。世界史でいえばクレオパトラ、楊貴妃。映画界ならエリザベス・テイラー、歌謡界では美空ひばりクラスのビッグスターですね。

全七段の公演。初めの二段は、妖狐が現れる前のお話です。悪役ボス・キャラの薄雲皇子が、故・右大臣道春の館から獅子王の剣を盗み出しておいて、家来の金藤次を使いに遣り、剣か、さもなくば桂姫の首を差し出せと迫ります。薄雲皇子は桂姫に横恋慕して拒絶されてきたのでした。妹の初花姫が、身代わりになると言い、双六で負けたほうが首を討たれるルールで、姉妹は勝負を始めます。死のゲームです。二人の美女が白装束で相対して骰子(サイコロ)を振る、その緊迫感にハラハラします。しかしながら、この『道春館の段』の面白さは、双六の勝負がついて首を取られる姫が決まった後の展開にありました。ドンデン返しに次ぐドンデン返し。ネタバレになるので観てのお楽しみ、としておきますが、段の後半は実に怒涛の展開です。え、そうだったのか、と驚きながら、やがて金藤次の人物像に感動します。人物造形は『スター・ウォーズ』のダース・ベイダーより深いかもしれません。

さて、休憩を挟んで『神泉苑の段』から、いよいよ玉藻前の登場です。先にもいいましたが、「玉藻前」は古くから親しまれている妖怪の大スターです。能や御伽草子で語られるように、鳥羽上皇をとりこにした玉藻前の正体が大陸渡来の金毛九尾の狐であると陰陽師の安倍泰成が見破り、妖狐は那須野の原で殺生石と化した、というのが話の原型です。『たま藻のまえ』という絵巻物を、「京都大学電子図書館」ではWeb上で公開しています。観劇の予習復習にどうぞ。文楽劇場1階の資料展示室では、公演期間中、「玉藻前」関連の絵画、書籍などを展示しています。先述の絵巻物そのものもあるし、江戸期の錦絵もあります。藤子・F・不二雄の漫画も。いつの時代にも玉藻前は人気のキャラクターなんですね。そういえば、最近の、『地獄先生ぬ~べ~』での「玉藻」、「九尾の狐」や『妖怪ウォッチ』での「キュウビ」も、重要で大物の存在です。『ゲゲゲの鬼太郎』の劇場版アニメで中国の妖怪軍団が攻めてくる話がありましたが、ボスは金毛九尾の狐の弟の「銀毛九尾の狐」でした。日本で倒されたお姉さんの弔い合戦ですか。

それはさておき。江戸後期初演の『玉藻前曦袂』では、平安京に飛来した金毛九尾の狐が、寵妃玉藻前を食い殺してなりすまし、

「神道仏道破却して魔道を立て給はるべし」

と国家滅亡を大願します。妖狐と美女の早変わりを楽しめますが、たおやかな玉藻前の美しさに、その正体を知っているからこそ、怖くて、同時に魅かれてしまいます。大陸でも本朝でも、傾国の美女は歴史上のアイドルとして人気があります。

「ひと度顧れば人の城を傾け、再び顧れば人の国を傾くるとかや」

ファム・ファタール、魔性の女に滅ぼされるのは男性陣にとっては憧れですから。

この作ではもう一人、重要な悪役がいました。薄雲皇子です。怒髪天を衝く堂々の偉丈夫。美女をなます斬りにするような冷酷な悪逆の徒。怖ろしいボス・キャラぶりが印象に残ります。帝位に就いた弟に恨みを抱き、謀反を企てます。玉藻前に化けた妖狐に、助けてやるから日本を魔道の国にしてくれと共闘を提案されて、

「それこそは我予て望むところ、……ちつとも気遣ひいたすな」

と同調します。

日本の天魔。異国の邪神。

凶悪な二大キャラクターが組んで、日本はもう魔道に支配されるしかないなと圧倒されました。玉藻前の魔力には陰陽師安倍泰成が立ち向かい、薄雲皇子の陰謀には泰成の弟・采女之助が立ちふさがるのですが、観ていてちょっと頼りない。ここはパワーアップするためのアイテムが必要でしょう。

『訴訟の段』から『祈りの段』へ、悪が優勢のままクライマックスへと進みます。観ていてやはり、魔王風の薄雲皇子より、玉藻前に怖ろしさを覚えます。皇子が人としての恨みや欲望で動いているのに比べて、玉藻前は妖艶な凄み、人外の魔を、静かに深く湛えているからでしょうか。

さて、掉尾をしめくくるのは『化粧殺生石』の踊りです。殺生石と化した妖狐が、様々な姿をとって賑やかに、陽気に、踊ります。人形の早変わりと踊りを堪能できて、劇場に来る前よりもうきうきとした華やかな気分で家路につきました。

人気のキャラクター玉藻前を題材にして昔から上演されてきた舞台。文楽の見どころ、聴きどころがたっぷり詰まった公演です。ハロウィンの仮装で賑わうミナミの街に、黄金の九尾の狐が、楽しそうにぴょんぴょんと見え隠れしていました。

■三咲 光郎(みさき みつお)
小説家。大阪府生まれ。関西学院大学文学部日本文学科卒業。
1993年『大正暮色』で第5回堺自由都市文学賞受賞。1998年『大正四年の狙撃手(スナイパー)』で第78回オール讀物新人賞受賞。2001年『群蝶の空』で第8回松本清張賞受賞。大阪府在住。

(2015年10月31日第二部『玉藻前曦袂』観劇)