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第18回青翔会 出演者インタビュー (シテ方宝生流 佐野玄宜さん)

青翔会は、国立能楽堂研修生をはじめとする、若手能楽師の日ごろの研鑽の成果を発表する公演です。第18回青翔会が3月12日(火)に開催されます。
今回は、能「海人」のシテを勤めるシテ方宝生流の佐野玄宜さんに、お話をうかがいました。

―お父様(佐野由於、シテ方宝生流)をはじめ代々能楽師の家系でいらっしゃいますが、子どもの頃はどんな感じでしたか?

生まれたときから能楽に囲まれた環境でした。佐野家のルーツは金沢なのですが、父は中学のときから東京に出てきていて、私も東京で生まれました。初舞台は4歳の時、「鞍馬天狗」の花見の稚児でしたが、記憶にはないですね。それからたくさん子方で出させていただきましたが、舞台に出るのは嫌ではなくて、漠然と父のように能楽師になるんだなとは思っていました。ただ、父は「自分の人生は自分で決めなさい」という人で、どうしても能楽師をやれということではありませんでした。
子方の出る演目は意外と多くて、毎月のように舞台が続いた時期もあったように思います。舞台や申し合わせ(リハーサル)で学校を休んだり早退しなきゃいけないこともありましたね。合宿に遅れて参加したりすることもあって、付き添う母も大変だったんだろうなと、今では思っています。

―いつ頃、本格的に能楽師を志したのですか?

中学1年生くらいで子方の時期が終わり、声変わりもあって少し能から遠ざかっている時期に自分なりに色々考えたりしましたが、学校の作文で「将来何になりたいか」を書かされた時に、「能楽師になる」と書いたのが能楽師になるのを決意した瞬間だったかもしれません。
高校の時に、金沢で祖父の追善公演があって、初めてシテを舞わせていただきました。「経政」でした。通常ですともっと経験を積んでからでないとシテはやらせていただけないですが、祖父の追善ということもあり、特別にやらせていただいたんです。
まだ面をつけるのにも慣れてませんし、よくわからないまま、とにかく必死にやっていたように思います。
若い時にこのような大きな役をさせていただいたのは、とてもありがたかったと思います。
その後、大学に進学して、大学院まで行かせてもらいました。修士論文は「観世小次郎信光」についてでした。それから宗家の内弟子に入れていただきました。

佐野さんは宝生流のシテ方でいらっしゃいますが、宝生流の魅力とは何だと思いますか?

宝生流は、「謡宝生」とも言われるように、謡が繊細で綺麗だと思います。ボリュームで勝負せずに聴かせるというところに、良さと難しさがあります。謡と同じように、型についても大きくやるのではなく、「内にこめる」ということを意識する。だから派手さはないですね。10動かすところを、7とか5しか動かさない。それは決して手を抜くのではなく、5とか7の動きを10動かす力でやる。お客さんには10あるいはそれ以上に見せられないといけない。動きを抑制する分、表現とか思いが凝縮されているんじゃないかと思います。能はもともと無駄をそぎ落として磨き上げて今の姿になったわけですが、最もそれを体現している流儀かもしれません。

―3月青翔会では能「海人」のシテでご出演されますが、「海人」という演目について、どのような演目なのでしょうか。

子方で1、2回やらせていただいたことがあります。子方としては、謡もありますし、結構大変なお役です。シテは初めて勤めます。
「海人」は前半の「玉ノ段」が曲全体のヤマ場といってもいいくらいに大変です。海人が竜宮から宝珠を取り返す様子を再現して見せる場面ですが、海に飛び込み、竜宮から宝珠を盗み出し、乳房を掻き切って玉を隠すところなど、とにかく型が多く、それをリアルにやらなければいけない。緩急があり、激しい動きもありますが、女性ですし、荒く、雑にならないように、仕舞でも難しいところを、装束と面をつけて舞わないといけません。「玉ノ段」が終わった後も、長いシテの謡があり、母であると打ち明ける場面につながります。後場では竜女となり早舞を舞います。

―最後に今後の抱負など教えて下さい。

昨年「乱」を披かせていただき、能楽師として大事な「石橋」「道成寺」「乱」と全て勤めさせていただきました。段々、いつまでも若手とも言っていられない年齢になってきましたので、これまで以上にしっかりとお稽古をし、舞台も中身を充実させていきたいと思っています。
祖父の十三回忌で初シテをさせていただいたのですが、今年は三十三回忌にあたり追善公演があります。こちらは同じ「海人」を「懐中之舞」という小書き(特殊演出)でやらせていただきます。天国の祖父に成長した姿を見せられたらと思います。

<プロフィール>
佐野玄宜(さの げんき)
1981年7月22日生
佐野由於の長男
宝生宗家、高橋章、父由於に師事
早稲田大学大学院文学研究科修士課程修了
早稲田大学・学習院大学・椙山女学園大学非常勤講師
國學院大學宝生流能楽研究会、慶應義塾横浜初等部で指導
同門会「蔦玄会」を主宰
ホームページ : http://www.sano-gen.com (外部サイトへリンク)

能「海人」

大臣藤原房前は、亡き生母の故郷である讃岐・志度浦へやって来ます。その地の海人に、母の死の経緯を尋ねると、唐土から渡り、龍神に奪われた宝珠にまつわる話を聞かされます。
志度浦の海人であった房前の母は、宝珠奪還のためこの地に来た藤原淡海と契りをかわしました。そして、淡海から宝珠を取り戻すよう頼まれます。その代わり、淡海は二人の間の子を自分の跡継ぎにすると約束したのです。海人は命を懸けて、宝珠を取り戻しました。(「玉ノ段」)
やがて、この物語を語った海人は、自分こそ房前の母の霊であると言って海中へ消えていきます。
房前が母の霊を弔っていると、法華経の功徳により成仏した母は、龍女の姿となって現れ、華麗な舞(「早舞(はやまい)」)を舞うのでした。

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