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【千駄ヶ谷だより】粟谷明生氏からコメントをいただきました![5月11日(水)定例公演]


 5月11日(水)の定例公演では、能「夕顔」を上演します。
 夕方に花開き、翌朝にはしぼんでしまう、はかなく小さな白い夕顔の花。源氏物語の夕顔の巻を典拠とするこの能では、五条あたりを訪れた旅の僧の前に、その夕顔の花の名前を冠して光源氏に愛された女性の霊が現れます……。
 今回は小書(特殊演出)・「山の端之出」がつくことにより、通常とは冒頭のシテの登場の出方が変わり、より印象的なものとなります。
 この度、シテを勤められる粟谷明生氏から、特別に本曲について詳しくコメントを寄せていただきました! 「夕顔」という曲の魅力や、小書による演出の違い、見る際の注目ポイント、そして今回演じる上で考えている工夫についてなど、普段はなかなか聞けないところまで具体的に、真剣にお話しくださいました。

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夕顔 山之端之出 粟谷明生 撮影=石田裕

粟谷明生氏よりコメント



粟谷明生

―『夕顔』という曲の見どころ、魅力についてお聞かせください。
 源氏物語の夕顔という女性の霊を主人公とする曲は『半蔀』と『夕顔』があります。
 私、3月の粟谷能の会にて『半蔀』を勤め、今回5月11日の国立能楽堂定例公演で『夕顔』を勤めますが、短い間にこの二曲を勤めることは能楽師として珍しい事です。普通は少し時間を置くように考えますが、私のミスですね(笑)。
 それでも両者を見比べてみるのも一興かと思います。

 お尋ねの見どころは『半蔀』と『夕顔』の違いを説明しながら、ご紹介いたします。
 『半蔀』は出会いに焦点を当て、夕顔が光源氏との恋を懐かしむ様子を、夕顔の花と重ねて美しく戯曲化されていますが、『夕顔』は、夕顔という女性の霊が自身の過去を懺悔する構成となっています。

 夕顔は頭中将にみそめられ玉鬘を産みますが、中将の妻の右大臣家から追われ、五条あたりの荒屋に隠れ住むことになります。そして光源氏との出会いとなり、その誘いに乗ってしまいます。そして逢瀬を重ねますが、あるとき、なにがしの院で物の怪に取り憑かれ儚く亡くなってしまいます。

 『夕顔』は夕顔の不安な気持ち、悲しい出来事をベースにして、光源氏の誘いに自らをコントロール出来なかった夕顔が亡霊となって、過去を後悔懺悔し救いを求めます。そのため仏教思想が濃い仕上りで、最後は光源氏との深い契りを思いつつ、僧の弔いを喜び、変成男子となって成仏するというものです。今の世の中で、女性の救済に男性にならなければ成仏できないという変成男子の理念がそのまま通用するかは疑問で、ご不満に思われる女性はたくさんいらっしゃると思いますが、ここは能という演劇として受け止め、夕顔の哀しさ優雅さをご鑑賞いただきたく思っております。

―今回の小書について教えてください。
 今回の「山の端之出」という小書は、鑑賞者はご覧になれない幕の中から「山の端の心も知らで行く月は上の空にて影や絶えなん」と謡うと、ワキの僧が「不思議やなあの四阿(あずまや)より、女の歌を吟ずる声の聞こえ候、暫く休らひ歌の主をも見ばやと思い候」と受ける形となり、通常の謡の順序が逆になる演出です。
 この「山の端の…」という歌は「山の端の心=光源氏の心」も知らないで「行く月=私」は上の空…と、夕顔が誘われてなにがしの院に行くときの不安な気持ちを詠ったもので、夕顔の心を表す大事な歌、ここを強調する演出といえるでしょう。
 しかし、この幕の中から声を出す、というのがシテ方には難儀です。能における女性の声の出し方で、能楽堂の見所の隅々まで声が届かなければいけないので、これがなかなか難しいのです。まず声が聞こえ、そのうえで、その声が女性だとわかるような発声ですね。
 私は、演者の謡が鑑賞者に聞こえなかったら演者失格と思っていますので、声が皆さまのところにきれいに届くように心がけて勤めます。
 またより効果的な演出をしたく、お囃子方とも相談して新しい工夫を考えています。

―その新工夫は、どのようにお考えですか?
 「山の端の…」の歌を謡ったあとに、お囃子方にアシラヒ(囃子による明確なリズムを伴わない演奏)を打っていただき、その中から「巫山の雲はたちまちに…」と鼻歌を口ずさむような感じで登場し、そこにワキの僧が女に声をかけてくる展開とします。



夕顔 山之端之出 粟谷明生 撮影=石田裕

―その他、今回演じられるうえで、注目のポイントがあれば教えてください。
 後場は、「有難の御経やな」と、ワキの旅僧に供養を感謝して登場します。供養と読経、そして解脱成仏のやり取りを経て〈序ノ舞〉という舞を舞います。
 この〈序ノ舞〉は能という芸能でしか出来ない表現です。
 演者は決められた型の舞を寸法通りに舞いますが、鑑賞者はその表現が何であるかを想像します。それは見る方の想像力にお任せしますので、例えば、昔を懐かしんでいる、いや過去を後悔して改心している、それとも読経により成仏出来た喜びの舞では…と、いろいろな見方が自由にあっていいのです。そのあたりが能の面白さ、これこそが能でしか味わえない世界であると思います。

 それから、喜多流の場合、通常使用する面は「小面(こおもて)」という若い女性の能面を使いますが、どうも小面というと清純な感じが夕顔には似合わないように思えるのです。玉鬘を産みながら、源氏との恋に落ちる女性を小面で演じるのは、いささか辛い感じがしますので、今回は「宝増(たからぞう)」という、ちょっと大人びた感じの、きれいな女性の面をつけようと思っています。
 また、最初にお話しした『半蔀』と『夕顔』の装束は本来同じものですが、同じ夕顔であっても、少しニュアンスが違うように思え、今回は敢えて『半蔀』で着た白色長絹に緋大口袴を変えてみたいと考えています。どう違うか、ぜひ舞台でご覧いただき、お楽しみいただければ、と思います。

◇◇◇

 同時上演の狂言は「秀句傘(しゅうくがらかさ)」。秀句(だじゃれ)がわからない大名は、秀句を教わろうと新参者を雇いますが、やがて新参者が何を言っても秀句を言っているのだと思い込み…。
 大名と新参者の噛み合わないやり取りがおかしく、また大名が最後にこぼす一言に味わいのある狂言です。こちらもどうぞお見逃しなく。

国立能楽堂5月定例公演

5月11日(水)定例公演 午後1時開演

演 目:狂言「秀句傘」大藏吉次郎(大蔵流)/能「夕顔 山の端之出」粟谷明生(喜多流)
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5月14日(土)普及公演 午後1時開演

演 目:解説「兄弟の絆・母の愛」坂井孝一(創価大学教授)/狂言「富士松」野村萬(和泉流)/能「小袖曽我」上野朝義(観世流)
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5月20日(金)定例公演 午後5時30分開演

演 目:狂言「右流左止」井上松次郎(和泉流)/能「須磨源氏 窕」関根知孝(観世流)
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5月28日(土)特別公演 午後1時開演

演 目:能「俊成忠度」観世喜正(観世流)/狂言「宗論」茂山千五郎(大蔵流)/能「綾鼓」金井雄資(宝生流)
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各公演好評発売中! 国立能楽堂チケットセンター ほか



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