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【千駄ヶ谷だより】「月刊国立能楽堂7・8月号」巻頭随筆のご案内:津田健次郎さんにご登場いただきました!

 7・8月合併号でお届けしております、『月刊国立能楽堂』。
 いつも好評をいただいております巻頭随筆、今号は津田健次郎さんのご登場です!
 普段はご寄稿いただいた文章を掲載している巻頭随筆ですが、今回はライターの氷川まりこさんに津田さんへインタビューしていただき、その内容をまとめる形で掲載しました。
 声優・俳優・映画監督と、多彩なご活躍をされている津田健次郎さん。長く表現者として歩んで来られたこれまでの道のりの中で、能とのご縁は最近始まったばかりと言います。しかし、津田さんが表現者を目指した当初から大切にしていることと、能がこれまでの歴史で磨き上げてきた技法とが近いことに驚いたそうです。
 一時間余りに及ぶインタビューの中で、津田さんは能との出会いやその時の思いについて、真摯に語ってくださいました。
 今回は随筆の内容を一部、トピックスをご覧の皆様へ特別にご紹介します。全容についてはぜひ『月刊国立能楽堂』でお読みいただければ幸いです。

「月刊国立能楽堂」は通信販売でもお買い求めいただけます

電話注文:国立能楽堂営業課 03-3423-1331(代)
インターネット注文:国立劇場売店の文化堂(外部サイトへ移動します)


津田健次郎さん、夢と現の間(あわい)で能と対峙す[本誌より一部抜粋]



津田健次郎氏


 ~略~
 はじめて「ちゃんと観た能」は、数年前の靖国神社の『夜桜能』です。満開の桜に囲まれた野外はじっとしているとものすごく寒かったけれど、ゆらめく薪の炎に照らさしだされた舞台はまさに夢のような世界でした。風が吹くと花びらが散っていくなか、あの世とこの世の橋を渡ってこの世のものではない者が現れてくる。演目は思い出せないのに、ああ、これが能の幽玄というものかと深く感じたことは、今も鮮やかに心に残っています。
 ~略~
 日本文化の面白いところは「陽」よりも「陰」の部分にあるような気がします。夜とか闇、陰の部分で花開く何か。あるいは動に対する静。一足に何百キロの旅の距離を託すとか、舞台をひとまわりしたら場面が変わるといった時空の超え方。そういうシステムが、能が大成した六百五十年近く前に確立されていたというのは、もの凄いことだと思います。
 ~略~
 たとえば「花には寿命がある」と世阿弥は言っています。花の寿命、つまりピークです。そこを過ぎたらあとは下っていくだけだ、と。役者にとって、これはとてつもなく残酷な言葉です。役者に限らず、表現者はみな世阿弥のこうした達観を、恐ろしいと感じると同時に、「自分にとっての花とは何だろう?」と考えさせられます。
 僕自身について言えば、ピークはすでに過ぎているような気もする。だけれども、どこかに別の種類の花もあるのではないか、と思う。いや、思いたいのです。年齢を重ねていくということは、一歩ずつ死に向かっていくこと。死の色がどんどん濃くなっていくなかで、影や闇も濃くなって、その中に開いていくものもある、そんな気がします。
 ~略~

(全容は本誌で!)



「月刊国立能楽堂7・8月号」は、国立能楽堂入場券売場、通信販売にて発売中です。是非ご覧ください。

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