日本芸術文化振興会トップページ > 国立能楽堂 > 【第30回記念東京若手能】特別対談 ワキ方編 福王和幸(福王流)×御厨誠吾(宝生流) 前編
能楽若手研究会東京公演「第30回記念 東京若手能」を2月5日(土)に開催します。
それに関連して、今回の若手能に出演するワキ方福王和幸師、御厨誠吾師のお二方による対談を行いました。
奇しくもお二人は1973年生まれの同い年。全く違う境遇に生まれ、今は別の流儀でそれぞれ活躍しているお二人の、能楽との出会いや能楽への想い、また公演にまつわるお話をうかがいました。
「特別対談 ワキ方篇 後編」はこちらから
「特別対談 シテ方篇 前編」はこちらから
「特別対談 シテ方篇 後編」はこちらから
御厨誠吾、福王和幸
―お二人は能楽師のなり方は全く対照的ですが、能楽師になられたいきさつを聞かせてください。
御厨誠吾(以後、御厨):私は九州の福岡県のごく平凡なサラリーマン家庭に生まれました。伝統芸能とは全く無縁でしたが、詩や音楽が好きでした。ラジオの謡曲番組とかで、能楽に限らず邦楽をよく聞いておりました。
大学は北陸にある公立の大学に進学しました。法学科でした。受験勉強の時、赤本という参考書で「宝生会」のことを見つけて、興味を持ちました。「宝生会」はシテ方宝生流の仕舞や謡をする能楽サークルでして、入学してからは、学部の教室に通っていたのは入学当初1、2ヶ月だけで、あとはサークルの部室に入りびたりの毎日でした。当時はまだワキ方は特に意識しておらず、シテ方宝生流の稽古を熱心にしていました。
4年になって卒業という段になって、周囲の同級生が次々就職を決める中、自分は能の謡しか練習してこなかったこともあって、焦燥感に包まれつつも、サークルの部室で謡の練習をしたり、市の公立図書館で読書をしながら、悶々とした日々を過ごしておりました。
そんな時、図書館で手にしたのが、雑誌「演劇界」で、その本の巻末に国立能楽堂の能楽三役研修生募集の広告を見て、それに応募したんです。
御厨誠吾
福王和幸(以後、福王):僕は稽古始まりを覚えていないです。お稽古している記憶はありますが、いつ始めたか分からない。子方の初舞台も記憶がないんです。素謡かなんかで、「隅田川」の子方をしなさいと言われて、稽古したのは覚えてますけど、舞台に出た記憶はない。
初ワキは10歳でした。そこから気づかないうちにレールに乗っかっていたのかな。色んないい役をいただき、なんだかんだしている間に今こうなっている。親(編者注 福王茂十郎)が師匠と言うのはきついですよ。よそに修業に行くのと違って、私生活にまで持ち込みますから。
中学の頃までは、弟2人と兄弟3人で稽古してましたが、その頃に弟(編者注 福王忠世)はもうサッカーをしてました。
僕の場合は考える間もなく、次ワキツレだからほら覚えろ、その間に四拍子囃子の稽古に行け、と。外の稽古で怒られて帰ってきて、家でまた怒られる。授業中に謡をじっと見てても、学校の先生は何にも言いません。これ覚えないと大変なことになりますって言ってました。
それも、父からは25歳から30歳くらいまでには120番は頭に入れろと言われてましたから。それが役に立つ、と。30歳くらいまでは、ずっとそれに追われてました。
ただ、中学高校とバスケットボールをやってたんですが、日曜日に試合がある時だけは、舞台を外してもらいました。その時だけは学校優先でしたね。
福王和幸
御厨:研修生になる前ですが、大学でサークル活動してる時ですけども、北陸の能楽堂に、その後、私の師匠となる宝生閑先生がいらして、まさに「熊野」なんですが、ワキの名ノリが衝撃的で今だに忘れられないんです。
口では説明が難しいんですが、存在感というのか、強さというのか。その後、師事するとまではその時は考えてなかったんですが。素敵な先生だなと憧れましたね。
福王:僕は父に憧れはないですね。どうやって追い着くかってことですから。舞台はしっかり見てますよ。ただ、これは大変だなと。自分の技術で追い着けるかなってことですね。努力も素質も足りないなあと。
御厨:国立能楽堂の研修生となって、憧れの師匠のそばに常にいられると言うのは幸せでしたね。それに師匠が一流の舞台に出ているので、共演者の方も一流なんですけども、今は伝説となっている数々の名人、宝生流の松本恵雄先生、三川泉先生、喜多流の友枝喜久夫先生、粟谷菊生先生、観世流の観世栄夫先生、先代の観世銕之亟先生、片山幽雪先生、狂言の茂山千作先生、先代の野村又三郎先生、囃子方では藤田大五郎先生、先代の金春惣右衛門先生、そういう方々と、楽屋や舞台後の宴席などで身近に接することが出来たのが、本当に嬉しかった。宝生閑先生の弟子になった特権でしたね。
その他は全部苦しかったんですが、福王和幸さんの家庭とは違いまして、一般の平凡な家庭の生まれなので、挨拶一つとっても厳しく直されました。謡の技術は元より、楽屋でのふるまい、言葉遣いひとつひとつ注意されまして、全てのことが上手くできないもどかしさ、ふがいなさを痛感してました。
福王:僕は東京藝大に入りましたが、実は2年で8日間しか行ってないんです。
御厨:そこだけは似てる。藝大は別科ですか。
福王:そうです。観世流の謡、仕舞で入って。だから一般教養の授業はありませんでしたけどね。それでも行かなかった。舞台が忙しすぎまして。
―お二人は1973年生まれの同級生ですが、お互いのことをどうご覧になっているんですか?
御厨:同じ年齢ですけど、別の流儀、福王流のエース格で別格の方と仰ぎ見ております。将来の能楽界を背負って立つお方だと。現在の私の師匠である、宝生閑先生の長子、宝生欣哉先生とワキ方の両雄として並び立つこのお二人が、今後能楽界を代表するワキ方となっていくのは間違いないです。
福王:流儀は違えども、能の家の出身じゃないのに、こうして能の世界に入ってきてくださって、すごくありがたいと思ってます。ワキ方は潰れたら絶対にダメなので、能の家に生まれても辞めていく人がいる中で、苦労も僕らよりずっと多いと思うのに、それでもよく辛抱して頑張ってくれています。
―お流儀の違いは意識されることはありますか?
福王:舞台を拝見して、「それもありかな」ということはあるんです。福王流は上掛りですが、下掛りのシテのお流儀の舞台で、上掛りの型をそのままやろうとすると合わないことがあるんです。それをそのままやろうとすると、やっぱりひずみが生じてくるんです。
時々下掛り宝生流の舞台を見て、それを取り入れたら上手くいくんじゃないかと思うんですけど、父は流儀の型を守ります。
御厨:閑先生も流儀の主張には厳しかったですよ。ワキ方なのでシテに合わせるのは重要なことなんですが、そればかりだと、ワキ方の存在が無くなってしまう。ワキ方として主張するところは主張して、折れるところは折れるってことを教わったかなと思います。
―謡い方も違いますよね。茂十郎先生の仕舞「鷺」の謡をお聞きしたのですが、とても良かったです。
御厨:宝生流では「流れ落ちる滝の如く謡う」って教えがありますね。宝生新先生がおっしゃってたらしいんです。
福王:福王流ではそういう教えは聞いたことないです。その「鷺」もうちのオリジナルで、観世流の謡にもない。うちの流儀は、吟が違うっていうんですけど、弱い謡い方なんですよ。同じセリフでも、観世流で謡うと強い謡い方になって、雰囲気が全然違うんです。
御厨:フワッとした感じですね。ほのぼのしたって言うとあれですけど。
福王:素謡を何十回も謡わせますから。横一列になって稽古するんです。これが中々謡えない。道行とか次第とか向かい合ってたら謡えても、横になると謡えない。
御厨:シテ方の地謡みたいな感じですか?
福王:前と後ろで謡うのではなく、真横一列で上手いこと謡えるように稽古します。父の横でずっと謡ってましたよ。弟の知登と横に並んで。地謡の言葉を一曲丸々です。
―ワキ方の魅力についてお聞かせください。例えば、好きな曲や役はありますか?
福王:僕はないです。役の使い分けはしますけど。ただ、アレが好きとかコレが嫌いはないですが、僧ワキは面白いとは思います。
御厨:なるほど、僧ワキはシテ方が出来ない役ですからね。
多くの曲において冒頭に全体の状況を説明し、主役たるシテに問いかけた後は何もせずにただじっと演技を見ている、聞いている。これがワキです。
自分は何もせずに、ただ黙って座っている。シテの演技を引き出す面白さ。シテの芸を間近で鑑賞できる幸せと言いますか。
うちの師匠が前に言っていたんですけど、シテはお客様ではなく、ワキのために舞ってくれている。これが得難い魅力です。
福王:それは、そうですね。足が痛くなくなる時ってありますから。
御厨:足の痛みと連動してますね。
福王:早く終われって時もありますが、時間を忘れてしまう時もある。
―恍惚感に入ることもあるってことも?
御厨:あります。
福王:それはありますね。
御厨:もちろん足はいつでも痛いは痛いんですけど、いつまでもこうしていたいなあって時はありますよ。
まだまだ話は尽きません。後編では、「東京若手能」で演じる、「熊野」「小鍛冶」にまつわるお話をうかがいました。お楽しみに。
「特別対談 ワキ方篇 後編」はこちらから
「特別対談 シテ方篇 前編」はこちらから
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<福王和幸 プロフィール>
ワキ方福王流 1973年生
兵庫県西宮市出身
父は福王流十六代目宗家で文化功労者の福王茂十郎
三兄弟の長男で、弟はワキ方福王流の福王知登と元サッカー選手の福王忠世
日本能楽会員
<御厨誠吾 プロフィール>
ワキ方宝生流 1973年生
福岡県北九州市出身
国立能楽堂 第五期能楽[三役]研修 修了生
故宝生閑、宝生欣哉に師事
日時 | 2022年2月5日(土) 午後1時開演(開場正午) |
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場所 | 国立能楽堂 能舞台 |