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国立劇場

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【12月文楽】好評上演中、19日(木)まで!(舞台写真あり)

 12月文楽公演が東陽町の江東区文化センター、横浜市・桜木町の神奈川県立青少年センター(紅葉坂ホール)の2会場で開催されます。江東区文化センターでの公演が4日(水)に初日を迎えました。
 古典の名作はもちろん、現代語の詞章で綴られた話題作である、首都圏では上演が稀な木下順二作『瓜子姫とあまんじゃく』を、そして井上ひさしがモリエールの戯曲『守銭奴』を放送番組のために書き下ろし、義太夫節の節付けがなされた『金壺親父恋達引』などを取り上げて、3部制で上演しています。長年ご覧になられている方にも、文楽に馴染みのない方にも、文楽の幅広い楽しさをご堪能いただける公演です。
 舞台写真とともに、みどころをご紹介いたします。

 

【第一部】
『日高川入相花王』(ひだかがわいりあいざくら)
 旅僧安珍に恋い焦がれた清姫が大蛇となって、道成寺の鐘に逃げ隠れた安珍を焼き殺したとされる道成寺伝説を題材に、宝暦9年(1759)2月大坂竹本座にて初演されました。


『日高川入相花王』渡し場の段

〈渡し場の段〉
 日高川の渡し場にやってきた清姫。川を越えれば愛しい安珍のいる道成寺はもうすぐですが、船頭は安珍から清姫を向こう岸へ渡さないようにと頼まれていました。安珍を思うあまり、清姫は蛇になって日高川を渡っていきます。
 清姫のかしらは「角出しのガブ」と呼ばれ、口が耳まで裂けて牙をむき出したり、金色の角を出したりする仕掛けがあります。蛇体のように帯をなびかせて川を渡る人形ならではの演技と義太夫節の量感たっぷりの魅力をお楽しみいただける場面です。


『日高川入相花王』渡し場の段

『瓜子姫とあまんじゃく』(うりこひめとあまんじゃく)
 『夕鶴』『子午線の祀り』などで知られる木下順二(1914~2006)により、全国に伝わる瓜子姫の昔話を基に、民話劇として戯曲化された作品です。二代野澤喜左衛門による作曲で、昭和30年(1955)11月に人形入りで試演され、翌31年1月に大阪三越劇場で初演されました。
 画期的な口語浄瑠璃の名品として、大阪の国立文楽劇場ではしばしば上演し、好評を得ていますが、首都圏では上演機会が少なかった作品です。

 深い山奥に、瓜子姫とじっさとばっさが住んでいました。二人が出かけている間、瓜子姫が機を織っていると、いたずら者のあまんじゃくがやってきて、瓜子姫に遊ぼうと呼びかけます。あまんじゃくは、嫌がる瓜子姫を抱えて裏山へ連れ去り、瓜子姫を木にくくり付けてしまいます。


『瓜子姫とあまんじゃく』

 瓜子姫になりすましたあまんじゃくが家に戻ってでたらめに機を織っていると、瓜子姫のじっさとばっさが帰ってきました。あまんじゃくは、得意の口真似で瓜子姫の声を出そうと身構えますが、外で鳴くにわとりやとんびにつられて、思わずあまんじゃくもにわとりやとんびの声を出してしまいます。いつもと様子が違う瓜子姫を不審に思ったじっさが、あまんじゃくのしっぽを見つけて摑むと、あまんじゃくは悲鳴を上げて山へ逃げていくのでした。
 機織りの音を思わせる三味線の前奏や、古典の言葉遣いによらない太夫の語りなど、上手の床にも注目しながら、夕闇に包まれた山里を描いた文楽版の瓜子姫の世界をお楽しみください。


『瓜子姫とあまんじゃく』

 

金壺親父恋達引(かなつぼおやじこいのたてひき)
 『日本人のへそ』『頭痛肩こり樋口一葉』など多彩な作品を遺し、今年生誕90年を迎えた井上ひさし(1934~2010)がモリエールの戯曲『守銭奴』を放送番組のために書き下ろし、義太夫節の節付けがなされた作品です。

〈朝の段〉
 呉服屋の金仲屋金左衛門は金銭への執着心を持つ稀代の蓄財家。貯め込んだ金を壺にたっぷり入れて庭に埋めて隠し、何度も掘り起こしてはほくそ笑んでいます。美人娘のお舟が持参金付きで金左衛門の嫁に来ることになりますが、実はお舟は金左衛門の息子・万七と想い合う仲だったのです。一方、娘のお高にも金持ちの呉服問屋である京屋徳右衛門の後妻に入るという縁談が持ち上がっていますが、お高も番頭の行平と恋仲であることがわかります。
 親子をめぐる複雑な人間関係が示される場面です。


『金壺親父恋達引』


〈昼の段〉
 万七は家を出てお舟と一緒に暮らそうと金策を練りますが、手代の豆助が大貫親方から紹介された金貸しはかなりの高利貸しでした。ちょうどその時、奥から大貫親方と金左衛門が現れます。高利貸しが父の金左衛門だったことが分かると、万七は怒った金左衛門に散々に殴りつけられます。
 お舟との縁談話を持ち込んだお梶は、口八丁で金左衛門の気を良くさせ、金左衛門は祝い膳の準備を命じるのでした。


『金壺親父恋達引』


〈夜の段〉
 万七とお舟、行平とお高はそれぞれ駆け落ちを決意し、金左衛門が庭に埋め隠している金壺の中の金を資金にしようと考えます。豆助が金壺を掘り起こして万七に渡したところへ、金左衛門がやってくると金壺が消えていることに気付いて行平を犯人だと決め付けます。そこへ、徳右衛門が訪れます。行平は自分が大店の長崎屋徳兵衛の忘れ形見であることを明かすと、お舟は行平の妹だと名乗ります。そして、徳右衛門こそが実の父の徳兵衛であることが知らされました。万七は金左衛門に金壺を返すと、一人残された金左衛門は、恋の相手は金壺と抱きしめるのでした。
 文楽の名作を想起させる節が随所に散りばめられ、井上ひさし独特の機知に富んだ文体で綴られる強欲な金左衛門が巻き起こす珍騒動の全貌をお見逃しなく。


『金壺親父恋達引』

 

【第二部】
『一谷嫩軍記』(いちのたにふたばぐんき)
 源平合戦の一つである一ノ谷の戦いを題材に、立作者の並木宗輔らによる全五段の時代物浄瑠璃として、宝暦元年(1751)12月に大坂豊竹座で初演されました。今回は三段目の切に当たる熊谷次郎直実が無官太夫敦盛の死をめぐる真相を物語る「熊谷桜の段」「熊谷陣屋の段」を上演します。

〈熊谷桜の段〉
 源氏の武将・熊谷直実は平家との戦場にてまだ十六歳の平敦盛を討ち取りました。
 直実の陣屋では、桜の木の傍らに「一枝を伐らば一指を剪るべし」と記された源義経の制札が立ち、枝を折ることが禁止されています。直実の妻・相模が、我が子の小次郎の身を案じて陣屋を訪れると、敦盛の母親である藤の局が追手を逃れてやってきて、二人は思いがけない再会を喜びます。相模の夫が敦盛を討った直実であることを知った藤の局は、恩返しに敵の直実を討つ助太刀をするよう相模に迫ります。


『一谷嫩軍記』熊谷桜の段


〈熊谷陣屋の段〉
 そこへ直実が戻ってくると、藤の局は我が子の敵と斬りかかります。これを制した直実は相模と藤の局を前に敦盛の最期の様子を物語るのでした。


『一谷嫩軍記』熊谷陣屋の段

 源氏の大将・義経による敦盛の首実検が始まると、直実は義経の制札を抜き、この制札の意味のとおり討った首だと、首桶の蓋を取ります。直実が首を差し出すと、義経は敦盛の首に間違いないと答えます。しかし、その首は敦盛ではなく小次郎のものでした。直実は後白河院の血を引く敦盛を救うために小次郎を身替わりにするよう、義経が制札で示唆していると察し、我が子を犠牲にしたのです。我が子の死を知った相模が慟哭するクドキには、激しい胸の内が滲み出ます。


『一谷嫩軍記』熊谷陣屋の段

 敦盛の最期の真相を盗み聞いた梶原が鎌倉へ注進のため駆け出すのを、石屋の弥陀六が阻止します。そのまま立ち去ろうとする弥陀六を呼び止めた義経は、弥陀六が、幼い頃に伏見の里で母の常盤らとともに凍えているところを助けてくれた平家の侍・弥平兵衛宗清であると見抜き、敦盛を忍ばせた鎧櫃を与えて旧恩に報います。


『一谷嫩軍記』熊谷陣屋の段

 相模が悲嘆の涙を流す中、直実は鎧兜を脱いで有髪の僧になった姿で現れました。武士道のために我が子を手にかけて出家の道を選んだ直実は、涙をこぼしながら一同に別れを告げ、陣屋を後にするのでした。
 秘かに下された指令を果たすために我が子を犠牲にする熊谷直実の、武士として、親としての悲痛と無常観を描いた時代物の名作です。

『壇浦兜軍記』(だんのうらかぶとぐんき)
 享保17年(1732)9月に大坂竹本座にて初演された、文耕堂ほかによる全五段の時代物です。近松門左衛門の『出世景清』の改作として、平家の侍大将・悪七兵衛景清とその周囲の源平両陣営の人々を描いています。

〈阿古屋琴責の段〉
 平家の没落後、潜伏した平家の侍大将・悪七兵衛景清の居場所を探るため、鎌倉方の秩父庄司重忠は、景清の思い人の阿古屋を問注所へ連れてきて詮議することになりました。
 景清に私怨を抱く相役の岩永左衛門は、郎党の榛沢六郎の取り調べが手ぬるいと、手荒な拷問にかけようとしますが、重忠は情と理をもって阿古屋を説得します。それでも景清の行方は知らないと答える阿古屋に対し、重忠は阿古屋の証言が真実かどうかを確かめるため、三曲を演奏するよう命じました。阿古屋は重忠の思惑が分からないまま琴を弾き始めます。それは、歌の心を我が身の上に重ね、景清の行方は知らぬとの答えでした。


『壇浦兜軍記』阿古屋琴責の段

 


『壇浦兜軍記』阿古屋琴責の段

 しかし、重忠の詮議は終わりません。続く三味線も胡弓も見事な演奏で、阿古屋は景清との別れを悲しく切なく語るばかりです。じっと聴き入っていた重忠は、景清の行方を知らないということに偽りはないと許したのでした。
 景清との想い出を懐かしみ、その行く末を案じる切ない阿古屋の心情を描く三曲の調べが、文楽では異色の法廷劇を彩ります。全ての役の主遣いが裃姿、阿古屋は左遣いや足遣いも出遣いとなります。義太夫節の演奏とシンクロする人形の動きにもご注目ください。


『壇浦兜軍記』阿古屋琴責の段

 


『壇浦兜軍記』阿古屋琴責の段

 

【第三部】
『曾根崎心中』(そねざきしんじゅう)
 元禄16年(1703)4月に起きた曾根崎新地の露天神での心中事件を、近松門左衛門が脚色した世話浄瑠璃で、同年5月に大坂竹本座で初演されました。初演後程なく上演が途絶えましたが、近代に復活の機運が高まり、昭和30年1月に四ツ橋文楽座で復活上演されるや、今日まで文楽随一の人気演目となっています。

〈生玉社前の段〉
 醤油屋平野屋の手代徳兵衛は生玉神社で恋人のお初と出会います。徳兵衛は伯父である主人から娘との縁談を持ち掛けられていますが、お初のために縁談を断り、継母が勝手に受け取っていた結納金を伯父へ返そうとしていました。しかし、そのお金を信頼していた友人の九平次にだまし取られてしまうのです。お初もいる中、徳兵衛は大勢の前で辱められます。


『曾根崎心中』生玉社前の段

 その日の夜、曾根崎新地の天満屋に徳兵衛がやってきて、信用をなくしてしまった自分はもう生きていられないといいます。お初は打掛の裾に徳兵衛を隠して縁先に座り、足元に徳兵衛を忍ばせます。すると九平次がやってきて、お初に徳兵衛の悪口を言います。お初は悔しさに震える徳兵衛を制し、独り言に見せかけて心中する覚悟を問うと、徳兵衛はお初の足を喉元に当てて、覚悟を示します。
 通常女方の人形には足がありませんが、初演時に徳兵衛を遣った初代吉田玉男のこだわりで、お初が足をつけて演じられ、それ以来この場面のお初は足を用います。二人は言葉を交わしませんが、足を通じて添い遂げる覚悟を確かめ合うのでした。


『曾根崎心中』天満屋の段


 夜明けが近づくころ、二人は天神の森にたどり着きます。徳兵衛は愛おしさに思わずためらいますが、帯で互いの体を結び付け、お初と自らの命を絶つのでした。
 「この世の名残、夜も名残……」の名調子にのせて、二人の最期が美しく描かれます。


『曾根崎心中』天神森の段

◆◆◆

12月文楽公演の江東区文化センターでの開催は、13日(金)まで!
17日(火)から19日(木)は、神奈川県立青少年センター(紅葉坂ホール)で開催いたします!

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※残席がある場合のみ、会場にて当日券の販売も行っています。

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