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国立劇場

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【6月邦楽公演「現代邦楽名曲選」特別インタビュー】田中悠美子(義太夫三味線)
「『ワクワク』する気持ちに素直に」


田中悠美子

―国立劇場の思い出のご出演を教えてください。

田中悠美子(以下、田中) : 1983年3月の民俗芸能公演にて、八王子車人形の地方として、竹本駒之助師の語り、鶴澤寛八師の三味線による《日高川入相花王》〈日高川渡し場〉のツレで並ばせていただいたのが国立劇場初出演でした。お二人の演奏の迫力に圧倒されたことを覚えています。
1987年10月「第五十二回邦楽公演~邦楽鑑賞会」《ひらかな盛衰記》〈神崎揚屋の段〉で、駒之助師、鶴澤重輝師のツレ弾きをさせていただいた舞台は忘れられません。重輝師匠はこの演目をまだ舞台にかけたことがなかったので、覚えるのに非常に苦労されていました。私も一段全部覚えるように言われて、鶴澤燕二郎(現六世燕三)師と、駒之助師の師匠である四世竹本越路太夫師匠のお稽古にご一緒させていただきました。越路師は、重輝師の芸に感心され、「こんな方にお三味線を弾いてもらえて君は幸せだな」と駒之助師に仰っていました。本番の舞台では、重輝師の命をかけた鬼気迫る演奏をずっと隣に座って聴かせていただき、胸がいっぱいになりながらツレ弾きさせていただきました。


昭和62年(1987)10月国立劇場 《ひらかな盛衰記》〈神崎揚屋の段〉
左から竹本駒之助、鶴澤重輝、鶴澤悠美


―いつから三味線を始められたのですか。

竹本駒之助

田中 : 小学生のころから厳しいピアノの先生について毎週レッスンに通い、大学に入るまで弾いていました。ドビュッシーやラベルが好きでしたが、手が小さくてオクターブが精一杯だったので非常に苦労したものです。毎日の練習がそれほど好きではなかったこともあり、自分が全く知らない世界だった日本の音楽について勉強したいという思いにかられて、東京藝大の楽理科で音楽学を学ぶことにしました。大学入学後は一気に日本音楽の世界へ。当時の邦楽科には、四世清元梅吉先生や四世常磐津文字兵衛先生などの名人がいらっしゃいましたので、副科の授業はたくさん受講しました。
国立劇場にも頻繁に通うようになりました。忘れもしない、入学間もない1978年5月の文楽公演で義太夫三味線の音色に衝撃を受け、九世竹本文字太夫師のご縁で、竹本駒之助師のもとに通うことになりました。


―お稽古はいかがでしたか。

本牧亭の前で

田中: すべてが新鮮で面白かったですね。越路太夫師のお仲立ちで、四世野澤錦糸師に入門することになりました。楽譜を用いずに聞き覚えで習う、いわゆる口頭伝承のお稽古は大変でしたが、ピアノのお稽古とは違ってちっともイヤにはなりませんでした。藝大では義太夫節の実技を学ぶ授業はなかったのですが、指導教官の横道萬里雄先生もメンバーに加わっておられた井野辺潔先生主宰の「義太夫研究会」で、義太夫節の音楽学的研究も重ねていました。
大学4年生の1981年12月には、上野広小路の本牧亭で初舞台を踏ませていただきました。当時は客席が畳敷きで、下足番の人に靴を預けて入場したんです。それまで寄席に足を踏み入れたことがなかったので、高座で演奏できたことが物珍しく嬉しかったものです。その後、演芸関係のお仕事で永六輔さんや春風亭小朝師、立川志の輔師とご一緒できるとは夢にも思っていませんでした。
その頃は、若手演奏家がごく少なかった時代。80-90歳代の大先輩に混じって、毎月のように演奏させていただきました。当時は駒之助師の三味線を弾かせていただくことも多く、1989年、女流義太夫の公演が国立演芸場に移った頃には、1か月に1曲のペースで大曲を覚えなくてはならなくなっていました。丁度そのころ1990年度芸術選奨文部大臣新人賞いただきましたが、古典一筋の道を歩むことはできませんでした。


―どうなさったのですか。

田中 : 学生の頃から、古典の研鑽を積むと同時に、五線譜で書かれた現代曲への演奏意欲がありました。大学4年生のころ日本音楽集団の研究団員になり、翌年から正式にメンバーに加わらせていただいたのですが、定期公演出演のほか海外公演や地方公演にも連れて行っていただきました。
1985年には、三木稔先生のオペラ《JORURI》を吉村七重先生・坂田誠山先生・セントルイス交響楽団と、1991年には《序の曲》を吉村先生・三橋貴風先生・東京都交響楽団と共演させていただきました。カーネギーホールでの演奏はすばらしい体験で、その後もしばしばニューヨークで演奏する機会に恵まれることになります。


平成3年(1991)4月カーネギーホール 三木稔《序の曲》


―その頃、国立劇場のシリーズ「現代日本音楽の展開」にもご出演いただきました

田中 : 1989年6月、北爪道夫先生作曲の《琵琶・三絃・打楽器のための「映照」》に参加させていただきました。田中之雄・岩佐俊志・西潟昭子・ 高田和子・山口恭範・菅原淳という錚々たるメンバーとご一緒させていただいて、大変嬉しかったですね。
国立劇場の委嘱作品にはこの時初めて参加させていただいたのですが、このご縁がきっかけで、1993年のサイタルで北爪先生に作品を委嘱させていただきました。また、西潟先生と高田先生との共演がその後の様々な好機につながりました。


平成元年(1989)6月国立劇場 『第七回 現代日本音楽の展開』
北爪道夫《琵琶・三絃・打楽器のための「映照」》


田中 : 高田先生とは、1994年に高橋悠治さんの《すががきくずし》を共演させていただき、サントリー音楽財団「作曲家の個展 ‘95 高橋悠治」で《音楽の教え》に参加。99年に悠治さんプロデュースの邦楽器バンド「糸」に参加させていただくことになりました。悠治さんといえば、私の大の憧れであった現代音楽界のカリスマ。武満徹さんとも親しくていらっしゃいましたから、自分もその憧れの世界に入れてもらったような気になって、胸がワクワクしていました。


高橋悠治プロデュース 邦楽器バンド「糸」


―1997~99年には、特別企画公演『ひなの一ふし』にも続けてご出演いただいております。

田中 : この公演は、江戸時代の文人、菅江真澄(1754~1829)が残した旅日記をもとに、語り物音楽と民俗芸能で江戸時代の東北の情景を表現するという非常にユニークな企画でした。台本・作曲は間宮芳生先生、構成・演出は田村博巳さん。衣裳・ヘアメイクさんもついてくださって、とても楽しかったです。このとき、総合芸術の一環としての三味線音楽の魅力と可能性をこのとき強く実感しました。


平成9年(1997)1月国立劇場 『ひなの一ふし・ひなの遊びⅠ』


田中 : 1996年、西潟先生のコンサートで諸井誠先生の《en presence》をご一緒させていただいたご縁がつながって、2000年、ドイツの作曲家・演出家ハイナー・ゲッベルス演出による音楽劇『Hashirigaki』に出演。音楽,照明,声,動き,音響,装置,衣装などの芸術的要素が有機的に統合されたシアター作品で、世界各国のフェスティバルで上演されました。この作品はエジンバラフェスティバル2001でHerald Angel Awardを受賞しています。
この作品がきっかけで、2004年ニューヨークのジャパン・ソサエティで初演された人形アーティスト、バジル・ツイスト制作の舞台作品『Dogugaeshi』では音楽構成および演奏を行なうことになり、この作品はThe New York Innovative Theater Award、The Bessie's New York Dance and Performance Awardsを受賞しました。


平成12年(2000)9月シアターヴィディ 『Hashirigaki』

令和5年(2023)6月
山口情報芸術センター
『浪のしたにも都のさぶらふぞ』



田中 : もともと三味線は、座敷や遊里などのサロンとともに、人形浄瑠璃や歌舞伎など劇場でも発展した楽器ですから、舞台作品とは親和性が高いんですね。興味関心が嵩じて、2006年、2008年には、ニューヨークでパフォーミング・アーツに関する長期研修を行い、2010年アサヒアートスクエアで行ったリサイタル「ミュージック・パフォーマンス“たゆたうた”」における音楽・ダンス・アクト・映像・照明・人形などを融合した作品発表につながりました。
この6月に山口情報芸術センターYCAMで発表される、台湾のメディアアート作家チームとYMCA協働の、人形浄瑠璃とCGアニメーションを融合した映像+ライブパフォーマンス『浪のしたにも都のさぶらふぞ』は、この系譜に連なる作品にあたりますが、私は三味線・大正琴演奏、映像出演しています。


―また国立劇場のプログラムへも多数ご寄稿いただきました。

田中 : 「現代日本音楽の展開」では、1989年以来8回ほど曲目解説を執筆させていただき、楽曲の資料調査や譜面、音源の分析を通じて、作品を客観的に文章化する機会をいただきました。1991年から玉川大学の非常勤講師として日本音楽史を担当することで三味線分野だけでなく、ほかのジャンルについても改めて勉強し直すことになり、1998年に就職した兵庫教育大学での研究・教育活動に活かされました。
2009年、研究仲間と『まるごと三味線の本』を上梓することができたのも、2014年Eテレで放映された「スコラ坂本龍一音楽の学校」に出演し、CDブックレット編集や選曲に携わることができたのも、日本音楽の勉強を続けて来たおかげです。


―幅広くご活躍されていらっしゃいますね。

田中 : 古典や現代音楽、舞台作品にかかわる以外にも、即興演奏などの実験音楽の分野でも活動しています。1991年、仙波清彦さんの和洋フュージョンビッグバンド「はにわオールスターズ」に参加することになり、1994年から巻上公一さんや大友良英さんといった実験的な音楽を演奏するミュージシャンとも関わりができ、ジャズやプログレッシブロック、電子音楽などをバックグラウンドに持つ国内外の様々なミュージシャンと共演することになります。
「即興」というと、ただ感覚的に弾いているだけ、と思われる方も多いのですが、私が続けている即興は、古典の世界と同じく奥深いものです。デレク・ベイリーの「インプロヴィゼーション」という本が、かなりその核心をついていますが、是非ライブで良い即興を聴いて、その場で自ら作曲・演奏する「インスタント・コンポジション」の魅力を体感していただけたらと思います。
邦楽の世界を飛び出して、他分野と協働・共演する場合、現場での柔軟性が大切です。楽曲を練習してレパートリーを発表するだけではなく、臨機応変にアイディアを出し、様々な引き出しからその場で求められている音を表現すること。即興演奏で鍛えられているおかげで、どんなコラボレーションでも質の高いクリエーションを導き出す自信がつきました。


―これからの邦楽界へ期待することはありますか。

田中 : 今の時代、大衆に受けるエンタメも大変重要ですが、ハイアートなパフォーマンスや現代音楽、実験音楽、即興演奏に興味を持ち開拓していく人も増えてほしいと思います。私も様々な経験を積んで来ましたが、様式化された特定のジャンルや枠組みにとらわれず、「ワクワク」する気持ちに素直に、広い世界で挑戦していただきたいですね。若い人には、いや若くない人にでも、無限の可能性がありますから。



<プロフィール>
田中悠美子
(たなか・ゆみこ) 義太夫三味線・エレクトリック大正琴
©Hiraku Ikeda

竹本駒之助、四世野澤錦糸、鶴澤重輝に師事。四世竹本越路太夫預り鶴澤悠美。重要無形文化財総合認定。即興などの実験音楽や現代音楽の演奏、バンド活動、シアターや映画音楽の作曲・演奏など。ハイナー・ゲッベルス『Hashirigaki』、バジル・ツイスト『Dogugaeshi』、ソロアルバム『tayutauta』、DVD『Yumiko Tanaka Music Performance』、『まるごと三味線の本』編著、坂本龍一『schola vol.14日本の伝統音楽』共著。
東京藝術大学大学院修士課程修了。元兵庫教育大学准教授。1990年度芸術選奨文部大臣新人賞。93年財団法人清栄会奨励賞。99年日本音楽コンクール委員会特別賞。2006年ACCグランティー。2008年度文化庁海外研修特別派遣。


【公演情報】
6月邦楽公演「現代邦楽名曲選」 公演の詳細はこちらから