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【5月文楽】[関連コラム]人形浄瑠璃「文楽座」の歩み

人形浄瑠璃文楽座は、明治5年(1872)に大阪・松島文楽座の開場時に初めて番付に劇団名として「文楽座」の名前が載り、今年はそれから150年目に当たります。
人形浄瑠璃が文楽と呼ばれているのも、この「文楽座」に由来しています。
この節目の年に、国立劇場では2月文楽公演に引き続き5月文楽公演を記念公演として開催します。

    



「文楽座」という名前は座主・植村家元祖正井与兵衛の素人浄瑠璃語りとしての号「文楽」が由来です。
義太夫節による人形芝居は、貞享元年(1684)に竹本義太夫が大坂・道頓堀に創始した「竹本座」と、元禄16年(1703)にその弟子・豊竹若太夫が始めた「豊竹座」が競い合って流行し、『義経千本桜』(1747)などが大成功したころには全盛期を迎え、その後は大坂各地で後継者たちが興行を続けていました。
正井与兵衛が大坂で寛政期(1790年頃)以降に経営を始めたとみられる劇団は、幕末期もその子孫たちによって隆盛と苦難を乗り越えながら連綿と引き継がれます。
そして、明治5年(1872)に大阪の松島へ芝居小屋を移転した際に「文楽座」の名称が番付に載り、明治末に松竹合名会社に経営を譲るまで100年余りの間、植村文楽軒の一族によって経営が続けられました。


初代文楽軒の肖像画(豊竹呂勢太夫蔵)



明治17年(1884)には、非文楽座系の人々が集まり、文楽座に対抗して彦六座が開場します。文楽座は松島から御霊神社に移転し、[御霊文楽座]となりました。二座が拮抗し、明治期に人形浄瑠璃は黄金期を迎えます。
彦六座解散後も、彦六座系統との拮抗は続きますが、大正時代には文楽座が人気を独占します。
しかし大正15年(1926)、失火により御霊文楽座は焼失し、明治から大正まで続いた黄金期は終わりを迎えるのでした。


御霊文楽座跡



御霊文楽座の焼失後、道頓堀の弁天座で仮興行を行っていた文楽座は、昭和5年(1930)に大阪の四ツ橋に[四ツ橋文楽座]を開場しました。
文楽としては初めての洋風建築の劇場で、プログラムの販売も行われるようになります。名人を輩出し、大阪の芸能として親しまれました。

四ツ橋文楽座の老朽化のため、昭和31年(1957)に[道頓堀文楽座]が開場し、人形浄瑠璃は本格的に道頓堀に復帰します。
戦後、文楽座は文楽座員の労働組合結成に起因して、因会と三和会に分裂しましたが、昭和38年(1963)に再びひとつにまとまり、財団法人文楽協会が設立されました。
協会設立後、道頓堀文楽座が朝日座と改称したため、劇場名としての「文楽座」は姿を消し、劇団名としてのみ名を残すこととなります。

現在でも文楽座は劇団名として存在しており、座員全員が一般社団法人人形浄瑠璃文楽座に所属しています。
文楽座員により演じられる「文楽」は東京の国立劇場や大阪の国立文楽劇場、地方公演などを中心に、日本の代表的な伝統芸能の一つとして上演が続いています。

5月文楽公演は7日(土)から24日(火)まで!
チケットは好評販売中です。
文楽座の歴史をぜひ劇場でご体感ください。





↓人形浄瑠璃文楽についてより詳しく知りたい方はこちら
(文化デジタルライブラリーへのリンクです。)



参考資料:一般社団法人「人形浄瑠璃文楽座」発行 『文楽座命名150年 人形浄瑠璃「文楽座」の歩み』
なお、公演期間中、こちらの冊子を劇場ロビーにて配布しております。5月文楽公演にあわせて改正した第二版です。文楽公演とあわせて、お楽しみください。
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