国立文楽劇場

おさんについて考えてみる。  『心中天網島』を観て

三咲 光郎

  ハアそれなればいとしや小春は死にやるぞや
 女房のおさんが、はっと気づき、
  どうぞ助けて助けて
  こなさん早う行て、どうぞ殺してくださるな
 と夫の治兵衛にすがりつき泣き沈む。
 「天満紙屋内の段」のこの場面を、私は五感を総動員して感じ取ろうとしていました。

 近松門左衛門の代表作『心中天網島』
 といえば、人形浄瑠璃を代表する名作中の名作。その演目でも最も有名な「天満紙屋内の段」。
 この場面の中心となるのは、紙屋の女房おさんです。夫の治兵衛は、一緒に死のうとまで誓いあった遊女の小春が、ライバルの太兵衛に身請けされると知って、太兵衛にカネで身請けされるなら死にますと誓っていたくせにあの腐れ女め、と蔑みます。それを聞いて、おさんは、小春は死ぬつもりなんだわ、と気づくのです。

 というのも、小春が治兵衛に冷たくなって逢わなくなったのには、隠された事情がありました。夫が遊女と死ぬかもしれないと危ぶんだおさんが、
「女はお互いに助け合うもの。思い切れない気持ちを思い切って、夫の命を助けて」と小春に手紙を送り、小春が、
  身にも命にも換へぬ大事の殿なれど引かれぬ義理合ひ思ひ切る
 と返事をしたからでした。
 そんないきさつがあったので、おさんは、小春が自害すると察し、
  アヽ悲しや、この人を殺しては、女同士の義理立たぬ
 と動揺し、店の大事のカネと、風呂敷に包んだ家族の着物を治兵衛に渡し、これで小春を身請けしてあげて、と送り出そうとするのです。

 私はこの場面を、「おさんのちゃぶ台返し」と勝手に命名しています。ふざけた言い方で、ごめんなさいなのですが、
 どうして? どうしてここで、これまで苦労して積み重ねてきた努力を、バアンとひっくり返してしまうの??
 という大いなる疑問が湧き上がってくるのです。

 心中物のお約束は、日常のがんじがらめの生活と、非日常の華やかで、はかない(だから純粋な)夢の世界との闘いです。
 日常の世界に生きる男主人公が、いろいろな葛藤を経て、非日常の世界に住む遊女と悲しい心中へと踏み出していく。
 近松の心中物の第一作『曾根崎心中』はまさにそんなドラマでした。日常の世界を代表する家庭や家族は、遊女の住む非日常の世界と対立し、男主人公を追い詰めていく存在です。
 ところが、おさんはそうではない。逆です。小春を身請けしてください、と治兵衛を送り出そうとする。男主人公と同じ側に立って、葛藤を生み出す存在とならないのです。
 おさんって、どういう人?
 作者の近松さんは、どう考えてたの?
 私は五感を総動員して、舞台のその場面を感じ取ろうとしていたわけです。

 苦労して夫を家庭に取り戻し、日常生活の秩序をそこまで回復していたのだから……
 小春には気の毒だけど、この場は知らん顔をして、手紙のやりとりのことも夫には生涯言わずに、家庭と子供、商売を手堅く守り抜くべきか?
 家庭も商売も失くしてでも、遊女との「女同士の義理」を立てて、小春の命を救うべきか?
 あなたならどうしますか?
 この「ちゃぶ台返し」問題は、古来、議論されてきたみたいで、イプセンのノラが紹介された後の大正時代には、女学校の修身の授業で、おさんについて討論されたとかいいます。

「  おさんは、自らの意識を、非日常的な遊里の住人の意識へ、手紙という形で踏み入れる。家庭の女房と遊里の女という立場とは関係なく、おさんの意識は小春の意識と対等である。その対等の状況がおさんの側からなされたとき、小春は、自らの意識を、治兵衛をあきらめるという行為でおさんに近づけた。互いの意識を対等に近づけ合うことが『女同士の義理』の本質である。
  ハテ何とせう子供の乳母か、飯炊きか、隠居なりともしませう
 というおさんの言葉は、治兵衛ではなく小春のために発せられたものである。  」
 これは、わたくしが大学の卒業論文でおさんを論じた一節です。押し入れで埃かぶってました。
 これを書いた頃から四十年が経ち、魂抜けてとぼとぼ、うかうかと過ごしてきた今の私が読み返してみると、なにやら、こむずかしい理屈を並べておって、あの頃ボクは賢かったんやなあ、しかし若書きにしてもこんなに立派なこと思いつくはずもないから、どっかの研究書からの引き写しなんかなあ、と小っ恥ずかしいこと限りなし。
「封建制度、家父長制度の下で抑圧されていた女性同士の人間としての連帯感がみられる」
 というのは、これまでにも言われてきたことではありますが、まあまあ、今の私よりは賢いこと言うてるわ、と思うのです。どうでしょうか?

 今回の公演で、耳に残ったのは、小春が身請けされると聞いて、治兵衛が無念がるせりふです。
  太兵衛めが威厳こき、治兵衛身代息ついての、銀に詰まつて何どと、大坂中を触れ廻り、問屋中の付き合ひにも面をまぶられ生き恥かく、胸が裂ける身が燃える。
 これに応じておさんは、
  男は世間が大事。……太兵衛とやらに一分立てゝ見せてくだんせ
 と商売の決算に用意したカネを身請けのために渡します。
 ちょっと人物関係を整理すると、治兵衛の父と、おさんの母は、兄と妹。つまり治兵衛とおさんは、いとこ同士の夫婦。治兵衛からみれば、義母はもともと叔母さん。この家族は婚姻関係と血縁関係で二重にしっかりと結ばれていて、おそらく治兵衛の亡き父は、「おさんちゃん、きばって、うちの一家一族を支えてや、任せたで、頼んだで」なんて、おさんに圧を掛けていたのでしょう、知らんけど。
 だから、おさんは、天満で老舗の紙屋の看板、面目を守るためにも、くやしがる治兵衛に小春を請け出させたくなったのかもしれません。

 とはいうものの、熟慮の末にそう結論を出したのではない。治兵衛に「小春を請け出した後、おまえはどうなるんだ?」と言われて、はっと行き当たり、
  アツアさうぢや、ハテ何とせう
 わっと泣き叫んでいるわけですから、やはりおさんは、直観的、直情的に、義理を立ててくれた小春の命を守らなければ、と瞬時に決意したのでしょう。これは人間力ですね。
 深くて、力強い、母性を感じる人物です。

 おさんについては、いつもああだこうだと考えてしまうのですが、そんなブンガク的考察も、劇場に座ると、どこかへ行ってしまいます。
 小春の、憂いと気品。太兵衛、善六のおバカな憎々しさ。兄の孫右衛門の愛情と心労と秘密を知ったときの驚き。姑の嘆き。舅の怒り。
 語りと音曲と人形の息遣いが、五感を包み込んで、文楽の世界へ拉っし去ってくれます。
 大和屋で、木戸をそろそろと開けるところではかたずを呑み、小春と治兵衛がようやく手に手を取った姿に、至福のよろこびを覚えました。道行の場面で、やっぱり主役は心中へ向かうこの二人だ、とうなずいている自分がいます。
 舞台を観て、感動をもらう。これに優る正解はないかな。

■三咲 光郎(みさき みつお)
小説家。大阪府生まれ。関西学院大学文学部日本文学科卒業。
1993年『大正暮色』で第5回堺自由都市文学賞受賞。1998年『大正四年の狙撃手(スナイパー)』で第78回オール讀物新人賞受賞。2001年『群蝶の空』で第8回松本清張賞受賞。大阪府在住。

(2022年7月19日第二部『心中天網島』観劇)