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国立文楽劇場

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研修修了者インタビュー 鶴澤清公さん(令和4年2月掲載)

今回は、第21期文楽研修修了者で三味線弾きの鶴澤清公(せいこう)さんにお話を伺いました。

清公さん

―文楽研修に応募しようと思ったきっかけを教えてください。

僕は広島出身で、大学で関西に出てきました。4年間だけでも広島から出たいなと思って。大学1回生のときに、授業で鑑賞教室を見に行ったのが初めての文楽です。
1列目の席だったんですよ。「二人三番叟」だったんですが、みんな汗だくでやってるし、テンポも速いし、衣裳も綺麗やし、「すげえなあ」と思って。なんとなく思い浮かべていた文楽のイメージが、ガラッと変わりました。学生だったら安く見られるので、そこから大阪公演の度に1人で見に行くようになりました。
研修生募集のチラシも劇場で見たんです。「世襲じゃないんだ」と思って、何となくチラシを家に持って帰っていた、という感じですね。大学を途中で辞めて応募しました。大学は楽しかったんですけど、「じゃあ僕には何ができるんだろう」という不安がだんだん大きくなっていたんです。親が写真館をやっていて、自分の技術で仕事をするのがいいな、と思っていましたから、何もないまま大学を卒業するのがだんだん怖くなってきて…

―大学を中退してまで応募するのは、かなり勇気の要ることだと思います。

知らないなりに、やるなら一日でも早い方がいいと思ったんです。大学の先生も「週末だけでも大学に来て、卒業したら?」と言ってくださったんですけど、文楽に入るなら、卒業しようが中退しようが一緒だと思って。
「何もできないまま大学を卒業しちゃったらどうしよう」という不安の方が強かったですね。父親が毎日ネクタイ締めてって家じゃなかったんで、それもイメージできないし。そんな時に研修生募集のチラシを見て、こっそり応募してみようかなと思ったんです。
けど、親の同意書が要るんですよね。公演プログラムとかを見せながら、まず文楽というものがあるということを説明して、研修生というのがあって…と説明して。何を根拠に言っているのかわからないんですけど、母親は「すごい、すごい」って言ってくれました。父親は黙っちゃって…。でも、次の日に「受けてみたら」って同意書を書いてくれました。
僕、バイトもしたことなかったんですよ。応募って、研修生しかしてないですね。

―最初から三味線志望だったのでしょうか。

最初は人形遣いになりたかったんです。学生の頃は人形ばっかり見ていました。なんですけど、清介師匠が研修に来てくださって、その時に「この人、僕が『師匠』って呼ぶ人や」って思ったんですよ。いや本当、僕の直感です。別に何か言われたわけじゃなくて、普通に研修してくださっただけなんですけど。人形志望だったので少し抵抗はありましたが、それでも清介師匠の弟子になりたいと思いました。清介師匠の弟子になるには三味線弾きにならなきゃいけない。そこから慌てて、三味線をちょっと頑張らなきゃ、適性審査(※)通らなきゃ…と、そんな感じですね。
(※)適性審査…開講後8か月以内に実施する実技審査。合格して専攻が決定する。

―研修生になる前の選考試験に向けては何か準備をしましたか?

何もしなかったんですが…、普段声が小さいから、とりあえず大きい声で返事しようとは思いました。それぐらいですね。今でも「挨拶は元気よく、大きい声で」と思っています。

―研修中の生活について教えてください。指導は厳しかったですか?

厳しかったです。学生気分が抜けていないままでしたから、最初の頃は怖かったですね。いろんな講師が入れ替わり立ち替わり研修してくださったので、覚えて弾けるようになるのに精一杯でした。10時から研修で、18時に終わってからも復習と予習とでもう…。電車でも暗記してるし、帰っても疲れてすぐ寝ちゃうし、起きたら早く行かなきゃいけないし、始まっちゃったらそんなに、迷いとかはなかったですかね。
辞めたいとは思わなかったです。それよりも「やらなきゃ辞めさせられちゃう」と思ってました。今思えば当然なんですけど、「覚えてなかったら、教えることはない」と、途中で帰っちゃう講師もいました。ずっと劇場にいましたね。一人暮らしだったから家にいてもしょうがないし、土日も来て自習していました。

―文楽の三業(太夫・三味線・人形)以外にも、日本舞踊や作法など色々な科目がありますが、今に役立っているという実感はありますか。

少しでも自分でやった経験があるっていうのは大きいと思います。全部細かいことまで覚えてるかと言われたら覚えてないですけど、こうやってこうやって、こういう風に立って座って一歩目がどうのこうのって、そういう世界があるってわかっただけでも良かったなぁって思います。日本舞踊はキツかったですけどね。脚がプルプルして、本当にこんな格好なのかなぁって。でも、今の山村友五郎先生(上方舞山村流宗家)に明るく教えていただけました。狂言は、四世の茂山千作先生(重要無形文化財保持者、芸術院会員、文化功労者)が来てくださって、わからないながらにビビリましたね。講師控室では普通のおじいちゃんで、室戸台風がどうのこうのとか古い話をしていらっしゃるんです。でも、研修が始まったらすっごいんですよ、声の響きが。稽古場が共鳴するんです。あれは本当に強烈な体験でした。

―研修中と入門してからの生活と、どんな違いがありますか?

入門すると先輩方のお手伝いがあるので、まとまった稽古時間が取れないんです。そろそろ誰々の着替えの時間とか、そろそろ師匠や先輩の三味線を運ぶ時間とか、メリヤス(舞台の雰囲気を表現するために繰り返し演奏する短い旋律のこと。)も弾かなければいけないし。ぶつ切りでも時間見つけてやらなきゃいけないんだなって思いましたね。どんだけ畳むんだっていうくらい、1日中袴を畳んでいたこともあります。研修中は自分のことだけしていれば良かったので、この差が1番大きいですかね。

清公さん

僕の一門は兄弟弟子が多いので、わからなかったら兄弟子の清丈(「丈」は右上に「`」)さんに聞いたりできましたし、清志郎さんとか清馗さんとか、大きい一門の先輩方も助けてくださいました。年の近い友之助さんもいたし、わからなかったら聞くことを心がけていました。うちの師匠は、ご自分の用事を弟子にあんまりさせないで、「その時間があったら舞台を聴いておきなさい」と言う人なんです。その点では感謝しています。毎日お師匠さんの家に行く一門もあるんですけど、うちはないんですよ。僕が結婚するっていう時も、ご自宅じゃなくて、東京のホテルに押しかけて、「お師匠はん、話があるんですけど」「どないしたんや。や、辞めんのか」「違うんですけど、すみません」って言って(笑)。
任されているというか、楽屋でダラダラしていてもいいし、稽古していてもいいし、舞台聴かせてもらってもいいし、本当に自分次第です。師匠は言わないですけど、ちゃんと自分で考えてやれよって意味なので、言い訳ができないですよね。だから、積極的に舞台を聴かせてもらっていました。

―技芸員になって良かったことを一つ挙げるとすると?

初春文楽公演で、僕は「寿式三番叟」に出演していますけど、みんながバチっと揃った瞬間、ゾクっとするような日があります。そういうのって得難いですよね。師匠や兄弟子に出会えたこともそうです。仕事で国内外いろんな所に行けるというのもあります。舞台で落ち込むこともあるけど、舞台で凄い高揚感を味わえることもあります。大概「あ~しまったなぁ」「あそこんとこ、調子合わなかったなぁ」とかジュクジュク考えることの方が多いですけど(笑)。それでも、お客様と人形の動きと演奏とが渦巻く瞬間があるんですよ。他ではなかなか味わえないことだと思います。
あと、何十年も舞台を勤めた師匠や先輩方の熟練の技を真近で見られます。特に三味線弾きは、お箏とかツレ弾きとか胡弓とか、真横に座らせてもらえることもあるんです。緊張するので、その時は嫌なんですけど、終わって何か月かすると、「ああ、良い経験をさせてもらったなぁ」って思います。その時は嫌なんですよ、本当に。配役が出てからずっと嫌なんですけど、終わってちょっとすると、配役していただけて良かったなって。

―今後の抱負をお聞かせください。

うちの師匠は「大きい演目でもどんどんやりなさい、せなあかん」って仰ってやらせてくださるので、本当に感謝しています。「まだ早い」とか「まだちょっと…」とか言われたことないですね。大曲でも一段全部「やったらええ」と言って稽古してくださるんです。 師匠はたくさんのモノを先人から受け取っていらっしゃるし、ご自身も素晴らしい人なんで、「先輩が言うてた」と仰るモノを一つでも多く受け継ぎたいですね。漏れなくっていうのは無理なんでしょうけど、弟子たちで手分けしてでも、先細りにならないように色々引っぱり出したいと思っています。
骨格も違うし、育ってきた環境も違うから、師匠と全く同じにはならないです。同じ構えをしても師匠は喜ばないと思うし、僕は僕の身体でしか弾けない。見た目とかじゃなくて、舞台に対する姿勢とか、師匠のハートの部分を受け継ぎたいですね。憧れて弟子になった訳ですから。

―文楽研修に応募しようとしている未来の後輩に、メッセージをお願いします。

文楽っていうものを、縁があって「やりたい」と思ったり、勧められたりした訳ですから、少しでも考えているなら思い切って応募してみてください。やってみないとわからないです。やりがいのある仕事だと思うんですよ。僕は三味線弾きですけど、多分、太夫にしても人形遣いにしても一緒だと思います。
正座(ができないと無理なんじゃないか)を心配しているかもしれません。初めは確かに正座は辛いですけど、必ず慣れます。正座ができなくて辞めた人はいませんから、心配は無用です。
七代目の鶴澤寛治師匠(重要無形文化財保持者)が「山に登ってて、隣りの山見たら『いいなぁ』と思うけど、自分が登ってきた山をもう一回下って別の山に登るんやったら、どの山に登っても一緒や。登りかけたんなら、登り続けたらいい」って仰っていました。とりあえずやってみるのも難しいですよね。感覚的な部分が多い仕事だから、全員に適性があるかわからない。でも、好きになって工夫すれば絶対できると思うんです。僕だって楽器を職業にするなんて考えてもなかったけど、先輩方のおかげで何とかできています。あんまり考えすぎずにやれば、先輩方がどうにかしてくれます。みんな親切な人ばっかりです。聞かなかったら教えてくれないですけど、「わからない」って言ったら絶対教えてくれますから。思い切ってやってみてほしいと思います。

―ありがとうございました。