国立能楽堂

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【第30回記念東京若手能】特別対談 シテ方編 小倉伸二郎(宝生流)×川口晃平(観世流) 前編

能楽若手研究会東京公演「第30回記念 東京若手能」を2月5日(土)に開催します。
それに関連して、今回の若手能で能のシテをつとめます小倉伸二郎師、川口晃平師のお二方による対談を行いました。
宝生流と観世流、それぞれの流儀で大活躍されているお二方。それぞれ、かつては流派や家の内弟子となって、能楽師としての修行を積みました。ご自身の能との出会いや内弟子時代の思い出、能への想い、そして能の魅力についてうかがいました。

「特別対談 シテ方篇 後編」はこちらから
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川口晃平、小倉伸二郎

―お二方は話すのは初めてでいらっしゃいますか?

小倉伸二郎(以下、小倉):楽屋などで、お顔は今まで何度も拝見したことがありますが。

川口晃平(以後、川口):お話するのは初めてですね。ご挨拶はしたことがあると思いますけども。

―まずそれぞれどういういきさつで能楽師になられたのか、聞かせてください。

川口:僕は父が漫画家(編者注 かわぐちかいじ)でしたので、子どもの頃から好きなことで身を立てたいなと思っていたんです。人の顔を描くのが好きで、絵描きになろうと思って、油絵をずっと描いてたんですが、美大に行くか行かないかという高校の終わりくらいに、能面の図版を見たんです。そのとき、日本の近代以前に、こんなにレベルの高い人間表現があるのかと衝撃を受けまして、美大行くのをやめて、普通の大学に行きまして、能のサークルに入りました。
実は初めて見た能は「小鍛冶」なんです。こんなににすごいものが日本にあったのかと感動しましたね。そこから能にはまって見まくりました。
そんなかで偶然師匠の梅若実先生と出会うきっかけがありまして、ファンで梅若家に遊びに行ったんです。初めて会ってから5回目くらいの時でしょうか、師匠がどこの馬の骨とも分からない大学生の僕に、「川口君、碇(いかり)作れる?」っておっしゃって。と言うのも、梅若家には「碇潜(いかりかづき)」という能の碇がなかったんです。それで、「はあ、作ってみます」といって、事務所にあるハンガーと段ボールで碇を作って、「これでよろしいでしょうか」とお見せしたら、「ああ、それそれ、今度舞台で使う」とおっしゃって。それで実際、その碇が使われました。
その頃、全く能楽師になるつもりはなかったんですけど、そういうこともあって、師匠の舞台というものにものすごくハマってしまいました。

―大学生のうちにもう実先生とお会いしていたんですね。

川口:そうです。初めてお会いしたのが、大学三年くらいだと思うんですども。同時代の表現している人の中で、師匠の能が僕にとって一番感動的でした。この人は世界一すごいなと思っていたんです。
そうこうしてるうちに、師匠と鍋を食べるという機会がありまして、一緒に鍋を食べていたら突然「川口君、能楽師になんない?」と言われて、思わず「なります」と返事をしていました。それで、大学を出て内弟子に入ったんです。



川口晃平

小倉:僕は、祖父(編者注 小倉輝泰)の代から続く能楽師の家に生まれました。祖父は野口兼資先生の内弟子として12年間くらいいたらしいです。父(編者注 小倉敏克)の時は、当時の宝生流の家元(編者注 17代宗家宝生九郎重英)のところに直接入門させてもらったと言います。小学校6年生の頃で、子方にしては随分上になってからですね。
僕には兄がいまして、小倉健太郎といいますけども、兄とは1つ違いで、ほぼ同時に入門しました。ずっと兄と子方を一緒にやってきたんで、なんとなく兄にくっついてやっているような意識しかなかったんですけど、兄が船弁慶の子方をやっている舞台を見て、かっこいいな、やってみたいなと思ったんです。けど、どうも僕に来るのは長袴で座ってるだけの役ばっかりで、ある時、父に直訴したら、「わかった」と言って、当時若宗家だった宝生英照先生に話してくださって、お役を頂戴しました。それからですかね、能楽師はかっこいいって意識を持ったのは。それまでは痛いとか辛いっていうイメージが強かったんですけど。
高校生になってから、囃子の稽古を始めました。また、水道橋の宝生能楽堂には、稽古でよく通ってました。すると、当時の内弟子さんや先輩たちと話す機会も増えてきて、ちょっとずつ楽屋のことを教わったりしているうちに、少しずつ魅力を感じはじめていました。
それで、高校卒業するころになって、父に「お前どうするんだ」言われまして、どこか嫌いじゃなかったんでしょうね、その時に腹を決めて「この道で行かせてください」と言いました。それで、内弟子に入れて頂きました。同じようなことを既に兄が経験してたんですが、兄は兄で色んな葛藤があったみたいです。

―高校を卒業して内弟子に入られましたが、大学は東京藝大に行かれたんですよね。

小倉:その頃はまだ内弟子で、住み込みのまんま藝大に通わせていただきました。僕は別科だったんですけど、2年間でした。



小倉伸二郎

―お二人それぞれ内弟子期間はいつ頃ですか?

小倉:僕は平成4年に入って、14年に出たんで、10年間です。その頃、内弟子は大体10年でしたね。

川口:僕は平成13年に入って、平成20年には出てるんで、ちょうど小倉さんが内弟子を出られた頃に、僕が内弟子に入ってる感じですね。
厳密に言うと、平成19年いっぱいまで住み込みでして、その後は御礼奉公といって通いながら書生をしてました。ずっと後輩がいなかったので、万年書生と言われましたね。ずっと先生の鞄持ちをしていました。

―ところで、川口さんはずっとお着物でいらっしゃいますよね。

川口:はい、10年ちょっと前から着物で生活をしています。スーツを探したら家になかった。あるはずなのにと探したんですけども。
子どもの頃から着物で生活したいなと言うのはあったんですが、一番のきっかけは、「道成寺」が決まった時なんです。
僕は身体がごついですし、白拍子の壺折姿と言うのはどうしても似合わないだろうと。
いかり肩なんですよ。それを矯正するには、洋服ではなく着物で生活した方がいいんじゃないか、と。稽古着は持っているわけですから。
そしたらなで肩っぽくなりましたねって言われます。
なかなか装束が似合う体型と言うのは難しいですね。

―伸二郎さんは装束のつきがとてもいいと伺ったんですが? 「熊野」のスチール撮影の時の姿もふっくらとして素敵でした。

小倉:それはつけてくれた人が良かったんですよ。

川口:いや、でも分かります。
師匠には内弟子時代に、自分にどうやったら装束が上手くつくかという研究をしろと。
能面の位置とか、面あての厚さとか、構えてるときの力の入れようとか、どうやったら似合うかを研究しろと、随分言われたんですけど、その頃は全く分かりませんでした。装束つけられて出るだけで精いっぱいで。

小倉:僕は緊張しいなんですが、英照先生に装束をつけられてるときにガチガチになっていたら、「お前そんなに力を入れるな」と。装束をつけてもらってるときに、そんなに構えていたら、舞台出たときに緩んでしまうから、楽につけてもらえ、と。で、舞台出るときにグッと張るから、装束がピシッとくるんだよと言われたことがあって、なるほどと思いましたね。

川口:といって、緩んだままつけられるって中々難しいですよね。

小倉:そうなんですよね。緩むって言っても、姿勢はきちんとしていないといけないですし。

川口:師匠はもちろん研究されてて「俺ですら考えてるんだから、お前らもちゃんとやれ」と言ってました。ただ、師匠は着せられてるのではなく、着こなしているというか。僕なんかは着ているだけで苦しいし、上手く扱えないのですが、師匠は袖先まで意識が通っていて、舞に合わせて、美しく線を描くみたいな。

―稽古はどういうふうな稽古をされてるのですか?

小倉:子方の時は、役が付いた演目の稽古です。何にもない時は、謡を稽古しましたが、謡本は分からないんで、鸚鵡返しでやったのは覚えてます。中学生高校生の頃は、謡本の何をもってこいと言われて、一応読み方は教わってから行きました。
内弟子に入ってからは、謡の稽古はしましたけど、特に仕舞とか型の稽古はついた役の稽古の中に含まれていた気がしますね。

川口:こちらは内弟子の間は役がつかないとお稽古はありませんでした。自分の役がつくと師匠に稽古をしてもらうんですけど、それでも手取り足取り習うわけではなくて、一応一通りできる形にして、それを見てもらうと言う感じでしたね。
書生で地謡がついたから、地謡の稽古つけてやると言うことはまずないんです。
もっともっと昔の先輩方は、本当に鬼のような稽古だったらしいですけど、僕の頃でも「能のお役がつく=恐怖」でしかなかったですよ。

―子どもの頃から積み重ねてきた人は羨ましいなと思ったり?

川口:羨ましさはありました。楽屋に居場所があると言うか、楽屋でもこの子は昔からやってるからみんな知ってる、身寄りがあると言うか。外から入ってきて、その居場所を自分で作るのに、自分は少し時間がかかってしまったなあと。
ですが、家柄が無くて、子どもの頃からやっていなくても、こうやって色々と舞台に出させていただけるのは、能の世界と言うのはすごく開かれているなあと思います。

小倉:そうですね。宝生流なんて特に披きの重いものでも定期の催しで役をつけてもらえますし、序列なんてのも入ってきた順番で、年齢は関係ありません。

川口:能と言うのはすごく堅苦しい世界で、身分制が強いという風に見られがちです。まあ全くないとは言いませんけども、意外と平等と言いますか、しっかり修行さえした人間であれば、ちゃんと平等に扱ってくれます。

小倉:父くらいの年齢のある大先輩から、内弟子を独立した時に「今までは内弟子、先生・先輩という意識があったかもしれないけど、お前はもう独立したんだから、これからは一律なんだ」と言ってもらえたのが心強かったと言うか、嬉しかったですね。
経験の差はあったとしても、立場的には対等なんだと。

川口:内弟子と言うのは、立場としては一番下ではあるんですが、そこに身を置くからこそ学べることがある。中々大変な目にも遭うは遭うんですが、内弟子をやった人で、多分誰一人として、内弟子をやらなかった方が良かったと言う人はいないと思いますね。

―普段他の流儀の舞台を観るなんてことはあまりないのですか?

小倉:そんなことないですよ。見ちゃダメと言うことはないです。

川口:昔はそういう風に言われてたみたいですけどね。観世流内でも。特に修行中は。

小倉:修行中で言えば、確かに若い頃、家元から「お前たちまだ何もわかってないし、何も出来上がってない。だから、能以外のものは見なくていい」とは言われました。変な影響を受けたり、型がつくと良くないと。お能はよその流儀でも見ていいんです。

川口:うちの師匠は客席の後方から見ていたりすることもありますね。

小倉:偉い先生が見所から見ているのが目に入っちゃうとダメですね。

川口:観世流には内弟子が謡って舞ってつとめる非公開の催しがあります。観客席には、観世流の御宗家以下能楽師の方々が見ていると言う。

小倉:東西合同発表会でも、そうですね。そうそうたる先生方が。

川口:粗を探して見てると言うね。

―お互いの流派でここはいいなと言うところはありますか?

小倉:観世流と言うと華やかなイメージがすごくあって、宝生流はどっちかというとグッと堅実です。その良さはもちろんありますが、時折ああいう風に華やかにやれたらいいなと思う時はありますね。

川口:うちは観世流の中でも特に派手目に謡いますから、宝生流とは違う行き方かなと思うところもあるんですけど、あの宝生流のグッと中に力があって、底力で謡われて構えられてるってのはすごくいいですよね。それでいて、時々すごい鮮やかな型があるじゃないですか。ちょっと写実的であったり。それがすごい効くなあって思いますね。

小倉:たまにそう言うのがあると、宝生流っぽくないなと思いますが、だからこそ映えるんですかね。

川口:映えるんです。

―能の魅力と言うのはどういうところにあると思いますか?

川口:能舞台と言う空間もそうですが、舞台上に出てくるもの全てが美しい。面装束はもちろん、登場人物の配置とか、あと何より“出はけ”の美しさですね。囃子方と地謡が出てきて、笛柱の辺りで笛と地謡の先頭の人が出会って、スーッと揃っていく。一曲終わって、またそれがいい形で舞台からはけて行って空白になる。全てが音もなく静々と行われて行く美しさ。全てが磨き抜かれた美しいものしか舞台上に登場しないと言うのが一番の魅力です。

小倉:謡の中でも節扱いだとか、高い音といってもキーンと張り上げるのではなく、押さえた所の心地良さってありますね。囃子もそうです。笛のヒシギなんかも、あの高い音でも心地よく安らぐと言うか、すごく落ち着いて聞いていられる。演劇でも、見ててワクワクしたり、興奮したりするものはもちろんあると思うんですけど、リラックスできると言うところは能の良さだと思います。
ただそういう風にお客様に感じてもらえることを、シテ方として作り出していかなきゃいけないと言う責任はありますけどもね。


 

後編ではシテをつとめる「熊野」「小鍛冶」について、色々な話を聞かせてくれました。
どうぞご期待ください!

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<小倉伸二郎 プロフィール>
シテ方宝生流 1974年生
シテ方宝生流能楽師小倉敏克の次男
兄は同じくシテ方宝生流能楽師の小倉健太郎
18代宗家宝生英雄、19代宗家宝生英照に師事

<川口晃平 プロフィール>
シテ方観世流 梅若会所属 1976年生
漫画家かわぐちかいじの長男
大学卒業後の2001年、56世梅若六郎玄祥(現 梅若実)に入門
その年復曲能「降魔」にて初舞台
舞台に立つ傍ら、能楽普及のレクチャーを各地で行う

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番組

熊野(ゆや)
シテ 小倉 伸二郎(宝生流)
狂言
節分(せつぶん)
山本 凜太郎(大蔵流)
小鍛冶 黒頭(こかじ くろがしら)
シテ 川口 晃平(観世流)
日時 2022年2月5日(土) 午後1時開演(開場正午)
場所 国立能楽堂 能舞台

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