イベントレポート

あぜくらの夕べ
「竹本錣太夫を迎えて」

開催:令和2年2月5日(水)
場所:国立劇場伝統芸能情報館3階レクチャー室


六代目竹本錣太夫さん


 今回の「あぜくらの夕べ」は、1月大阪・国立文楽劇場、2月東京・国立劇場での文楽公演で襲名披露をされた、竹本津駒太夫改め六代目竹本錣太夫をお迎えしました。錣太夫さんと親交がある東京成徳大学元教授の金丸和子さんをご案内役に、文楽の太夫を目指した若き日々から、錣太夫襲名に至る道のりまで、大いに語っていただきました。

◆思い立ったが吉日

 錣太夫さんが文楽の世界に入ったのは1969年、20歳の時でした。広島県に生まれ、学生時代は剣道三昧、大学では法律を学んでいた青年が、それまでまったく縁のなかった文楽に興味を持ったのは、下宿先のテレビで偶然見かけた舞台中継がきっかけでした。「内容やどなたが語っていたのかは全然覚えがないのですが、見た瞬間に義太夫の声だけが印象に残ったのです。こんな世界があるのか!と驚きました。70年安保の全盛期で大学は実質的に閉鎖されていましたし、将来の展望も特になく、世間から外れてひっそりと生きていければいいか、なんて思ってまして(笑)。当時、文楽は後継者不足で〝風前の灯〟と言われていました。ここなら自分も隠れられるのではないかなと……」。 ユーモラスに志望動機を錣太夫さんですが、「その時はこんなに人前で恥をかくとは思っていなかった」とか。
 思い立ったが吉日、すぐ国立劇場に電話をして訊ねると、大阪にある文楽協会に問い合わせるよう教えられ、その週のうちに大阪へと向かったそうです。「当時は朝日座の中に文楽協会の事務所がありまして、頭取さんに『すみません、文楽に入りたいんですけど』『何がやりたいの?太夫か? 三味線か? 人形か?』『声出すやつです』『ああ、それは太夫と言うんやで。それも知らんの? まぁ人手が足らんから紹介したろ』と」。



聞き上手な金丸さんと錣太夫さん


◆津太夫師匠との出会い

 ちょうど四代目竹本津太夫が大阪住吉の自邸に在宅しているからと紹介され、津太夫師匠に「いっぺん本物の文楽を見てからおいで」と言われた錣太夫さんは、それからまる1カ月、毎日劇場へ通い詰めます。「その時、初めて見た文楽が『近江源氏先陣館〈盛綱陣屋〉』でした。前を竹本伊達太夫、奥を豊竹十九太夫のお二人が語っていて、すごいなぁと。でも津太夫師匠の息子さんの緑太夫さんが『お父ちゃんはもっとすごいんやで』って(笑)。その後、師匠の芝居を初めて拝見したら、とにかく素晴らしかった。声の大きさ、世界の広さ、感情の豊かさ、人物が的確に表現されていること……。本当にすごいと思いました」。 
 金丸和子さんの「最初から太夫になりたかったんですか?」という疑問には、「子供の頃、『あんた、ええ声してるね』とよく言われていたので……」と、錣太夫さんは笑います。
 こうして縁あって四代目津太夫に入門し、津駒太夫を名乗ることになりました。「津太夫師匠は背も高く、外国で買ったコートもよく似合ういい男でした。豪快な芸とは裏腹に性格はとても繊細で感受性が強く、毎日大学ノートに日記をつけるような、几帳面な方でした」。
 津駒太夫として20年近く芸を磨き、1987年に津太夫師匠が逝去した後は、五代目豊竹呂太夫門下として、さらに研鑽の日々を送ります。「津太夫師匠には浄瑠璃の〝魂〟を教わりました。呂太夫師匠には親身になって稽古していただいて、年2回の素浄瑠璃の会が一番の修行の場になりました。切り場にも挑戦させてもらえたこの10年間に仕込んものが、後々役に立っています」。


◆六代目錣太夫襲名へ

 津駒太夫時代の素浄瑠璃の会の映像も挟みながら、今回、80年ぶりの復活となった錣太夫の名跡について、金丸さんに解説いただきます。
  1940年に没した五代目は音源を多く残し、観客の盛り上げ方もうまく、人気を集めたそうです。その五代目の相三味線を勤めていたのが、竹澤團六時代の六代目鶴澤寛治。錣太夫さんが義太夫の〝いろは〟から手ほどきをしていただいたと語る六代目が、親交厚かった「錣太夫」の名前を預かっており、七代目寛治にも引き継がれていました。
 津太夫師匠の33回忌を機に改名を考えていたところ、その「錣太夫」の名跡が浮上。「文楽の名前は財産。昔の大きな名前を後世に伝えることが、文楽を相続する者のつとめではないか」という先達の勧めもあり、錣太夫襲名の話がトントン拍子で進んだそうです。「長年三味線を弾いていただいた、七代目寛治師匠のご遺族にも二つ返事でお許しいただき、錣太夫を名乗らせていただくことになりました」。
 襲名披露狂言は『傾城反魂香』。吃音のために師匠から名字も許されず、大津絵を描いて糊口をしのいでいる絵師の又平夫婦を主人公にした、近松門左衛門作品です。
 「今風に言えば、心理的重圧で舌が回らなくなっている夫を温かく見守り、社会で通用する人物にしようと盛り立てる奥さんのやさしさ。愛情にあふれ、文楽の作品には珍しく、ハッピーエンドの作品です。土佐将監閑居の段は、華やかな語り口の中にしっとりとした河内地がからんだり、スピードの緩急などについて書かれた先人の資料も参考に語ります。又平の〝吃り〟は、どれだけ一生懸命さを盛り込めるかで、感情の高ぶりが表現できると思います」。
 金丸さんによる大津絵や狩野派、土佐派の絵画の紹介があり、最後に「皆さんのご期待に応えるべく、これからも精進いたします」と意気込みを語った錣太夫さん。入門51年目の新たな門出に、会場から大きな拍手が贈られました。。



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