日本芸術文化振興会トップページ  > 国立劇場あぜくら会  > いとうせいこうが聞く“文楽鑑賞の極意!” 国立劇場9月文楽公演その1 「勢州阿漕浦」

シリーズ企画

いとうせいこうが聞く“文楽鑑賞の極意!” 国立劇場9月文楽公演その1 「勢州阿漕浦」

いとうせいこう(以下いとう)
今回も楽しみどころをよろしくお願いします。
文楽マニア(以下マニア)
よろしくお願いします。
いとう
まず、『勢州阿漕浦』。もともとはもっと大きな筋の中のひとつの段だったんですよね?
マニア
はい。坂上田村麿が鈴鹿の逆賊・藤原千方(ふじわらのちかた)を退治するという時代物、『田村麿鈴鹿合戦』の四段目に当たるのですが、今日ではここだけが上演され、『勢州阿漕浦』と外題も内容も改められました。
いとう
現代でいえば、スピンオフ的な形ですね。そもそも「阿漕」が物語の磁力を強く持っていますから。
マニア
ええ、阿漕は古来より有名な歌枕のひとつです。『古今六帖』や『源平盛衰記』にある和歌、忍ぶ恋を密漁に譬えて詠んだ「伊勢の海阿漕浦に引く網も度かさなれば人もこそ知れ」ででよく知られていました。
いとう
能に出てきます。
マニア
まさに『阿漕』ですね。殺生禁断の地である阿漕浦で毎晩密漁していたのが見つかって捕えられ、 簀巻にされて海に沈められた後、殺生の罪によって死後も地獄の苦しみを味わう海士の姿を描いた物語。
いとう
あこぎな奴の「あこぎ」とも関係あるんですよね。
マニア
はい。この歌から「あこぎ」とは「度重なる」という意味となり、転じて「貪欲にむさぼる」ことをいうようになりました。
いとう
重層的な意味を、阿漕という言葉が持っていたと言えますね。さて、そんな中、浄瑠璃はどう料理したのか、ということですが。
マニア
浄瑠璃作者の場合、能の中では説明されない密漁の理由を解き明かすという趣向の物語を書き上げました。また、能が海士の死後の物語であるのに対して、浄瑠璃では海士が簀巻にされて殺されるという事件を更にさかのぼって、海士の生前の物語を書いたところに、着想の違いをみることが出来ます。
いとう
まさにスピンオフの醍醐味でしょうね。
マニア
ちなみに、落語にもこの和歌を題材にした『西行』という話があります。染殿という女房に懸想をした北面の武士・佐藤憲清は、思いがかなって一夜を共にします。憲清は別れ際に逢瀬を尋ねますが、染殿は「阿漕であろう」と答えて立ち去ってしまいます。
いとう
意味が重層的だからこそ、そこに謎が生まれる。
マニア
そうですね。憲清はこの「阿漕」の意味がわからず、悩んだ挙句に出家してしまいます。出家して西行となった憲清が伊勢国を旅していると、馬方が馬に「おまえのような阿漕な奴はない」と言っている声を聞き、思わずその意味を尋ねると、馬が餌を食ったばかりなのに、いくらも稼がないうちにまた餌を食いたがって困るのだと言う。そこで西行は「阿漕とは二度目のことか」とはたと気づいたというオチで、同じ和歌を題材にしても、三者三様の物語になっています。
いとう
というか、落語はその和歌のイメージを利用して、笑いに持っていく。芸能の発想力の根幹がわかる好例かもしれません。

阿漕浦伝説発祥の地
阿漕浦

阿漕浦
阿漕浦伝説発祥の地

マニア
その阿漕浦ですが、現在の三重県津市に位置します。「平治住家」の初演の後、浄瑠璃の影響を受けた孝子伝説が地元に生まれ、後に主人公・阿漕の平治を供養する阿漕塚が建てられ、今でもかの地に残されています。

阿漕塚
阿漕浦

いとう
その平治が密漁する“ヤガラ”ですけど、どういう魚なんですかね?
マニア
伊勢神宮の御領で、つまり殺生禁断の地であった阿漕浦で獲れるこの魚を、平治は母の病気を治したいばかりに密猟してしまいます。ヤガラは矢の幹のように細長い魚で、江戸の書物によると、反胃(食べ物が消化されずに戻してしまう病)や噎膈(食べ物がのどを通らない病)の病にかかった人に与えるといいとされていました。
いとう
食べると治る、と?
マニア
そうなんです。また、ヤガラの体内に食べ物を含ませ、ヤガラの口をストローのようにして食べさせると戻すことがないと信じられていたようです。
いとう
面白いですね。魔法めいているというか、とうてい普通の魚じゃない。
マニア
それから、笠も面白い使われ方をしていますよね。平治は密猟をしていたのを平瓦の次郎蔵に見つかり、捕らえられそうになります。もみあうはずみに笠を取られる。この笠の詮議が物語の中心となります。種明かしになってしまうので詳しくは言えませんが、この笠には「平」と「治」の字が書いてあり、段切には「平(へい)と平(ひら)との読み違へ、音(こえ)に読む字を訓(よみ)に読み」という文句があり、推理小説さながらに話が展開するところは、浄瑠璃作者の筆の冴えるところです。 
いとう
筋作りの妙。書かれたものゆえに、書かれた文字をめぐる筋が浄瑠璃には多々見受けられますね。
マニア
今回は、国立劇場としても昭和59年8月以来となる久々の上演で、さらに、今年86歳を迎える竹本住大夫さんが、本公演では初役の「平治住家の段」を語るのも大きな話題です。
いとう
ゾクゾクします。

公演情報詳細

国立劇場9月文楽公演 その2 「鰯売恋曳網」へ⇒