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【鑑賞ガイド】6月歌舞伎鑑賞教室『華果西遊記』
-「西遊記」は猿之助の“家の芸”-

『華果西遊記 [かかさいゆうき] 』 の“華果”ってなに?

「西遊記」というと、誰もが知っている中国を代表するお馴染みの冒険物語。唐僧・三蔵法師が白馬に乗って、孫悟空、猪八戒、沙悟浄を供に従え、様々な苦難を乗り越えて天竺[インド]へお経を取りに行くというあの有名なお話ですね。

さて、今回のタイトル(歌舞伎用語では“外題[げだい]”といいます)の頭に付いている“華果[かか]“の二文字。これは何かといいますと、この作品の演出をつとめる市川猿之助の俳名[はいみょう]のことなのです。

“俳名”とは?

元々の意味は、「俳句を作るにあたって用いる号(ペンネームのようなもの)」のこと。江戸時代の歌舞伎役者は文化的素養として俳句など風流の道をたしなむ者が多く、それが江戸時代後期になると歌舞伎俳優の間で一般化され、芸名・屋号(歌舞伎俳優の愛称のようなもの。たとえば市川猿之助なら澤瀉屋[おもだかや]※)のほかに、俳句を作る作らないに関わりなく名題以上の役者は必ず俳名を持つようになりました。
当代の市川猿之助にもやはり俳名があり、それが“華果”というわけです。

「西遊記」は市川猿之助の“家の芸”

つまり、『華果西遊記』を別の言い方にすると、市川猿之助版「西遊記」ということになります。ちなみに“華果”と聞いてもう一つ思い浮かぶのは、孫悟空の生まれ故郷「華果山」。孫悟空は華果山の頂上の大きな岩から生まれたとされていますが、「猿」にゆかりのある猿之助一門にとって、「西遊記」はことさら縁の深いものと言えます。

二代目市川猿之助の孫悟空
二代目市川猿之助(猿翁)の孫悟空
(明治44年1月市村座『西遊記』)

「西遊記」が初めて歌舞伎の舞台に登場したのは明治11(1878)年9月。東京・市村座で初演された三世河竹新七作の『通俗西遊記』という舞踊劇でした。その後明治33(1900)年10月東京座で再演された時に孫悟空を演じたのが初代の市川猿之助。二代目猿之助(猿翁)も明治44(1911)年1月市村座で孫悟空を演じ、そして当代猿之助の『華果西遊記』へと、受け継がれてきたのです。

そして今回。猿之助の薫陶を受けた市川右近ら、一門が抜群のアンサンブルで魅せる楽しい舞台は必見です。

「こんな楽しい歌舞伎もあったのか…」 新しい発見がきっと待っている!

大人から子供まで誰もが心から楽しめること請け合いの今回の公演。そのみどころを少しだけご紹介しましょう。

わかりやすい「解説」付きです

本編の『華果西遊記』をご覧いただく前には、楽しい「解説」もあります。
解説者として登場するのは、市川笑三郎と市川春猿の名コンビ。歌舞伎音楽(常磐津・竹本)や、歌舞伎の三要素“歌[うた]”、“舞[まい]”、“伎[わざ]”のそれぞれについてなど、知っているともっと歌舞伎を楽しく見られるような情報を盛りだくさんでお届けする予定です。

通力自在の孫悟空!仕掛けは見てのお楽しみ

人間業を超えた演技や演出で客席を大いに沸かせるスペクタクルな舞台には、秘密の仕掛けもたっぷり。孫悟空お得意の如意棒や分身の術も披露されますし、三蔵法師の乗り物である白馬もちゃんと登場します。

『華果西遊記』

異国の地・中国を舞台にした「西遊記」という壮大なスケールの物語が、日本の伝統芸能である歌舞伎の舞台に、どのような形で昇華されているか。

「こんな楽しい歌舞伎もあったのか」という新しい発見がきっと待っています。どうぞご期待ください!

※注:澤瀉屋の「瀉」の字は本来の表記とは異なりますが、画面表示の便宜上こちらの文字を使用しております。本来はつくりのウ冠の部分がワ冠になります。