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「秋庭歌一具」 雅楽奏者 芝祐靖氏にインタビュー

国立劇場開場45周年記念として9月10日(土)に行われる国立劇場9月特別企画公演「十牛図と秋庭歌一具」では、1000年を越える歴史の中で育まれてきた雅楽や声明の音楽性に注目して作られた作品をお聞きいただきます。
雅楽では、今や現代雅楽の古典などと呼ばれる、国立劇場委嘱作品の中でも傑作との呼び声の高い「秋庭歌一具」を上演します。
そこで今回はこの曲の初演より演奏にかかわっている芝祐靖さんに、曲への思いや作曲家武満徹さんの思い出などをお聞きしました。

私は元々宮内庁の楽士でした。そこでは雅楽は宮中神事の音楽であり、淡々と緩急なく抑揚のない、「無表情の音楽」を奏でなさいと教わりました。入った当初は何の疑いもなくそのような演奏をしていたのですが、キャリアを重ねていく中で疑問を抱くようになり、音楽としての限界を感じました。
その時に出会ったのが「秋庭歌」でした。


芝祐靖氏
聞き手

「秋庭歌」が、いわゆる雅楽の新作との最初の出会いですか?

その前に1970年に黛さん(※1)がお作りになった「昭和天平楽」でした。とても良い曲なのですが、ただ黛さんが非常に雅楽のことをご存じだったので音楽としての新鮮味を感じることはありませんでした。
そういう意味では、今回演奏させていただく「秋庭歌一具」は雅楽の曲の作りではない音の構築で出来たものなので、最初に譜を見た時にこんなものは演奏できない、と思いました(笑)。

聞き手

では、練習には随分時間をかけたのではないですか?

それが譜面ができたのは公演の半月前だったんです(笑)。
聞き手

本番まで半月ですか。練習する時間があまりに少ないですね。

ですから、本番では必死に演奏しました。国立劇場で演奏した後、休む間もなく楽部でのヨーロッパで演奏があって、10数回演奏しました。
そして帰国すると、その間に楽章になることが決まっていました(※2)。
聞き手 それだけ反響が大きかったということですよね。しかし楽章という形になるといろいろと違いが出てくるのではないですか。
もちろん演奏時間も長くなりますが、一番大きかったのは人数の違いなんです。それまでの「秋庭歌」では17名の編成だったので楽部だけで対応できたのですが、「秋庭歌一具」になると29名になりました。これでは楽部では対応できません。そこで外部メンバーも入れて「東京楽所」(※3)として演奏しました。
聞き手 では「秋庭歌一具」によって東京楽所が生まれたんですね。我々にとっては雅楽を耳にする機会が増えるので非常にありがたい話です。
この「秋庭歌一具」との出会いが、伶楽舎(※4)への布石となりました。この曲と出会った時が「無表情の音楽」を演奏することに限界を感じていたときだったので、すっかり秋庭歌に魅せられてしまいました。そして輝きのある秋庭歌を演奏したいと思った時に宮内庁をやめてフリーになろうと決めたのです。
ただフリーになって仲間たちと伶楽舎を作りましたが、実際に秋庭歌一具を演奏するまでにおよそ10年かかりました。
聞き手 宮内庁をやめるということは相当な覚悟が要りますよね。しかし芝さんをそこまで駆り立てた「秋庭歌一具」の魅力とは何でしょう?
これまで何度もこの曲を演奏してきましたが、未だに曲全体を理解できない程に深い作品です。そして演奏するたびに新たな発見があるのです。
例えば第4章「秋庭歌」は、秋の庭の彩の移ろいを描いた曲です。錦秋というのでしょうか。朝の静けさから始まって、木の葉が色づく鮮やかさ、華やかさ、そして台風の音、木枯らしが吹いて木の葉も落ちる初冬に入るまでを描いています。曲は最後に琴が「ポツン」となって終わるのですが、僕の音の感覚からすると間違えていると思ったのですが、実はこれが春の芽生えを表す音で五行思想の音楽に適っているものだったのです。
おそらくまだこのような音が奥深くに眠っているはずで、この作品を何とか表現したいと思わせる曲なのです。
聞き手

私は琴のポツンという音は聞いていますが、そこまでは考えも及びませんでした。公演ではしっかりと聞かせていただきます。
さて、今「音」の話がでましたが、雅楽は元々大陸より伝わった音楽なのですよね。それが何故ここまで日本の音楽として受け入れたのでしょうか?

雅楽の音階は、大陸から伝わった中国の音階を元に、平安時代中頃に日本の楽師たちが作ったものです。日本の色彩や四季の彩といった繊細な感覚を中国の様な大陸のおおらかで明るく、躍動感のある音階では表現できなかったのでしょう。しかも中国では曲によって音階が決められていますが、日本の雅楽は音階を曲の中で変えて演奏します。それだけ複雑な表現をもって、繊細な音を奏でるのです。
とはいっても、笙・琵琶・琴は今でも中国の音階で演奏しています。しかし篳篥だけは日本流の音階を演奏していて、音階のずれた音が合わさることで、音楽の厚みを作っています。武満さんも少し「秋庭歌一具」の中で使っています。

聞き手

大陸から伝わったものを日本流にアレンジしていることでより親しみがわくのでしょうね。それにしても「秋庭歌一具」を聞きたいと、演奏のオファーが多いのではないですか?

1996~2005年までは多かったですね。海外でも20回以上演奏しています。ただ2005年で最後にしようと、伶楽舎創立20周年、武満さんの生誕75周年記念のコンサートをサントリーホールで行いました。その後はあまり演奏していません(※5)。
「秋庭歌一具」演奏風景 REIGAKUSYA
聞き手 そうなんですか。国立劇場では初演以来の上演となるのですが、そもそも、雅楽の新作をこれだけ繰り返し上演することはあるのですか?
この曲のように新作をこれだけ演奏することはまずありません。伶楽舎でも毎年新作の演奏を行っていますが、そのほとんどが再演の機会はなく、一回きりの演奏となっています。それだけ秋庭歌は演奏していても楽しいし、演奏するたびに発見がある魅力的な作品、このことがお客様にも伝わっているのではないでしょうか。伝統楽器を使った現代曲で雅楽の旋律を用いていないのですが、演奏していると全くの現代音楽ではないと感じます。きちんと雅楽の雰囲気を取り入れているので、外国の方もブラボーなんですよ(笑)。
聞き手 外国といえば、これだけの大編成での演奏にも関わらず、指揮者がいないというのは驚かれるのではないですか?
確かに西洋の方は演奏をお聞きになった後に「指揮は誰がしているのですか?」と聞かれることが多いですね。「いないんですよ」というと非常に驚かれます。演奏者29名が、それぞれにアンテナを張って演奏している。これは雅楽のシステムであって、日本音楽のシステムです。そう言えば前のLP収録の際(※6)にあまりにもバラバラになるので、岩城さん(※7)が振りに来てくれたことがあるのですが、譜面には現れない雅楽器の粘りや響きに関係なく振ってしまうので、速く感じてしまい、ついていけませんでした(笑)。それ以来この曲でも指揮者はいません。
聞き手 やはり慣れた環境で、それぞれにアンテナを張りながら演奏するのがやりやすいのでしょうね。ただ国立劇場やサントリーホールなど、ある程度の大きさのある空間の中で4群(※8)が離れている中で演奏するのは大変ですね。
ちょっと言いにくいのですが、国立劇場は音響が悪いんです(笑)。だから聞き逃すと大変なことになってしまいます。この曲は、舞台の広さがないと空間を生かした演奏ができないので、曲の魅力が出ません。国立劇場のお陰で「秋庭歌一具」と出会えたのですから、いつもよりもアンテナを高く張って演奏します(笑)。
聞き手 どうもありがとうございます。ではこの曲をお作りになった武満さんの思い出などはありますか?
この曲が初対面です。言い方は良くありませんが、すごくおっかない感じがして、なんとなく打ち解ける事が出来ませんでした。
私が1993年に第5回飛騨古川音楽大賞特別功労賞をいただいた時の授賞式後の打ち上げで、町のカラオケ屋に皆で行ったのですが、その時に初めて笑顔を見た気がします(笑)。

それと1995年に明治神宮で2回目の「秋庭歌一具」の演奏をしたのですが、武満さんは療養中にもかかわらず聞きに来てくれました。その時の演奏後に楽屋でかけられた「まぁ今度ゆっくり話そうよ。ちょっとテンポが速いんだよ」という言葉が最後に交わしたものになってしまいました。どうしても我々は五線紙で書かれると唄えないから、速くなるんです。それを指摘されたのだと思います。
聞き手 最後に芝さんにとって「秋庭歌一具」とはどんな曲でしょうか?
無表情で演奏することを習っていた私にとっては、どうやったら音楽的に色彩を出せるか、構築する楽しさを感じたのは、この曲だけです。
この曲に出会わなかったら、きっと違う音楽人生を歩んでいたでしょう。宮内庁に居るのもいい人生だと思いますが、後悔はしていません。
雅楽にどうやったら彩りを与えられるか、と考えている時に秋庭歌に出会って、楽しい音楽人生、いい音楽人生を送れていると思っています。
聞き手 それでは長時間にわたり、お時間をいただきましてありがとうございました。
ありがとうございました。

職を辞してまで演奏したいと思わせる程に、一人の雅楽師を魅了した「秋庭歌一具」。お話を伺っていると芝さんのこの作品への思いが充ち溢れているのが伺えます。みなさんもどうぞ一度「秋庭歌一具」をお聞き頂き、その魅力に触れて下さい。
ご来場お待ちしております。

※1: 黛敏郎(まゆずみとしろう:1929年2月20日 - 1997年4月10日) 日本の作曲家
※2: 昭和48年国立劇場第15回雅楽公演では、第4章にあたる「秋庭歌」が演奏された。この演奏が大好評を博し、昭和54年(1979)に「秋庭歌一具」として6楽章からなる曲が生まれた。
※3: 1970年代に宮内庁楽部楽師によって結成された紫絃会を前身とし、1973年に宮内庁式部職楽部の楽師を主体に民間の優秀な雅楽奏者も含めて創設。芸術音楽としての雅楽演奏を目的として結成された、現在わが国最大規模の高い芸術性を有する雅楽団体である。
※4: 雅楽の合奏研究を目的に、1985年に発足した雅楽演奏団体。音楽監督は芝祐靖。現行の古典雅楽曲のほか、廃絶曲の復曲や正倉院楽器の復元演奏、現代作品の演奏にも
※5: 2005年の記念公演以降は、2006年7月「杜の中の伝統文化祭」:明治神宮内苑、2008年10月「秋庭歌一具」:静岡音楽館AOIで伶楽舎により演奏されている。
※6: 1980年作製
※7: 岩城宏之(いわき ひろゆき:1932年9月6日 - 2006年6月13日) 日本の指 揮者・打楽器奏者
※8: 秋庭歌は、秋庭・木魂1・木魂2・木魂3の4つの楽器編成により演奏される。それぞれの群が離れて位置づけられ、この空間で音が響き合う様を表現している。