国立劇場あぜくら会

イベントレポート

あぜくらの集い
「天竺徳兵衛と鶴屋南北」

開催:令和元年9月26日(木)
場所:国立劇場伝統芸能情報館3階レクチャー室


講師の古井戸秀夫さん


今回のあぜくらの集いでは、10月の歌舞伎公演『天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)』に先立ち、狂言作者・四世鶴屋南北の魅力に迫りました。講師にお迎えした東京大学名誉教授の古井戸秀夫さんは、2018年に出版された『評伝 鶴屋南北』で、2019年度芸術選奨文部科学大臣賞、読売文学賞、角川源義賞、日本演劇学会河竹賞を受賞されています。 南北が先行作に施した数々の工夫を、豊富な図版と共に紹介していただきました。


◆パワフルなシニアコンビ

 南北の出世作といわれる『天竺徳兵衛韓噺』は、文化元年(1804)、江戸の河原崎座で初演されました。勝俵蔵(かつひょうぞう)と名乗っていた南北と、早替りや仕掛け物を得意とした初代尾上松助(後の初代尾上松緑)とのコンビで大当たりを取った作品です。南北は当時50歳、松助は61歳。
 「当時の感覚からいくと、50歳は“お爺さん”、61歳は“もっとお爺さん”です(笑)。江戸時代には隠居してから活躍した芸術家がたくさんいて、近松門左衛門が本格的に人形芝居を書くようになるのも50歳から。それまでの実人生で蓄えてきた力が解き放たれた人が多かった。『天竺徳兵衛韓噺』も、50歳の南北と61歳の松助が協力して創り出した新しい歌舞伎の世界でした」(古井戸さん)
 南北と親しかった歌川国貞が描いた絵入根本『於染久松色讀販(おそめひさまつうきなのよみうり)』の口絵には、五代目岩井半四郎の楽屋を訪ねる南北が描かれています。縞の着物の裾回しは濃い藍色、浅黄色の羽織に散らした白い小紋に亀が描かれるなど、しゃれた出で立ちです。「当時、名をなした狂言作者が着るものといえば黒紋付で、こんなに凝った着物を着ていたのは南北だけ。南北は日本橋の染物屋の若旦那でしたから、とてもお洒落だったのですね」という古井戸さんの語る南北の人間像にぐっとひきつけられます。


◆異国話を漂流譚に

 その南北が、立女方から立役に転向してトップにまで登り詰めた初代松助と共に創り上げたのが『天竺徳兵衛韓噺』でした。
 主人公のモデルは、17世紀前半に朱印船で天竺(インド)に渡った播州高砂の船頭、徳兵衛です。彼が見聞きしてきた異国話は、聞き書きの写本としてまず読まれるようになり、次いで並木正三が『天竺徳兵衛聞書往来』として歌舞伎に、続く近松半二が『天竺徳郷鏡(さとのすがたみ)』として人形芝居に仕立てました。
「実際の徳兵衛は大きな船で外国に渡り貿易を行ったわけですが、並木正三は徳兵衛を、吹き流された難破船の船員にしました。帰国して殿様の前に出る時には、船の帆と綱で作った扮装で現れるという具合です。一方の近松半二は、徳兵衛が流された外国で9年間を過ごした後、故郷に帰ってみると女房が婿を取っており、徳兵衛の名を継がせていた……という筋立てにしました。これをもとに書かれたのが、南北の『天竺徳兵衛韓噺』です。南北の代表作、出世作といわれていますが、実は原作があったわけですね」。
 目でも楽しむ歌舞伎では衣装に工夫して視覚的効果を、耳で聴く浄瑠璃ではドラマチックなストーリー展開にと、才能豊かな江戸の作者たちが観客を楽しませるために腕をふるう様子が目に浮かびます。南北はそうした先行作をうまく取り入れ、自分のものにしたのです。


◆細やかな工夫の集積

 『天竺徳兵衛』といえば蝦蟇の妖術も見どころですが、南北は妖術を使う際の呪文にひと工夫を加えていると、古井戸さんは語ります。
「徳兵衛が実は父の復讐のために高麗から日本に渡って来たという設定は、並木正三が考えたものです。そして天草(七草)四郎の妖術を使わせた。近松半二は『デイデイ、ハライソハライソ』と、隠れキリシタンの『オラショ』という呪文を唱えさせました。さらに南北が考えた呪文は、『南無さったるま、ぐんだりぎゃ、守護聖天、ハライソハライソ』。南無は仏教、さったるまはサンタマリア、ぐんだりぎゃ(軍茶利夜叉)は密教の神様、守護聖天は仏教の神様、ハライソは天国。仏教も密教も隠れキリシタンもすべて入っている。こういうところが南北は細かいんです。南北は衣装も工夫していて、帰国した徳兵衛にアツシ(厚司)というアイヌの扮装をさせ、見物を驚かせました」。
 徳兵衛に殺された乳母五百機の亡霊と徳兵衛の早替りには人形を利用し、座頭徳市の水中の早替りでも“竹田からくり”という人形芝居のからくりを応用するなど、南北と松助はさまざまなアイディアを盛り込み、独自の作品に仕上げていきました。
「こうした工夫が歌舞伎を支えてきました。日本人の個性というのは、細かな工夫と技術の集積です。今では風前の灯となっている歌舞伎の技術を、若い人にも伝えていきたいですね」と力を込める古井戸さん。
古井戸さんが原作考証を務め、橋爪功さん主演で『天竺徳兵衛』を上演した際には、南北の原典に立ち返り、さまざまな工夫を取り入れたそうです。
 朋友と共に、新しい歌舞伎を創造しようと情熱を傾けた鶴屋南北の姿が、目の前に浮かんでくるような古井戸さんのお話でした。



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