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国立劇場あぜくら会

イベントレポート

あぜくらの集い
「明治の黙阿弥と実録物─大岡政談を巡って─」

開催日:9月29日(土)
場所:国立劇場伝統芸能情報館レクチャー室

 国立劇場11月歌舞伎公演『名高大岡越前裁』に先立ち、「あぜくらの集い」を開催しました。本年が明治150年に当たることに因み、明治8年(1875)に初演された本作の作者河竹黙阿弥と実録物の周辺や時代背景について、近代日本演劇を研究されている明治大学文学部教授の神山彰さんに解説していただきました。

 

 神山 彰さん


◆江戸のなごり
 今から50年前、明治100年に当たる昭和43年(1968)には、歌舞伎や商業演劇でこの節目に因んだ公演が開催されました。では、維新の記憶も鮮明だった明治時代には、どのような作品が生まれたのでしょうか。神山彰さんが着目するのは、明治31年(1898)に上演された三世河竹新七作『江戸育御祭佐七』です。「明治31年というのは半端な年号ですが、この年は京都から江戸に首都が移って30年、つまり遷都30年に当たります。主人公はとび職の佐七。近代の価値観からすれば取り残されていくような美意識の中で生きる人間が、薩長の新政府になぞらえた加賀家の侍に対して啖呵を切る。江戸庶民の気概がよく表れた芝居を、遷都30年祭という記念の年に上演した河竹新七の心意気を感じます」


◆リアリズムと実録物
 一方『名高大岡越前裁』は、河竹黙阿弥による『扇音々大岡政談』を補綴した通し狂言です。名奉行として庶民の人気を集めた大岡越前守忠相は講談などの恰好の題材となっていました。その中で通称「天一坊事件」を取り上げた講釈を黙阿弥が脚色し、明治8年(1875)に初演した実録物です。神山さんは芝居の世界における実録物の登場を、絵と写真の関係になぞらえ、時代の移り変わりの象徴としてひもときます。「現代の我々が様々なジャンルの娯楽を楽しんでいるように、当時の人々も草双紙を読んだり、講釈・寄席芸・歌舞伎などを娯楽のひとつとして見ていました。江戸から明治へと時代が変わっていく中で、重要なのは写真の登場です。例えば八代目市川團十郎(1823〜1854)は江戸時代が終わるぎりぎり手前で自殺してしまい、写真が一枚も残っていません。錦絵だけです。ところが九代目市川團十郎(1838〜1903)は、錦絵も写真も両方残っています。これは大変な違いで、絵しかなかった時代にはあるイメージの類型的な“らしさ”を描いていました。風景画で言えば名所絵的な物の見方です。しかし幕末には、真の景色、真景という近代的な写実の意識が芽生えてきた。三遊亭円朝の『真景累ヶ淵』などはまさに近代的リアリズムに影響した作品で、実録物と同じ流れにあります。今まで意識しなかったような“本当のもの”を写すという点がリアリズムの根本です」

◆歌舞伎の「美」と「真」
 “美しくあること”から“真実の活写”へという流れは、時代の移り変わりの中で歌舞伎役者のありようにも如実に反映されていきます。「元禄時代の名優坂田藤十郎(1647〜1709)は『乞食の役を演じる時には多少似せても良いが正真になってはいけない』と言っています。お客さんに気分よく楽しんでもらうためには、真実を描くにしても大概にしなさい、ということですね。その後、五代目市川團十郎(1741〜1804)が『仮名手本忠臣蔵』五段目の斧定九郎を演じる際に、現実にいるようなみすぼらしい格好に破れ傘を持った浪人姿で出たらどうかと思いついた。すると父親の四代目(1711〜1778)に『そんなリアリズムは團十郎がやることではない』と諌められたんです。世代差がある親子の美意識の違いが出たエピソードです。その五代目の話にヒントを得て、大部屋俳優だった初代中村仲蔵(1736〜1790)が定九郎の役づくりを工夫して評判を呼び、落語でも有名になりました。十九世紀になると、四代目市川小團次(1812〜1866)のように小柄で声も悪い普通のおじさんのような役者が主役を張るようになった。それが幕末のリアリズムです」 時代が移り明治になると、象徴的なのは九代目團十郎による活歴物の登場でした。「九代目が演じた加藤清正について『清正は誰の息子だろう』という評が出た。つまり清正を一人の人間として見るのが明治という時代。坪内逍遥が『物語が単純でわかりやすく、地方出身者にも喜ばれた』と書いた活歴物は、まさに“美から真へ”という時代の意識から生まれたものでした」

◆役名から実名へ
 九代目團十郎は、それまで佐藤正清という役名が通例だった加藤清正を、実名で芝居の登場人物として用いました。また明治6年(1873)には登場人物が実名の『忠臣いろは実記』が上演されるなど、役名から実名へという流れは明治期の特徴でもあります。ただし実名であっても、芝居では史実をそのまま描くわけではありません。神山さんは、「事実よりも作り話の方がほんとうに見える。それが演劇の謎であり、面白さです」と指摘します。写真② 「芝居の現実感をよく分かっていたのが真山青果で、『元禄忠臣蔵』でも史実にはない通説を取り入れ、虚と実の間を巧みに描いているんです」 「大岡政談」に登場する「天一坊事件」は、江戸時代にも『吾嬬下五十三駅』などの作品が上演されていました。この頃は天日坊や大江広元といった役名でしたが、明治になって黙阿弥が書き下ろした『扇音々大岡政談』では、天一坊、大岡越前守という実名です。「大岡越前守は大変有名な人物ですが、新歌舞伎になっているものは少ないんです。この役を定番とした“大岡役者”と言われる役者が芝居の世界ではあまりいなかったことも逆に面白さですから、今度の歌舞伎公演も楽しみにしていただければ」と神山さん。 錦絵の紹介なども交えた多岐にわたる神山さんのお話を通して、明治という時代の一端を感じることができた「あぜくらの集い」となりました。 また講演終了後には、伝統芸能情報館の企画展「黙阿弥の明治」もプレ公開され、参加された皆さんにひと足早く展示をお楽しみいただきました。

 

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