国立劇場あぜくら会

イベントレポート

あぜくらの集い
「吉田和生を迎えて」

開催日:5月29日(火)
場所:国立劇場伝統芸能情報館レクチャー室

 昨年10月に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された文楽の人形遣い吉田和生さんをゲストにお迎えして「あぜくらの集い」を開催しました。ご案内役は和生さんの師匠文雀さんとも親しく交流されていた舞台演出家・日本舞踊家の村尚也さんです。

 

 吉田和生


◆一夜にして進路決定
 師匠である文雀さんが亡くなった翌年、入門して五十年という節目の年に人間国宝に認定された和生さん。「師匠に育てていただいたお蔭です。『お前でええんか』という師匠の声が聞こえるようですが……」とご本人は笑いますが、お二人との付き合いが長い村さんは、文雀さんの和生さんに対する強い信頼を実感する機会が度々あったそうです。 もともとは漆芸など職人の仕事に憧れを抱いていたという和生さんが、文楽の世界に足を踏み入れたのはふとしたきっかけでした。学生時代、人形師の大江巳之助さんのもとを見学に訪れたことが文雀さんの耳に入り、「そんな若い人がいるなら」と、文楽公演のアルバイトに誘われたそうです。
「当時は人手不足だったようで、中学生だった今の桐竹勘十郎さん、吉田玉男さんもアルバイトをしていました。師匠の家に泊めてもらった翌日、『どうする?』と訊かれ、何となく面白そうかなという程度の不純な動機で『やります』と。そのまま五十年が経ちました」と笑う和生さんに、村さんも「師匠の家に泊まったことが運命でしたね。いわば一宿一飯の恩義ですね(笑)」。 そして正式に入門。文雀さんの本名に因んで〝和生〟を名のり、師匠と生活を共にする内弟子の修業が始まりました。身の回りの世話も含め、八年程の修業時代も苦ではなかったと和生さんは振り返ります。
「自分の家族よりも師匠と過ごす時間のほうが長いですし、家事雑事をこなすのは当然のこと。人形遣いの修業は足遣いから始まりますが、足と左(遣い)は主遣いになるための下準備なので、この時期にしっかり覚えないと良い主遣いにはなれません。足の時代にも子役やツメ人形でも出て発散していましたから、窮屈さはありませんでした」。


◆芝居好き師匠の思い出
 また文雀さんは古典から前衛までジャンルを問わず幅広い芝居を好み、和生さんと一緒に唐十郎率いる状況劇場の紅テント公演にも足を運んだそうです。
「休演日に師匠と二人で紅テントの長蛇の列に並んだこともありました。師匠は新しい演劇と言っても人間が考えることはみんな同じなんやな、と。表現方法は様々でも根本的な部分は変わらないということでしょう。師匠は歌舞伎役者や芝居関係者と代々縁が深い家系で、子供時代は六代目(尾上菊五郎)の真似をして遊んでいたというほど根っからの芝居好きでした。記憶力も抜群で、観た芝居の日付まで正確に覚えていました」。

◆文雀名舞台三選
 ここで文雀さんの名舞台『芦屋道満大内鑑』『摂州合邦辻』『仮名手本忠臣蔵』(九段目「山科閑居」)の抜粋場面をビデオで鑑賞しました。
『芦屋〜』の狐の化身葛の葉はお気に入りの役で、「師匠は元来動物好きなので、愛おしそうに遣っていました」と和生さん。 『合邦』の玉手では、「ハッキリとではないですが(義理の息子俊徳丸を)『好きやったんやろうなぁ』と仰っていましたね。前半は恋心、後半は忠義と使い分けていました」。
 「山科閑居」は文雀さんの戸無瀬、和生さんのお石。この配役を聞いたとき和生さんは仰天したそうです。「家老の奥方であるお石と旗本の妻戸無瀬は月とスッポンほど身分が違う。断然格上のお石を師匠の弟子である私がやれるわけがない」。そんな葛藤は少しも感じさせず、女同士の覚悟と覚悟が火花を散らす舞台からは迫力と緊迫感が伝わってきます。

◆〝らしさ〟を表現
 文楽では誰がどのかしらを遣うかを決める「かしら割」という大切な役割があり、和生さんは長年その任を担ってきた文雀さんからバトンを受け継ぎました。
「同じ文七のかしらでも様々な種類があり、役柄や遣い方の特徴を考えて割り振りをします」。5月文楽公演で和生さんが出演された『彦山権現誓助剣』お園の人形を実際に動かしながら、人形を遣う際の心がけも話していただきました。「技術的な工夫はもちろんありますが、芝居の登場人物をいかにその人物らしく表現するかが大切です。太夫さんの言葉を身ぶりで表すための〝引き出し〟をたくさん持っていないと表現が貧しくなる。そのために色々なものを見たり聞いたりしないと」という和生さん。
「義太夫と三味線は音の世界、人形は映像の世界。この両方がうまく合わさることでお芝居の世界を楽しんでいただきます。人形は顔に表情が出ないので身体全体で表現しますが、遣い手が動きすぎると人形がいきいきと動いて見えない。人形の目線も相手役と合わせないといけません」。手と目の動きにも気を配っていることなど、細やかな心得の一端を披露していただきました。
 かしらの髪型や着付けなどについての質問も次々に飛び、最後は人形をつぶす(解体)ところまでを見せていただきました。「マグロの解体ショーはありますが、人形の解体というのは滅多なことでは見られませんね、貴重な体験です!」。村さんの楽しい司会によって、文雀さん・和生さん師弟の深い絆を感じた「あぜくらの集い」となりました。

 

吉田和生村

 

 

 



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