平成30年11月歌舞伎公演│11月3日[土・祝]~26日[月]

独立行政法人 日本芸術文化振興会
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平成30年度(第73回)文化庁芸術祭協賛|明治一五〇年記念

通し狂言|名高大岡越前裁|六幕九場

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法沢後ニ天一坊 市川右團次
山内伊賀亮 坂東彌十郎
大岡越前守忠相 中村梅玉|山内伊賀亮 坂東彌十郎|法沢後ニ天一坊 市川右團次

名奉行、最大の危機!天下を揺るがす難事件に、大岡越前が命を賭けて立ち向かう。

  • あらすじ・見どころ
  • 大岡越前とは
  • 関連コラム

作者について知るなら

主な配役主な配役

  • 中村梅玉、坂東彌十郎、市川右團次からのメッセージ
  • 中村梅玉スチール写真撮影風景を特別に公開
  • 動画_坂東彌十郎スチール写真撮影風景
  • 動画_市川右團次スチール写真撮影風景
江戸南町奉行を勤めた大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)は名奉行として庶民の人気を集め、大岡が優れた裁定で様々な事件を解決する物語「大岡政談(おおおかせいだん)」が創作され、講談などの恰好の題材となりました。その中の一つが通称「天一坊(てんいちぼう)事件」です。享保13年(1728)に天一坊改行(かいぎょう)と名乗る男が、八代将軍・徳川吉宗(とくがわよしむね)の御落胤(ごらくいん)と称して大勢の浪人を集めたことから捕らえられ、その翌年に獄門に処せられました。この実在の事件は、大岡とは無関係ですが、「大岡政談」の中で脚色され、初代神田伯山(かんだはくざん)の講釈によって有名になりました。この講釈を基に河竹黙阿弥(かわたけもくあみ)は『扇音々大岡政談(おうぎびょうしおおおかせいだん)』を書き下ろしました。明治8年(1875)初演の本作を、明治150年記念として取り上げ、『名高大岡越前裁』と題し、通し狂言として上演します。
あらすじ

紀州平野村感応院(かんおういん)の小坊主・法沢(ほうたく)は、隣村の老女お三(さん)から、亡き孫が実は八代将軍・徳川吉宗の落胤だという話を聞き、偶然にもその孫と自らの生年月日が同じだったことから、悪心を抱きます。法沢は、お三を殺して証拠の墨付と短刀を奪い、師匠の感応院も毒殺してその罪を下男・久助(きゅうすけ)になすり付け、姿をくらまします。

将軍の御落胤になりすまして美濃国常楽院(じょうらくいん)に現れた法沢は、元関白家の家来・山内伊賀亮(やまのうちいがのすけ)に出会い、朝廷や武家の礼式に詳しい伊賀亮を味方に引き入れることに成功します。法沢は、一味に加わった住職・天忠(てんちゅう)の機転で過去を塗り替え、天一坊と名を改めます。

江戸で老中の調べを受けて誠の御落胤と決まった天一坊に対し、大岡越前守だけは納得せず、再吟味を願い出ますが、却って謹慎を申し渡されます。大岡は池田大助(いけだだいすけ)ら家来の力を借りて秘かに屋敷を抜け出し、水戸藩主・徳川綱條(とくがわつなえだ)に助力を求めます。

大岡はようやく再吟味に漕ぎつけましたが、伊賀亮が巧みな弁舌で大岡の鋭い追及をかわします。大岡は、将軍と天一坊の親子対面の実現を約束し、十日の猶予を得ます。

猶予期間中に家来を紀州へ調査に向かわせた大岡。しかし、一向に報告が入らず、猶予の刻限を目前に控えた大岡は妻・小沢(おざわ)や嫡子・忠右衛門(ちゅうえもん)とともに覚悟を決め、切腹しようとします。最早最期かというところへ、家来が紀州より戻り、天一坊の騙(かた)りを暴く確信を得た大岡は、再び天一坊と対峙します。

難事件に立ち向かう大岡越前守忠相を梅玉が初役で勤めるほか、楽善の徳川綱條、魁春の大岡妻小沢、彌十郎の山内伊賀亮、右團次の法沢後ニ天一坊など、充実した配役でご覧いただきます。天下の“大岡裁き”にご期待ください。

  • 大岡越前守と将軍吉宗
    『絵本大岡政談大全』明治26年12月、聚栄堂(国立国会図書館所蔵)
    請求記号:特11-925
  • 悪党一味に立ち向かう大岡越前守(中央)
    『扇音々大岡政談』(明治8年1月新富座)豊原国周筆(都立中央図書館特別文庫室所蔵)
    請求記号:M347-43-1/東M347-043-001
  • 妻子とともに密使の報告を待つ大岡越前守(右)
    『扇音々大岡政談』(明治8年1月守田座)豊原国周筆(都立中央図書館特別文庫室所蔵)
    請求記号:M347-43-2/東M347-043-002
  • 大岡越前守(中央)とその腹心たち
    『扇音々大岡政談』(明治8年1月守田座)豊原国周筆(都立中央図書館特別文庫室所蔵)
    請求記号:M347-43-5/東M347-043-005
  • 豊川稲荷東京別院
  • 大岡廟
  • 大岡廟前にて
    左より市川右團次、中村梅玉、坂東彌十郎
  • 豊川稲荷東京別院会館にて
    左より市川右團次、市川右近、中村梅玉、坂東彌十郎

大岡越前について

テレビ時代劇「大岡越前」や講談などでお馴染みの大岡越前守忠相(1677-1752)は、江戸時代中期、「享保の改革」で有名な八代将軍・徳川吉宗の治世に、江戸南町奉行として活躍した実在の人物です。

ここでは、史実の大岡忠相にまつわるエピソードや伝承をいくつかご紹介します。

大岡越前守と将軍吉宗
『絵本大岡政談大全』明治26年12月、
聚栄堂(国立国会図書館所蔵)請求記号:特11-925

大岡越前守と将軍吉宗 
―享保の改革―

大岡忠相は、延宝5年(1677)江戸で、旗本・大岡忠高の四男として産声を上げました。若い頃は身内の不幸が相次ぎますが、そうした逆境にもめげず、26歳の時には将軍の身辺警護をする「御書院番(ごしょいんばん)」に取り立てられます。翌年に発生した元禄大地震での対応など、優秀な仕事ぶりで順調に出世。享保元年(1716)に八代将軍・徳川吉宗が就任すると、間もなく江戸南町奉行に抜擢され、これを機に「越前守」を名乗ることになります。

悪党一味に立ち向かう大岡越前守(中央)
『扇音々大岡政談』(明治8年1月新富座)
豊原国周筆(都立中央図書館特別文庫室所蔵)
請求記号:M347-43-1/東M347-043-001

忠相は吉宗のもとで、幕府の財政再建をはじめとする一連の「享保の改革」を支え、とりわけ米価対策には自らの進退をかけて取り組みました。また、町奉行への就任と同時に、裁判や政策の立案を担う評定所(ひょうじょうしょ)一座に加わり、以後長きにわたって司法にも携わりました。忠相の功績は、防火対策や、貧困者のための無料の医療施設の設立、庶民の要求・不満などの投書を受け取る「目安箱」の設置など、多岐にわたります。

このように忠相は、庶民の暮らしに寄り添った様々な施策を打ち出し、優れた手腕を発揮した有能な官僚でした。時代劇や講談で描かれる姿は多少の誇張を含んだフィクションではありますが、実直で謙虚な忠相への信望が、後世に語り継がれる人気につながったと言えます。

忠相に厚い信頼を寄せていた吉宗が病没すると、間もなく自らも75歳で他界。墓所(浄見寺)のある神奈川県茅ヶ崎市では、毎春、名奉行を偲んで「大岡越前祭」が開催されています。また、忠相が信仰し、御廟のある豊川稲荷東京別院では、例年9月22日に「大岡祭」が開催されています。

妻子とともに密使の報告を待つ大岡越前守(右)
『扇音々大岡政談』(明治8年1月守田座)
豊原国周筆(都立中央図書館特別文庫室所蔵)
請求記号:M347-43-2/東M347-043-002

さて、今回上演する『名高大岡越前裁』の題材になった実在の「天一坊事件」に、大岡忠相は関わっていませんが、作品の中では、将軍吉宗のご落胤になりすました天一坊の悪事を阻止するため、必死に立ち向かう大岡忠相が描かれます。命を賭けて真相解明に突き進むひたむきな姿は、史実の大岡忠相その人と重なる部分が少なくないかもしれません。舞台での活躍と天下の“大岡裁き”にご期待ください。

大岡越前守(中央)とその腹心たち
『扇音々大岡政談』(明治8年1月守田座)
豊原国周筆(都立中央図書館特別文庫室所蔵)
請求記号:M347-43-5/東M347-043-005

豊川稲荷東京別院
(東京都港区元赤坂)

大岡越前守にゆかりの深い地の一つに豊川稲荷東京別院があります。大岡は、先祖の故郷である三河の豊川稲荷(愛知県豊川市の曹洞宗の寺院)を信仰し、赤坂の屋敷に分霊を祀りました。大岡の没後135年の明治20年(1887)に、屋敷に程近い現在の地に本尊が移転遷座され、豊川稲荷(豊川閣妙厳寺)の直轄の別院となりました。境内には大岡の位牌を祀る御廟もあり、例年9月22日に「大岡祭」が開催されています。大岡越前守を偲び、現在も多くの参拝客が訪れます。今回の公演の成功を祈願し、大岡を勤める中村梅玉を筆頭に、坂東彌十郎、市川右團次も訪れました。

豊川稲荷東京別院
大岡廟
大岡廟前にて
左より市川右團次、中村梅玉、坂東彌十郎
豊川稲荷東京別院会館にて
左より市川右團次、市川右近、中村梅玉、坂東彌十郎

このほか都内では、大岡越前守の屋敷跡(千代田区霞が関)や南町奉行所跡(千代田区有楽町)、小石川植物園(文京区白山)が見られます。ゆかりの地を巡り、観劇に向けて想像を膨らませてみてはいかがでしょうか。

  • 『名高大岡越前裁』坂東彌十郎の山内伊賀亮
  • 『名高大岡越前裁』市川右團次の法沢後二天一坊

[ 関連コラム ]

「三方一両損(さんぽういちりょうぞん)」「白子屋事件(しろこやじけん)」「小間物屋彦兵衛(こまものやひこべえ)」「村井長庵(むらいちょうあん)」など、講談・落語、さらに劇化した作品等で、颯爽とした名裁きを下す大岡越前守。

今回の題名にある「高」は、大岡裁きが「名高い」という意味に、大岡を勤める梅玉の屋号「高砂屋」を掛けています。

彌十郎の伊賀亮、当劇場に襲名後初出演となる右團次の天一坊、そして彦三郎の池田大助はいずれも初役ですが、三優には本作と浅からぬ縁があります。昭和47年6月京都南座で本作が上演された時の伊賀亮は彌十郎の父・初代好太郎、天一坊は右團次の師匠・三代目猿之助(現猿翁)でした。さらに、忠右衛門は武田右近――満8歳の現右團次の初舞台でした。今回、右團次の長男・右近が、父の初舞台と同じ年齢で同じ役を勤め、当劇場初出演を飾ります。

また、同年3月国立劇場所演時の池田大助は彦三郎の父・八代目薪水(現楽善)でした。親から子へ、師匠から弟子へ、芸の伝承が実現します。

『名高大岡越前裁』坂東彌十郎の山内伊賀亮
『名高大岡越前裁』市川右團次の法沢後二天一坊