『三人形』では、若衆・傾城・奴の三人それぞれに見せどころが用意されています。若衆と奴による「丹前六方(たんぜんろっぽう)」や「廓の由来」の振り事、傾城の「拳酒(けんざけ)」の振り事やクドキ、宮城県仙台地方の俗謡がアレンジされて江戸・吉原でも流行した「さんさ時雨」での三人の総踊りなど、見逃せません。

 その中に、奴が足拍子を踏みながら闊達に踊る件(くだり)もあります。「あ痛しこ」という詞章の後、常磐津の三味線、大鼓(おおつづみ)や小鼓(こつづみ)の演奏と、呼吸(いき)を合わせて踊ります。拍子を踏む時の強弱にも注意しなければなりません。小気味よく足拍子を踏むと、体を横に倒す「横ギバ」という姿勢になり、上になった方の足を伸ばす弾みに立ち、見得で極まります。
 初演で奴を勤めた初代中村芝翫こと三代目中村歌右衛門は舞踊の名手で、足拍子の振りを見事に演じたことでしょう。

 その振りがアレンジされて、後世の作品に取り入れられました。
 文政11年【1828】3月江戸・中村座で、三代目歌右衛門の弟子であった二代目中村芝翫、後の四代目中村歌右衛門が、七変化の舞踊『拙筆力七以呂波(にじりがきななついろは)』を上演しました。この内の長唄『供奴(ともやっこ)』の奴に扮した時、師匠の先代が『三人形』で見せた足拍子の振りを、取り入れたのです。
 『供奴』の詞章に「浪花師匠のその風俗に、似たか似たぞ似ましたり」とあり、大坂にいる三代目歌右衛門に敬意を払っています。『供奴』は、初演の演者の名前から『芝翫奴(しかんやっこ)』とも言われ、現在もたびたび上演されます。
 『供奴』の原点が『三人形』にあると言えるでしょう。

 『供奴』の奴の化粧では、眉毛の中ほどから顳顬(こめかみ)にかけて赤い筋を入れることになっています。これを「芝翫筋(しかんすじ)」と言います。
 今月は、歌右衛門家の末裔である中村国生が、祖先に所縁の深い『三人形』の奴を勤めるに当たり、「芝翫筋」を入れています。