『三人形』の初演は文政元年【1818】4月中村座<初日の時点では文化15年だが、上演中の4月22日に改元>。当時の中村座の座頭・三代目坂東三津五郎、美貌の立女方・五代目岩井半四郎、そして、大坂より再び江戸へ下ってきた三代目中村歌右衛門<この時だけ芝翫を名乗る>―東西名優の豪華顔合わせによる共演で、三津五郎の丹前男浮世与之助<若衆>、半四郎のけいせい香久山<傾城>、歌右衛門の丹前奴大助<奴>という配役でした。

 三代目三津五郎と三代目歌右衛門は共に舞踊の名手でもあり、一人の演者が様々な役柄に扮して踊りを見せる「変化舞踊(へんげぶよう)」を得意とし、芸を競い合っていました。二人の間には、このようなエピソードが残っています。

 文化5年【1808】、初めて江戸の舞台を踏んだ歌右衛門は中村座に出演し、大当りを取りました。他の劇場に出演していた三津五郎は、同年11月森田座で上演した七変化の舞踊『倭仮名色七文字(やまとがないろのななもじ)』の内の常磐津『源太(げんだ)』という曲において、歌右衛門に当て付けた詞章で踊りました。詞章の中に、「たで喰う虫も好き好きとやら、今年ゃ南瓜(かぼちゃ)も当り年」という表現がありますが、「南瓜」とは歌右衛門を指します。三津五郎が歌右衛門を「南瓜野郎」と罵っていたので、それを作者が詞章に詠み込んだのです。後年、『源太』は、「かぼちゃ源太」という通称で呼ばれるようになります。

 また、文化8年3月には、市村座で三津五郎が『七枚続花の姿絵(しちまいつづきはなのすがたえ)』という七変化の舞踊を上演して、大当りを取りました。その中には、現在も上演される長唄『汐汲(しおくみ)』などが、含まれています。
 これに対抗して、中村座に出演中の歌右衛門も、七変化の舞踊を上演することにしました。大至急で作ることになったので、全曲を長唄で通すことにして、『遅桜手爾葉七字(おそざくらてにはのななもじ)』という作品が生まれました。そして、こちらも好評を博し、大入りとなりました。現在もたびたび上演される『越後獅子(えちごじし)』は、『遅桜手爾葉七字』の中の一景として初演されました。

 『三人形』は、舞踊の名手のライバル同士が共演した貴重な作品だったのです。

 平成6年【1994】1月浅草公会堂と平成12年2月博多座では、三代目三津五郎の末裔・十代目坂東三津五郎<当時、八十助>が奴を、三代目歌右衛門の末裔・中村橋之助が若衆を勤め、祖先の演じた役柄を入れ替えての共演が実現しました。この時は、坂東流の振付で上演されました。

 今月は、初演の振付を担当した初代藤間勘十郎の末裔である藤間流宗家の振付による上演で、中村錦之助<若衆>と共に、三代目歌右衛門の末裔である中村児太郎<傾城>と中村国生<奴>が出演しています。