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国立劇場

国立劇場第168回 舞踊公演 「素踊りの世界」(3月5日) 特別対談【後編】
渡辺保(演劇評論家) & 飯塚友子(産経新聞記者)

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日本舞踊ならではの上演様式である素踊りに焦点を当て、解説と名作の上演でその魅力や面白さに迫った「素踊りの世界」をテーマとする対談の後編です。鋭い視点からの劇評で知られる渡辺保さんと、伝統芸能はじめ舞台芸術を幅広く取材し、本シリーズの編集を手掛けてきた飯塚友子さんにより、新作をめぐる日本舞踊の課題や、公演制作の要諦など、素踊りを離れて話は広がりました。(前編はこちら)。

日本舞踊の課題

飯(以下、飯):保先生は、お能にしても洋舞にしても、昔から様々なジャンルの踊りをご覧になられています。その中で日本舞踊の今後、課題についてはどう考えていらっしゃいますか?

渡(以下、渡):踊りの台本の書き手がいないと思う。別に僕は古典ばかりやってくれ、と言っているのではない。新作は必要だと思う。だけど最近の新作には、疑問が沸きます。チラシを見ただけで、「これはダメだ」って分かる。それはね、観客に媚びている(企画だ)からです。
 ただ観客が知っている題材をやればいいのか。「知らなくてもいいから、俺が作る台本は面白いから絶対来い」っていう姿勢が作家にない。それに、邦楽の歌詞を書ける人がいない。

飯:それはそうですね。

渡:明治時代、岡鬼太郎(1872~1943年)や岡本綺堂(1872~1939年)が歌舞伎座へ新作を書く時、狂言作者に意地悪をされたそうです。例えば「ここは長唄のメンバーがいないから、この場で清元に書き替えろ」みたいなことを言われた。彼らはそれに耐えてきた訳だよ。今、そんなことできる人いない。そこは問題だと思う。企画、台本、振付…課題は多いよね。

飯:今は若手作家に伝統芸能の素養がないので、原案は出せても”翻訳„作業が必要ですね。

渡:日本舞踊協会でかつて「マクベス」をやったでしょう。3人の魔女役で花柳寿南海さん(1924~2018年)が出た。鍋の中がぐつぐつ煮えて、寿南海さんとあと2人の女性が踊った。その寿南海さんの踊りの面白かった事と言ったらなかった。その手振り、今でもよく覚えているけれど、ああいうのを作る人がいない。シェークスピアでも、近松(門左衛門)でもいい。もっと面白く。
 今度、日本舞踊協会の新作で「銀河鉄道999」を上演するそうだけれど、「999」に興味のある人が日本舞踊を見てくれるのかどうか、日本舞踊を見る人が「999」に興味を示してくれるのかどうか…。

飯:「999」自体、若い世代は知らないでしょうね。

舞台芸術は企画が命

渡:だから企画だよね。 僕はかつて東宝に勤務していた時代、さんざん苦労したのは「企画を持ってこい」っていう菊田一夫先生(1908~73年、劇作家・元東宝取締役)の言葉。非常に過酷で、例えば「明日の10時までに、幸四郎(1910~1982年、初代松本白鸚)、(尾上)梅幸(1915~95年)、山本富士子って顔ぶれで、舞台の企画を40本持ってこい」って言うの。

飯:そ、それは厳しいですね。

渡:そりゃあもう、血尿が出た。翌朝10時の企画会議で菊田先生が、「お前ね、道端で石ころ拾ってくるように企画を考えてくるな!」って。でも40本持ってこいって言われたら、つい手が出て道端の石を拾うんですよ(笑)。それは絶対ダメ。日本舞踊協会はたった一つの日本舞踊家の団体だから、絶対残したいけれども、企画をもっと練ってほしい。例えば振付だって、「(舞踊家の)誰それが、どういうふうに振付をするか」という枷をはめた台本を作らなければいけない。「どう振り付けてもいいからどうぞ」では、観客に媚びた作品になりかねない。
 まずは企画と台本が揃うことが大事。その上で、「では、振りをお付けになってください」という風に持っていかないと。そこを改善すれば大丈夫です。

飯:今の舞踊協会は業界団体で、外の目が入らないので、恐らく全体を仕切って、方向性を示す人がいないのではないかと思います。最近の新作の企画はある意味、斬新ですね。

渡:新作をやるのはいいことです。ただその企画も、ニューヨークやロンドンへ持っていける企画でなければ。

飯:歌舞伎の方が、海外に通用する新作を目指している気がします。

渡:でも歌舞伎もやはり、台本を書く人がいない。芝居を知っている人でないと難しい。
 実は僕も東宝時代、もの凄い仕事をやらされました。とある舞台で、「明日までに序幕を書き直さないと、役者が出ない」という状況になって、原作者は「もう、どういうふうにも書き直せません」ってお手上げ。仕方ないものだからプロデューサーが僕に、「ほんの短いシーンだから原稿用紙で10枚ぐらい、お前が書き直せ」って(笑)。
 初日が開かないと僕の責任だから、原作者が住む葉山と新橋を結ぶ電車の中で、1時間足らずで書き直しました。それを役者に見せて、原作者の了解を取って、OKになった。僕は素人だから屁みたいな芝居になっちゃうけれど、要するに本を作る人がいないとダメなんです。

飯:日本舞踊の新作で、企画と台本を何とかせよ、というご指摘でした。そうなると伝統芸能の殿堂である国立劇場でしか、できない企画もあると思います。

渡:ここで考えたって企画、すぐできるよ。東京国立近代美術館で鏑木清方(1878~1972年)の展覧会やっていたでしょ? 「築地明石町」「新富町」「浜町河岸」と三幅を5億4000万円で購入したと、新聞の一面に出ていました。約6億、と聞いた途端、「築地明石町」って踊り、作りたくなる(笑)。
 また、例えば「滝の白糸」の主役、水島ともと村越欣弥の話を踊りでやる。最初の出だしが水芸で、その後、卯辰橋でサッと踊ればできる。「滝の白糸」っていうと、古いと言われるかもしれないけれど、踊りにするにはある程度、古さもなければダメです。新しくしようと思うと、すぐ洋物に手を出す。もっとダメだよね。

飯:日本舞踊界が危機感を持って、動画配信や新作など若手を中心に取り組んでいるのはいいと思います。だからこそ1回限りの新奇さだけで終わらせず、再演される作品を目指してほしいです。何しろ来年2023年11月から、国立劇場が建て替えのため閉場し、6年あまり日本舞踊の中心地がなくなってしまう。その空白期間をどう繋ぐかという大問題が控えていますし。

国立劇場建て替えの「空白の6年間」

渡:でもある意味、休眠の時代が非常に大事なのではないでしょうか。少し休んで、みんな頭を冷やして考え直さないといけない。国立劇場で、プロジェクトチームを作ったほうがいい。芝居を知っている人を集めて、どんな書き手でもいいから、台本をいっぱい作らなきゃダメだよ。少し予算をもらって、若い人を集めて会議をやる。国立劇場で、何かやりたい人いるでしょう?
 僕が東宝時代にやっていたのは、時間に追われた切実な仕事でした。でも本当に理想的なのは、自分でいざっていう時に10本、台本を並べられることです。そうすれば勝つ。菊田先生が亡くなった時、「これから役者は、菊田一夫がいた時のように、俺たち(制作側)の言うことは聞かない」と思ったんです。

飯:菊田先生は、劇作家でもありましたから。

渡:どうしたら役者を動かせるか、それは企画ですよ。これを持っていけば、役者は「やりたい」と思う企画。そんな企画を10本ポケットに持っていて、「これでどうだ」って切り札を見せればいい。そうすれば、役者も舞踊家も付いてくる。企画なんてノートに書きゃいい。(当公演の制作担当者に向かって)10本、できるでしょ?

飯:東宝のプロデューサーだった保先生の、実感のこもったお言葉です。

渡:それは本当に僕自身、体験したから分かるんだよ。菊田先生が亡くなった時、東宝演劇部ってつぶれると思った。でもその危機を乗り切ったのはね、企画の力ですよ。

飯:菊田先生がお亡くなりになった時、保先生はおいくつでしたか?

渡:37歳。こりゃダメかなと思ったけれど、菊田先生が亡くなった翌月から演劇部、黒字になったんだよね。それまでは赤字だった。菊田先生は、収支の面からはやっちゃいけない事を全部やっていたから。「芸術座で、女優劇はいけない」とかね。そうは言っても女優劇をやらなければ、儲からないから、菊田先生没後最初の舞台が、芸術座の「千羽鶴」です。山田五十鈴(1917~2012年)、森光子(1920~2012年)、林与一の出演で。

飯:えらく豪華なお顔触れです。

渡:そうしたら芸術座のトイレが、全部女子トイレになっちゃった(笑)。でも儲かりました。でも国立劇場は、民間と比べて多少は踏みとどまれるんだろうから、いい企画を出してほしい。

飯:国立劇場でしかできない、舞踊公演が見たいです。

渡:とにかく企画ですよ。まず物語がしっかりしてないと。それから、主人公に魅力がある。その2点ですよ。役者が心動かされるのは、そこだからね。

飯:そうやって役者さんをお一人お一人、説得されてきた保先生のご苦労がしのばれます。

渡:そうそう、随分と辛かったですよ…。

飯:舞踊の未来ということで、過去、この対談に出てきてくださった先生方、「踊り手も鑑賞者も難しい時代、どうしたらいいのか」とみなさん、口を揃えておっしゃっていました。

渡:そうですか。僕は希望を持っていますけれど(笑)。だって、日本舞踊がどうなったって、世界が滅びる訳じゃない。絶対、天才が出てくれば回復できるし、それにはいいチャンスを作ってあげればいい訳だから。
 我々にできることは、我々が踊りの天才になる訳にはいかないから、やっぱりチャンスを作るってこと。いい企画、いい機会を作れば絶対、回復できます。皆さん、日本舞踊の良さっていうのを、あんまりよく分かっていらっしゃらないと思う。「言葉ありき」っていう事だって、日本舞踊のすごい特徴ですよ。だからその「言葉ありき」ってことを最大限、やったらいい。
 「言葉ありき」っていうのは、単純に語り手がベラベラしゃべる事ではなく、踊り手が身体的に何かを発するって事。そういう「素」の良さや、特徴を最大限生かしてもっとやればいい。

伝統芸能が生き延びるには

飯:日本舞踊で、舞踊家の「天才が出れば」回復できる、とおっしゃいましたけれども、保先生は今まで、武原はんさん(1903~98年)ほか、様々な天才の舞い手をご覧になってきていらっしゃいました。

渡:はい。


武原はん
(国立劇場第42回舞踊公演<舞の会-京阪の座敷舞->より)

飯:舞踊界の枠を超えたスターが出ると、観客層も広がります。

渡:そりゃあそうですよ。武原はんの会なんて1日1回きりでしたから、公演前の劇場には高級車が並びました。それはやっぱり戦後の焼け跡の中、観客に「古い日本が生きているのはここだけだ」って思わせたからね。あるいは(四代目)井上八千代さんの京舞の世界にも、「ここにしか日本がない」って思わせた。その一時のため、みんな集まってきたんです。

飯:そのチャンスを作るのが制作者、プロデユーサーであり、また受け入れ、楽しむお客さんの素養でもある。

渡:そうです。だから考える人がいないとダメ。宣伝もちゃんとやらないとダメだけど。

飯:伝統芸能の公演告知や、出演者インタビュー、劇評や舞踊評ということですと、これまで新聞も大きな役割を担っていたと思います。ただ今は紙媒体そのものが読まれなくなり、紙面で各社とも文化面が削られているのが実情です。私も新聞記者の一人として申し訳ない気持ちです。
 各種伝統芸能を扱ってきたNHKのEテレ「にっぽんの芸能」も、今年4月以降、放送時間が55分から35分に縮小されました。テレビも新聞も、視聴者や読者の反応が反映され、伝統芸能だと、新聞は歌舞伎くらいしか記事が載せられないのが現状です。一定のファンは読んでくれますが、WEBでも爆発的なアクセスを集める訳ではありません。

渡:そうですよね。だから不思議なんですよ、日本舞踊とか歌舞伎はとっくに滅びてもおかしくない。でも、やっぱり生き延びてきたからね。

飯:先生は何年、伝統芸能の舞台をご覧になっていらっしゃるんですか?

渡:覚えているのが昭和16(1941)年12月の芝居ですから、もう80年? そりゃあ、六代目(尾上)菊五郎(1885~1949年)って人がいなかったら、僕は絶対歌舞伎を好きにならなかった。その時、菊五郎が出ていて、踊りは「うかれ坊主」と「羽根の禿」。芝居は「四の切(「義経千本桜」の川連法眼館)」でした。
 やっぱり歌舞伎は、〝仮面ライダー〟なんです。菊五郎はどんどん変わっていくでしょ?「変身って、こんなに面白いんだ」って子供は思っちゃう。僕はそうだった。東の桟敷で家族で見たけれど、自分の目の前には仮花道があって、どうして六代目はこっちの花道に来ないで、向こうばっかり行くのかと思ったもん(笑)。そのぐらい好きになっちゃった。

飯:最初に、いいものを見ることですね。

渡:それは七代目三津五郎がよく言っている。いいものだけを見なければ、鑑賞眼は上がらない。

飯:私もこの一連の国立劇場の舞踊公演を見せて頂き、本当に勉強になりました。

渡:先ほども申し上げた通り、やっぱり国立劇場内でプロジェクトチームを作ったほうがいいと思う。東宝時代、菊田先生が偉いなって思ったのはね、企画委員会っていうのを持っていたんだよね。その顔ぶれは扇谷正造(1913~92年、朝日新聞出身の評論家)、池島信平(1909~73年、元文藝春秋社長)、戸板康二(1915~93年、作家、演劇評論家)、尾崎宏次(1914~99年、演劇評論家)、杉山誠(1907~68年、演劇評論家)、遠藤慎吾(1906~96年、演劇評論家)、今日出海(1903~1984年、作家)の皆さんかな。
 月1回、飯を食いながらワイワイ言いあっていた。でもそこから出てくる企画を、菊田先生は上手にすくっていたんです。「がめつい奴」(戦後初のロングラン作品で、菊田の代表作)も、「風と共に去りぬ」(菊田が世界で初めて舞台化)も、その企画委員会から生まれたんです。だから国立劇場も、そういうチームを作って人の知恵を上手にすくったらいいと思う。

飯:菊田先生のブレーンですよね。

渡:そうそう。

飯:菊田先生ほどのお立場になられても、そういうことをずっとやっていらっしゃったんですね。

渡:でもずっと赤字でしたよ(笑)。だってそりゃ、好きな事をやるからね。金に糸目をつけないもの。僕、本当にビックリしたのは今の帝劇ができた時(1966年)、上手下手の両方に短い花道のような脇舞台があるんですが、設計図ではその後ろの壁が飛ぶ(動く)ようになっていたのに、現実には固定してあったって聞いて、菊田先生が工事現場に乗り込んできた。もう出来かかっているのに、「設計図と違うじゃないか!」って。それで結局、後ろの壁が少しズレるようになった。そりゃあお金、貯まらないのは当たり前だよね(笑)。
 それからね、菊田先生がとっても偉いなと思うのはね、僕らが必死になって40本、朝の10時までに企画を持っていくでしょ。すると「みんなダメ」って言わないの。必ず「お前のこれ、いいな」って言うんだよ。どうせ後で蹴飛ばすんだけれど、一度はやっぱり頭、撫でるわけ(笑)。働き甲斐があるよね。「この次もやろう」って思うじゃないですか。そりゃ人遣い、うまいですよ。

飯:いまだに菊田先生の作品は、東宝でも宝塚でも上演され続けています。

渡:そうなんです。「がめつい奴」っていうのは戦後の日本の縮図で、名作だけれども、シャープに演出する人はいないんだよね。

素踊りの世界~今後の展望

〈国立劇場3月恒例の「素踊りの世界」は、来年2023年3月も開催が予定されている〉

渡:「素踊りの世界」って年に一遍だけ?

担:はい。来年の企画についてはどのような方向性にするか、色々と考えたいと思います。

飯:この素踊りにしても、若手の舞踊会、上方舞も、国立劇場でしかなかなか見られない舞踊企画を継続しており、非常に意義があると思います。

担:舞踊公演は費用がかかります。地方の劇場やホールがなかなか日本舞踊を取り上げないのは、そこがネックになっている面もあるのではないでしょうか。落語公演だったら出演者も数人で、テレビで馴染みのある噺家さんだと宣伝もスムーズだったりします。それと比べると日本舞踊は衣裳付の場合、出演者の人数だけでなく衣裳、床山、小道具なども必要ですし、何かと規模が大きくなります。国立劇場が建て替えで閉場中は、地方含めて日本舞踊の公演がどう行われていくのか、難しい時期になりそうです。

渡:地方の、地元の舞踊家を起用することもできるよね。山口県立劇場「ルネッサながと」(長門市)でやった舞踊会で、僕も関わって大変だったけれども、地元の踊り手と藤間流と花柳流から1人ずつ入れて、相手役を東京から連れて行った事があります。「(「冥途の飛脚」の)梅川を踊りたい」っていう要望だったので、「忠兵衛を連れてくればいいんでしょ、誰がいい?」って聞いたら、「(中村)鴈治郎がいい」って言うから、(当代)鴈治郎に行ってもらったんです。

飯:ええ?! 贅沢ですね。

渡:だから儲からないけど、でもそうしたらお客さん来ましたよ。

飯:それは来ますよ。面白い企画ですね。

渡:人間国宝の会とか、色々とやりました。あそこは鳥越文蔵先生(1928~2021年、元早稲田大学演劇博物館館長)が初代館長で、非常にシックな劇場です。やっぱり相手役を連れていくと地元の人も、張り切るよね。

飯:そりゃあ鴈治郎さん相手に踊れるなら、死ぬほど頑張りますよ。

渡:そうそう。それで藤間藤太郎さんの振付で、鴈治郎さんを連れて行って、梅川を地元の舞踊家の藤間千佳さんでやった。大変でしたが地方(清元)も喜んでくれて、いまだに清元の連中は「ナベさん、山口行こう」って言ってくれます。あと「(日本振袖始の)大蛇退治」もやった。地方はみんな東京から連れていって女流義太夫と、相手役ね。

飯:各地で、そういうやり方もありますね。

渡:そういう場合、地元の人には「ちゃんと切符売ってよ」って言います。

飯:地方の舞踊家さんの活動の場は、そもそも限られていますし。

渡:地方も劇場いっぱいあるでしょ、今。

飯:建物のハードとしては県立ホールなどありますが、地元の人の発表会の場、というケースが多いと思います。

渡:そうそう。だから国立劇場の舞踊の企画を、地方をくっつけてやればいい。国立劇場で新作を作って地方に持っていくのはどう?

担:鋭意努力します…(笑)。

渡・飯:新作も含め、期待しております。

編集:飯塚友子(産経新聞記者)


※写真撮影時のみマスクを外しました。


※「舞踊を語る」は今回が最終回となります。
 これまでお読みいただきました皆様に心より御礼申し上げます。

プロフィール

渡辺保(演劇評論家)
東京都出身。慶應義塾大学卒業後、東宝に入社。同社企画室長を経て退社。淑徳大学教授、放送大学教授などを務めたほか、多数の大学で教鞭を執る。歌舞伎を中心に能、文楽、日本舞踊、現代演劇等、幅広く舞台評を手掛けている。近著に『観劇ノート集成第五巻 昭和三十三・四年』(2022年、オンデマンド)『文楽ナビ』(2020年、マガジンハウス)。日本芸術院賞・恩賜賞、旭日小綬章、紫綬褒章等受賞多数。日本芸術院会員。
飯塚友子(産経新聞記者)
東京都出身。早稲田大学第一文学部卒業。同大在学中は歌舞伎研究会、宝塚歌劇を愛する会に所属。産経新聞社入社後、地方支局などを経て文化部において演劇担当記者を務める。現在、WEB編集室で同紙HPにおいて伝統芸能、宝塚やミュージカル等の記事を執筆。毎週水曜日22時からはその週に観た舞台について語るスペースを開催している。「舞踊を語る」の聞き手、編集を第1回より担当した。