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国立劇場

国立劇場第168回 舞踊公演 「素踊りの世界」(3月5日) 特別対談【前編】
渡辺保(演劇評論家) & 飯塚友子(産経新聞記者)

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扇など最低限の小道具を用い、特別な扮装をせず踊りだけをシンプルに見せる「素踊り」。それだけに舞踊家の力量が如実に表れ、日本舞踊のエッセンスが凝縮する上演様式でもある。国立劇場では1970年以降、素踊りを特集する公演を続け、2021年からは新たに解説付の、馴染みの薄い人も楽しみやすい公演になった。今年のテーマは「素と歌舞伎舞踊(衣裳付)」。藤間勘右衞門(藤間流家元、歌舞伎俳優の尾上松緑)が解説役となり、衣裳付との対比で素踊りを解き明かす試み。「日本の舞踊」(岩波新書)はじめ、数々の著作や演劇評論で知られる渡辺保さんと公演を振り返り、公演と日本舞踊について話を伺った。(聞き手 産経新聞・飯塚友子)

素踊りの魅力~設計図の美しさ

飯塚(以下、飯):衣裳付の舞踊より、素踊りの方が舞踊家の動きも、体のラインもよく分かりますね。

渡辺(以下、渡):素踊りは、いわば設計図ですからね。家の近くに銀杏並木があって、毎日、散歩に行くんですよ。そうすると銀杏が一番綺麗なのは、葉が落ちた後の姿です。紅葉している時よりも、若葉の時よりも綺麗です。空間に細かく枝が伸びている美しさが、とてもよく分かる。植物の構造の美しさですね。これが素踊りです。つまり設計図の美しさです。
 日本の芸能の非常に面白いところは、踊りに限らず「素」の思想があることです。浄瑠璃だと素浄瑠璃、能だと仕舞、素謡があって、踊りには素踊りがある。それは日本の芸そのものの構造に関わってきます。
 日本の芸能は近代劇と違って、役者が「素」で出てきて、その人が「役」になって観客に見せるまでのプロセスを、全部隠さず見せる。すると、素になった時の人格とは何か、が問われる。例えば歌舞伎の(六代目中村)歌右衛門(1917~2001年)でいうと、まず河村藤雄が本名で、次に芸名の中村歌右衛門、さらに「(京鹿子)娘道成寺」なら白拍子花子という役名と、3つの名前を持っている訳ですね。
 その2番目の「中村歌右衛門」っていう芸名に、人格がある。それは過去、五人の歌右衛門を集約し、受け継いだ上で、芸名の人格の「素」が出るということです。「娘道成寺」を素で踊るという意味は、「中村歌右衛門」っていう素の人格があるからできることで、「河村藤雄」でも困るし、「白拍子花子」でも困る。役者として芸名の人格が立派なら、それでいい。芸名の人格が設計図を踊るから、素踊りは面白い。そこが大事です。
 能舞台で仕舞をやる時も、必ず切戸口から出てくるでしょ? 仕舞の舞い手は、扇子を前に置いて、その扇子を取って大小前に行って、そこで立ち上がって謡を謡う。その間、「素」の人間が舞台で成立するかどうかっていう瀬戸際がある。切戸口を開けた時は、まだ本名かもしれない。だけど舞台へ座ったときは能役者の芸名でなければいけない。芸名である以上は、その芸から役に入っていけるんです。


渡辺保

公演を振り返る

【解説】

〈公演の冒頭は、藤間勘右衞門が、「素の表現をさぐる」と題し解説。水谷彰宏・元NHKアナウンサーのの質問に答える形で、古典の名作「供奴」を事例に、歌舞伎舞踊と素踊りの違いを、実際に動きを交えて比較。この日の最後、自身が素踊りで披露する「供奴」の見どころを、踊り手の立場で語った〉


藤間勘右衞門


水谷彰宏

飯:今年の素踊りの公演、客席も一杯で大変な賑わいでした。

国立劇場の制作担当者(以下、担):今年は劇場主催の舞踊公演に久々に勘右衞門さんがご出演ということもあってか、売り切れでした。素踊りでは過去、ほとんどなかったのではないでしょうか。

飯:内容を一新した前回2021年の素踊り公演は、「日本舞踊の技法を知る」と題し、振付がテーマでした。今年は、衣裳付との比較で素踊りを考える企画ですね。最近は話せる舞踊家も増えて、勘右衛門さんの解説も面白かったです。

渡:分かりやすくて、とても良かった。よくしゃべりましたね(笑)。もっとしゃべるべきです。今、若手の筆頭なんですからね。

飯:勘右衞門さんはコロナ以降、ネットの動画配信「紀尾井町夜話」を続けていて、歌舞伎俳優さんらと、お酒を飲みながら和気あいあいと話しています。流派を超えた日本舞踊家集団「五耀會」の舞踊家さんも、出演したことがあります。あの動画配信で、勘右衞門さんに親しみが沸いた人も多いはず。勘右衞門さんご自身、歌舞伎俳優でもあり舞踊家でもあるから、それぞれの踊りの違いを実践しながら解説できるのが、勘右衛門さんならではだと思いました。
 衣裳付では、化粧や衣裳などで視覚に訴えられるけれども、素踊りでは役になり過ぎず、「舞踊家が、演目をやっている」という事を意識する、というお話しをされていました。

渡:勘右衞門さんが解説で素踊りについて、「品よく、人格が出るように踊らなければいけない」と言っていました。それを説明するには、先ほど申し上げた日本の芸能における素の思想を説明しないと、分からない。勘右衞門さんが言いたいのは、そこだと思います。「素」という状態は、現実の「私」を洗い流して、どんな姿にでも変身できる、いわば培養器としての白紙の人格が必要なんですね。それが「品よく」人格が出るというのは、そこにいわば(現実の市民としての人格を捨象した)芸の人格が出るからです。

飯:勘右衞門さんは解説で、「素踊りをすごく大事にしている」とおっしゃっていましたね。お師匠さんだった藤間藤子先生(1907~98年)も、藤間蘭景先生(1929~2015年)も、「素で踊れてなんぼ」という意識が舞踊家にはあるっていうお話をされていました。

渡:藤子先生の荻江節の「山姥」なんて、屏風の陰から素でスーッと出てきた時、もう本当に遊女だった。遊女は山姥と同じように、やっぱり旅から旅へ「漂泊する女」なんですね。だから山姥と遊女が一体化する。そこを藤子先生は、屏風から離れた瞬間に見せる。そりゃ設計図だから見せられる。これが衣裳付で化粧したら、遊女だけになって、そういうものが見せられないですよ。

飯:むしろ拵(こしら)えをしない(衣裳を付けない)方が、本質が見える。

渡:イメージになるからね。観客の心の中にイメージとして棲めるでしょ?イメージっていうのは観念で、実際のものではないからこそ、色々な風に変身させることができる訳だよね。

飯:そこが、観客が素踊りを見る楽しさでもありますよね。

渡:そうそう。でもなかなか、屏風の陰からツッと出るだけで、遊女になったり山姥になったりするのは難しいですよ。

飯:長年の蓄積と芸で磨き上げた上で、余計なものを一切省いた、究極の表現ですよね。

渡:「山姥」では杖をついていたけれどね、杖がいかに大事かと思いました。杖が、漂泊する、旅する女の象徴だよね。そういうことがお客にすっと分かっていくところが、素踊りの面白さだよね。

飯:藤子先生、出の瞬間だけでそこまで伝えるんですか!

渡:背中を向けてスッと出てくるんですよ。僕は藤子先生、テレビの仕事でインタビューをしました。素顔は普通の品のいい、親しみやすい、おばあさんでいらっしゃるんですが、舞台に立つと全然違う。(四世)井上八千代さん(1905~2004年)もそうです。本当に優しい、いいおばあさんでした。

飯:先代八千代先生は名人ですが、大変芸に厳しかったという伝説が流布しています。お優しかったんですか。

渡:京都の井上家の台所で立ち話なんかしていると、「こんなおばあさんなら、どんなに優しいんだろう」と思うくらいの人だよ。ところが舞台に立つと全然、違う。それは「井上八千代」っていう別な人格が入ってくるからです。本名の「片山愛子」ではなく、「井上八千代」っていう芸名の世界です。それができてない人が素踊りをやるとグチャグチャになっちゃう。

飯:芸名の人格が確立していないと素踊りは難しい、ということですね。

【常磐津「子宝三番叟」】

〈続いて西川箕乃助と花柳基が、ご祝儀物の代表作として知られる「子宝三番叟」を披露。子だくさんの大名(箕乃助)が、太郎冠者(基)と子供たちの四季の遊びを表現する作品で、「三番叟物」としては最も古く、古風な味わいのある作品だ。それぞれ黒紋付と扇子だけで、四季折々の情景を表した〉


西川箕乃助


花柳基

飯:このお2人は、「五耀會」のメンバーですね。基さんは太郎冠者が初役で、箕乃助さんはお父様(西川扇蔵)と何度も踊ってこられたそうです。

渡:これは、三番叟の中で最も古い曲だから、古風なところが残ってないと駄目です。そういう味わいは、個性と一緒に出るもので、自然と出てくる。作っちゃダメです。体に叩き込まれた身体言語でなければ。
 基さんは手が回る。箕乃助さんの方がおっとりしていた。足を出さないとはいえ、あんまり綺麗に見え過ぎてもいけない。

飯:その塩梅が難しいですね。

渡:それは芸の人格です。それが素踊りでは分かるから面白い。

【荻江「鐘の岬】

〈中幕に女流舞踊家で唯一、出演したのが中村流家元で、七代目中村芝翫(1928~2011年)を父にもつ中村梅彌。男性舞踊家の紋付袴姿の素踊りとは違い、最低限の化粧や鬘も用いた拵えで踊った。長唄「京鹿子娘道成寺」を元にした地歌「鐘ケ岬」を荻江に移し、娘の恋心と鐘への恨みに焦点を当てる〉

渡:梅彌さんは七代目中村芝翫さんの娘でしょ? お父さんに顏がそっくりで驚きました。若い頃、福助時代の芝翫さんはああいう感じでした。殊にああいう恰好すると似るね。


中村梅彌

飯:白塗りすると、そっくりですね。女流舞踊家の素踊りって、化粧も拵えもそれなりにするので男性舞踊家の素踊りとはかなり印象が違いますが、動きはよく見えます。
 以前、女流舞踊家が「京鹿子娘道成寺」を、歌舞伎とまったく同じ拵えで踊る舞台を拝見しましたが、鬘も衣裳も重いものだから引っ張られて、動きが不安定でハラハラしました。女流舞踊家は体力的に、こういう形で「道成寺」を踊るのも一理あると思いました。

渡:そりゃそうですよ。ただ芸名の人格ができてないと、素踊りで大きな役は踊れないですね。神崎えんさんの父親、神崎秀珠さん(1924~2013年、地唄舞・神崎流の三世宗家)の「鐘ヶ岬」を見たことがあります。それは本当に驚きますよ。いい年をした男性が、素顔で女性を舞って、実に色気が出てね。
 「真如の月」というところで、上の月を見るのでなく、下を見るんです。そうすると、月の光が大地に散って、その光で秀珠さんがきれいな白拍子になるんですよ。しかも月の光が舞台に散っていくのが分かるんだよねぇ。あの鐘づくしの最後のところ「真如の月を眺め明かさん」で上を見て、下を見る。すると「ああ、月の光だ」って道を照らすのが分かる。(通常は逆で)秀珠さんは独特ですが、設計図(素踊り)は色々あるから面白い。

担:ただ月の光が散っていると分かる人もいれば、分からないお客さんもいますよね。

渡:それは言葉を聞いてないから。「真如の月を眺め明かさん」って言って、(舞い手が)やって来たら、月がお客の頭の中で動いてないとダメです。それを動かすのも、芸の力です。
 言葉が聞こえているのに、観客に響かない踊り手はダメです。西洋の舞踊と比べて、日本舞踊の特徴は、「言葉が必ずある」ってことね。能もそうだし、舞踊もそうでしょ。

飯:今公演では、歌詞が字幕で出ました。

渡:だけど(舞台脇に映される)字幕を見ながら、踊り手も見るって大変です。もっと映画みたいに踊り手の体のそばに出ればいいのに。本当は字幕なんかなくても、地方が「真如の月を」って唄ったら、月がインプットされなきゃダメだよ。唄の文句が、お客の耳に印象づけられるように踊ることが大事。それでも分からないお客もいるかもしれないが、それは踊り手の責任。分からなくしているのは踊り手です。

【長唄「供奴】

〈最後は、廓に遊びに行く主人のお供に出遅れ、提灯片手に主人を探す様を見せる「供奴」を、勘右衞門が踊った。二代目中村芝翫(1798~1852年、のちの四代目中村歌右衛門)が初演した七変化「拙筆力七以呂波」の中の一曲で、「芝翫奴」とも呼ばれる。足拍子や、奴らしい小気味いい動きが見どころの作品だ〉


飯:冒頭の解説で勘右衞門さん、「供奴」を中村富十郎さん(1929~2011)にお稽古してもらい、「可愛げが大事」とのご指導があったそうですね。でも素踊りだとそれを出し過ぎず、また後ろの屏風と体のバランスを考え、体を下げ過ぎないなど、大分変えているというお話しでした。

渡:芸名の世界って、先程申し上げたように培養器みたいなもので、何にでもなれる。何にでもなれるけれども、基本は自分の人格として現れるっていう「素」の思想が、きちんと見えるかどうかが、素踊りの面白さですね。
 ですから勘右衞門さんが、本名と関係なく、「藤間勘右衞門」として舞台に出て、それが「供奴」になるという事が大事です。すると「供奴」を客観的に、相対化して設計図を踊れる。化粧して出ると、「どうして(足の動きが面白い)『供奴』なのに、足が見えないのか」という問題になる。それをあえて袴で見せて、足の動きを想像させるのは設計図だから。素踊りの面白さってそこにあると思う。
 僕ね、藤間勢三さんっていう女流の舞踊家をよく存じ上げていたんですが、「私の『鏡獅子』は二代目松緑(1913~89年)直伝だ」っておっしゃった。かつて家元(二代目松緑)から「鏡獅子を踊りなさい」と言われて習ったと言うから、僕が勢三さんに「踊って下さいますか?」って言ったら、浴衣一枚で踊ってくれた。それは僕見て、感動しましたね。その時、初めて「鏡獅子」って(「恨みかこつもな」で始まる)手踊りが性根だって分かりました。それは素踊りでやるから分かる。「ここが(前ジテ)小姓・弥生の性根なんだ」っていうのがよく分かりましたね。ですから「素」の功徳ってある。
 この間、東京・紀尾井ホールで(清元の舞踊)「三社祭」を上演したんですよね。まず早稲田大学の児玉竜一教授が、歌詞を分かりやすく解説して、「それでは、踊りを見てください」っていう形で、(花柳流の舞踊家)花柳寿太一郎さんと花柳源九郎さんのコンビで踊った。

飯:いいですねぇ。

渡:その時、とってもビックリした。今まで「三社祭」っていうのは、歌舞伎役者がやれば当然、下半身は足を丸出しにして踊る。初演(1832年)の四代目坂東三津五郎(1800~63年)と四代目中村歌右衛門は、それを踊りの面白さにした。
 公演で寿太一郎さんと源九郎さんは、袴を履いて踊った。初めて人間の足が見えない「三社祭」を見て、特に寿太一郎さんに感心しました。袴の中でも足の動きが〝見える〟面白さでした。袴を通して、足の動きが分かるって、大変なことです。「三社祭」に出てくる善玉と悪玉っていうのが、どういう男か詮索する必要はないけれど、それを踊っている寿太一郎さんと源九郎さんがどういう人なのか、その人の「芸」の人格がどういう人格のなのか、それを受け止める面白さですね。

飯:源九郎さんは最近、振付でもご活躍されています。

渡:踊りもなかなかうまいですよ。
 勘右衞門さんも素踊りで足の動きを想像させる面白さを見せていましたね。

「身体の声」を聞く


飯塚友子

飯:保先生の名著「日本の舞踊」(岩波新書)を拝読すると、舞踊を味わうとは、「身体の声」を聞く事だとお書きになっています。

渡:そうね。あんまりいい例えではなく、困った果てにそう書きました(苦笑)。本当に、その人の〝声〟を聞くっていう楽しさが、やっぱり素踊りにはあるんだよね。

飯:衣裳や鬘など拵えをしない、そぎ落とした踊りだからこそ、その人の体からにじみ出る〝声〟が明確に聞こえる面白さですね。

渡:紀尾井ホールでもう一つ、変わった「三社祭」を見たことがあります。新橋の名妓2人が素で踊って、そりゃもうイキが合って面白かった。裾も引かず、鬘もなし。着流しで踊っていると「足を丸出しにしている」っていう感覚があって、別のエロティシズムが出る。やはりお座敷の踊りだと思いました。名妓の、身についた味です。それは振り付けた西川鯉三郎(1909~83年)の知恵です。女性だから足を見せない。それを逆手にとって振りを付ける。それが上手いんだよねぇ。
 見えないのに〝見える〟面白さ。だからいまだに、あの2人の踊りが忘れられない。足をむき出しにしない「三社祭」は、それと寿太一郎さんたちと2回しか見たことがない。そういう舞い手は、地方の花柳界に行くと今でもいるのではないでしょうか。

飯:花柳界自体、今はなかなか難しい時代で、遊びに行く人も減っているでしょうね。

渡:でも踊りは、遊びの世界だからね。また日本舞踊を新しい視線で見ようとしている人も、いるのではないでしょうか。モダンダンスや、コンテンポラリーダンスと同じように。

飯:そうですね。過去のこの舞踊対談に出て下さったスケーター出身の町田樹さん(現國學院大助教)は、初めて日本舞踊をご覧になって、すごく新鮮だったとおっしゃっていました。扇や手拭いで様々なものを表現する「見立て」が、面白く見えたようですね。

渡:西洋舞踊には、そういうのがないからね。日本舞踊は言葉と繋がっていて、言葉を「見立てる」ことによって成立しています。

飯:洋舞は主に音楽に合わせて振り付けられますが、日本の舞踊は歌詞に合わせて振りが作られ、言葉と一体化した「身体の声」を聞く面白さですね。

渡:言葉を通して、舞い手の個性や、本来自分の中に持っている、楽器としての身体の響きが出てくればいい訳ですよ。そこが、見る人間にとって楽しみだろうね。

いい舞踊との出合い

渡:「身体の声」で思い出すのは、七代目坂東三津五郎(1882~1961年)の「廓八景」。吉原の設定だから花魁の振りがあって、当時、70歳近い名人が、大病後、紋付き袴で舞台に立って、まるで絵でしたよ。「これは美しい遊女を描(か)いているんだ」って分かって、とても面白かった。
 男だけど女のフリを作って、イメージを観客の中に膨らませるための媒体になっている、というのが三津五郎だと、すごくよく分かった。「ああ、こういう風にやれば嫌らしくない」ってその時、つくづく思いましたね。三津五郎はすごくうまい人でした。

飯:確かに、いい踊り手だと、素踊りでも何をやっているか、私でも分かります。

渡:そりゃ七代目三津五郎の踊りを見ていると、三津五郎の体から音楽と言葉が聞こえてくるんだよ。三津五郎はやっぱり、地方(じかた=演奏)に名人を選んでいました。清元なら寿兵衛。常磐津なら文字兵衛。長唄なら芳村伊十郎、杵屋栄蔵って決まっていた。するとその人たちの音楽が、三津五郎の体を通して聞こえてくるんだよ、観客に。
 ということはつまり、三津五郎の体の中で、歌詞が一体化しているってことです。歌詞が身体化しなきゃダメ。「月」って指さした時に、月が見えるか見えないかっていう問題は、指し方による。それが身体化されてないから、観客は月っていうイメージが湧かなくて、「何をやっているかよく分からない」ってことになる。
 (舞踊の)名人が少なくなった理由の一つには、地方の層が薄くなっていることもあると思う。ましてや、踊りの体にくっついた音楽なんてそうそう望めない訳だから。でも、しばらくすると名人が出てくるかも分からないから、僕はあんまり絶望してないんだよ。


※写真撮影時のみマスクを外しました。

※後編はこちら

  

プロフィール

渡辺保(演劇評論家)
東京都出身。慶應義塾大学卒業後、東宝に入社。同社企画室長を経て退社。淑徳大学教授、放送大学教授などを務めたほか、多数の大学で教鞭を執る。歌舞伎を中心に能、文楽、日本舞踊、現代演劇等、幅広く舞台評を手掛けている。近著に『観劇ノート集成第五巻 昭和三十三・四年』(2022年、オンデマンド)『文楽ナビ』(2020年、マガジンハウス)。日本芸術院賞・恩賜賞、旭日小綬章、紫綬褒章等受賞多数。日本芸術院会員。
飯塚友子(産経新聞記者)
東京都出身。早稲田大学第一文学部卒業。同大在学中は歌舞伎研究会、宝塚歌劇を愛する会に所属。産経新聞社入社後、地方支局などを経て文化部において演劇担当記者を務める。現在、WEB編集室で同紙HPにおいて伝統芸能、宝塚やミュージカル等の記事を執筆。毎週水曜日22時からはその週に観た舞台について語るスペースを開催している。「舞踊を語る」の聞き手、編集を第1回より担当した。