舞踊を語る

国立劇場第167回 舞踊公演 「舞の会-京阪の座敷舞-」(11月20日) 特別対談【後編】
岡田万里子(桜美林大学教授) & 鈴木ユキオ(振付家・ダンサー)

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国立劇場の舞踊公演の柱の一つとして、半世紀以上の歴史をもつ「舞の会-京阪の座敷舞-」。歌舞伎舞踊とは異なる魅力をもつ座敷舞を特集する公演について、舞を中心に研究している桜美林大学教授の岡田万里子さんと、振付家・ダンサーの鈴木ユキオさんによる対談の後編(前編はこちら)。日本舞踊にとどまらず、日本に息づく舞踊の在り方、舞踊文化への親しみ方、普及についてなど、お二人それぞれの視点から、活発な議論が展開されました。(前編はこちら)。

踊りへのアプローチ~大人と子供

岡田(以下、岡):大人になってからのお稽古って、頭から入るから難しいんです。例えば、鏡稽古(鏡のように、師匠が左右反対に舞って弟子が見たまま動く稽古)も、大人だと厳しいと感じました。私は取り分けできなくて、本当に呆れられました。「お師匠さんが右手を上げている」って思うと、自分の右手上げちゃう(笑)。
 多分子供だと素直に、反対に動ける。子供じゃなくても、素直な人は真似できると思いますが、私みたいに不器用だと難しい。「どうしてできないの?」って言われても、私自身がどうしてできないのか、分からない(笑)。鈴木さんもいかがですか? ワークショップなさって。

鈴木(以下、鈴):僕自身も、大人になってから踊りを始めたので、振り付けというより、イメージで踊る方です。やっぱりダンスを小さい頃から習っている人たちは、どちら側でもいける。みんなが鏡を向いている状態で、先生が鏡越しに踊っても覚えるのが速い。逆に先生が振り向いて踊っても覚えられる。でも僕は、どっちも難しい。その時はできても、覚えられない。覚えられる人たちっていうのは、やはり小さい頃から踊りが体に入っていて、新しい振りでも入るのが速い。小さい頃、多少やっていると、全然違うと思います。

岡:私もよく、「3回見れば覚えられるでしょう」って言われましたが、無理に決まっています(笑)。お稽古も日にちが空いちゃうと、頭が白紙になって、すっかり忘れて、また怒られて。ですから私はお稽古の帰り、必死になってメモを書いていました。下手な図入りで。でもそれを後で見返しても、どうやって動いたかよく分からない…。

鈴:ダンスの稽古では最近、みんなスマートフォンで普通に動画を撮りますね。僕が若かった頃は、そんなにスマホも普及してなかったですし、撮っちゃいけない空気感がありました。でも今の子たちは稽古の最中、普通に「撮っていいですか」っていう感じ。それをダメとも言えない

岡:戦後、オープンリールの録音機器ができたとき、いろいろなお稽古場でお師匠さんに内緒で持ち込んでこっそり録音したと聞きます。録音録画機材の進化でお稽古の様子も変わりますね。しかし、やっぱり小さい頃からやっている方は、体の動かし方に長けていらっしゃる。

舞の観客育成のために

岡:座敷舞を舞台で上演する企画は、国立劇場が始めて、この座敷舞の舞台セットも国立劇場発祥だそうです。どういう風に始まったのか、考えると面白いですね。観客としてはもう少し、番数を増やしてほしいです。


舞の会」における座敷風の舞台

鈴:本来、舞はお座敷でしか見られなかったものですよね。

岡:私も、お座敷で舞を拝見したことは数少ないです。井上八千代先生が、お若い頃から京都の本拠地(片山家能楽・京舞保存財団)で、ご自身の会「澪の会」を定期的になさっていて、客席と舞台に高低差のない舞を拝見しました。本当に1メートル先の距離で、裾さばきなど拝見できので、観る方も集中できます。ぜひ京都にいらしたらご覧頂きたいです。

鈴:僕でも、いきなり行って見られるんでしょうか。

岡:今はコロナの感染拡大で中止しているようですが、以前は4月、7月、9月、12月の7日に催されていて、桜や紅葉の混む季節でなければ、フラリと入れることもありました。予約できないので当日並んで、先着70人くらい。午前中から並ぶ方もいらしたんですよ。
 それは観客育成にも繋がったと思います。以前は、吉村流四世家元の吉村雄輝さんが「上方舞研究会」っていう催しを国立劇場大劇場で続けていて、新聞に3階席無料開放の告知を出されて、往復はがきで申し込むと入れていただけました。この「舞の会」も学割の入場料4200円でも、若い人には高価ですよね。
 八千代先生の「澪の会」は、観客にとっても本当に得がたい機会になったと思います。私も舞のお稽古を始めてからお手伝いする側になり、たくさんの舞を拝見し、またベテランのお弟子さんの解説を伺いました。舞を次代に繋げるには、そうやって地道にお客さんを育てるしかないと思います。四世がご存命の頃は、「澪の会」の時、廊下にお座りになっていました。ご自宅での会でも、本当に真剣になさっていました。

鈴:贅沢ですね。

岡:だからこそ東京公演まで駆けつけるような(京舞の)ファンが、継続して育っていたと思います。

日本舞踊と出合うには

鈴:出演者の経歴をみると、子供の頃にバレエを習っていた方が結構いて、それも印象的でした。立ち姿も美しい。西洋と日本の踊りを両方習って、また戻ったりすると、いい方向に行くのかと思ったりしました。

岡:今、子供の習い事は日本舞踊より、バレエですね。

鈴:そうですね。あとはダンス、ヒップホップですね。きっかけがないと最初に日本舞踊には、いかないかもしれません。
 僕も舞踏から始めて、ダンスを見るようになりましたが、やはり自分に近いジャンルに限られる。違うジャンルに出合う機会、きっかけがあるのはすごくいいですよね。今回の対談も、僕みたいな全然違うジャンルの人間が入る事で、ダンス側のお客さんが少しでも興味を持って、足を運んでもらえたらいいと思います。自分自身、これをきっかけに日本舞踊に興味を持ちたいと思いました。
 岡田先生が教えられている桜美林大学は、演劇もダンスもすごく盛んですよね。スタッフ側を含め総合的にアートに触れる人たちが育つ学校だと思うので、学生が舞など日本舞踊を観る機会を、もっと増やしていけたらいいと思いました。ちょっとした所作や、間の取り方など勉強になることはいっぱいある。
 (アーティストとして)長くやっていく上で、「日本って何だろう」って自分のアイデンティティに向き合う時期って、絶対来ると思うんです。若い時は「海外に」って意識もあるし、今の時流に乗らなければならないこともある。でもいずれ振り返る時期が来るので、観た直後は影響がなくても、「あの時に(日本舞踊を)観ていたな」とどこか沁み込む部分はあると思います 。

岡:桜美林大学には芸術文化学群のダンス専修があるので、元々ダンスに関心のある人は引っ張れるかもしれないですね。これまで踊ったことのない人が体を動かすのは、ハードルが高いと思いますが、その一線を越えていれば、もしかしたら日本舞踊まではあと少しかもしれません(笑)。

鈴:演劇も同じですが、体で表現する人にとって刺激になることが詰まっている。ただ、(出合う)タイミングってありますよね。年を取って気づくこともあるし、若い時にはまる人もいる。でも、何らかの形で身近に知っていれば、きっかけが訪れたとき、もっと広がると思うんです。もっと自然にふれ合えるシステムができていればいいですね。

岡:なかなか日本では劇場文化、根付いていないですよね。

鈴:フラッと知らないものを観に行く感覚が、難しい。チケットもいい値段するので、仕方ない部分もある。劇場で何かやっているから、知らないけれど観るとか、昔のものを観ようとか、そういう機運が生まれるといいなと思います。

多様な日本の踊り


鈴木ユキオ

鈴:僕自身が日本舞踊を体験したのは、10年近く前です。日本舞踊や三味線を習っていたミュージシャンとのコラボレーションで、演劇的作品をやりました。日本的な要素を使いたいということで、僕も稽古に付いて行った。習ったとは言えない程度ですが、声を出し、所作を一緒にやらせてもらった。あと文化交流で、海外のダンサー2人と日本のダンサー2人で、色々経験するプログラムに参加し、沖縄空手や琉球舞踊を習う機会もありました。
 最近は、自分の中で日本の伝統的なものを知りたい気運が高まっていて、アイヌの踊りを観に北海道まで行ってきました。神楽や伝統的舞踊が盛んな盛岡にも何度か行って、お話を聞いた。ですから今回、「座敷舞を観ませんか?」ってお話し頂き、本当にありがたかったです。
 30代の頃、(日本舞踊を)観に行った時期もあったんですが、申し訳ないですけれど、結構寝ることが多かった(笑)。その時は多分、知りたいっていう欲求はあるけれども、体は欲してなかったというか、分からないというか。でも「知っとかなきゃ」っていう気持ちはずっとあって、今回、すごく素直にずっと観られた。受け容れるタイミングもあって、すごくいい機会をいただいたと思います。

岡:新しい要素を学ばれると、それをご自分の創作にも生かしていらっしゃるんですか?

鈴:具体的に「何々を生かす」っていう形で、やったことはないですね。でもやっぱり習うこと、見ることで、創作の根幹的な部分に影響してくると思う。
 あと身体的に、20代、30代は短距離走に近い体の使い方で、エネルギーもあるし体も動く。でも40代を過ぎると必然的に長距離走になって、長く踊る体の使い方を考え、故障したら治りが悪くなる問題も出てくる。自分自身の気持ちも、「静」や「抑制」の面白さが分かってくる時期と、肉体の萎えとが相まって、興味が湧く部分がある気がします。
 日本の踊りの「抑制」や「間」って多分、日本で暮らしていると皆、自然に持っている。そこに注目して、自分の踊り方を深化できる気はしていて、それも興味を持って観られるようになった理由の一つかもしれないですね。
 今までは日本の踊りを、知らな過ぎた。身近なお祭りやお囃子などで接する人もいますが、僕は生まれ育った地域が特別な場所ではなく、お祭りをわざわざ見に行く感覚はなかったのですが、やっと今、自分が住んでいる日本の踊りを見たい、と思えるようになった。ですから今回の「舞の会」も、いいタイミングで見ることができたし、岡田先生のお話しが聞けていいスタートができたなと思っています。
 僕は舞踏出身ですけども、コンテンポラリーダンスっていう枠組みで踊る機会が多く、舞踏でもなくなっている。どこにも所属しないからこそ、見たことのないものを提供できたと思います。ただ長く踊っていく上では、自分のやり方を体系化し、人に伝えていかなければいけなくなる。
 1人で踊る分には良かったですが、ダンサーに(振りを)伝える段階で、「自分はなぜ、こう動いてしまうのか」と研究することで、自分を理解できる。それを繰り返すうち、自分の踊りも、体系化できると思いました。そして、それがいつか伝統になっていく。僕の踊りは絶えるかもしれないですが、残っている踊りは自然発生したものが、ショーになり、それが体系化され、口伝や記録で伝わっていったものだと思います。それがやっと分かってきました。
 だから、伝統として成り立っているものに対する興味が、沸いてきたのかな。地方の踊りでも、盛んな所はちゃんと伝わっていますが、若い人がいなくて困っている所も多い。先日も盛岡で、おじいちゃんたちがビデオなどで、踊りを伝承する方法を模索していました。

岡:特に後継者不足、伝承問題は深刻です。日本舞踊も大正時代ぐらいまでの資料をみると、今のコンテンポラリーダンスと同じか分かりませんが、みんな色々な工夫をされ、新しいレパートリーを作っています。新興芸能としてのエネルギーを感じます。

鈴:北海道に新しくできた「ウポポイ」(北海道白老郡白老町にオープンしたアイヌ文化復興・創造の拠点)には、舞台も資料館もあって、スタイリッシュなんです。アイヌの若いダンサーたちが踊るんですが、衣装も新調されていて、映像や照明も素晴らしい。フォーメーション(ダンサー全体の配置や動き)も今風で、格好いい。「こういう見せ方があるのか」とすごく感じた。
 そういう取組も、すごく大事だなあと思って。アイヌのダンスって格好いいって、何の知識がなくても思える。それが彼らにフィードバックされ、「格好いい、すごいね。あれを踊れるんだ、歌えるんだ」って言われ、尊敬されるわけですよ。
 伝統的な芸能も、もう1回、脚光を浴びるきっかけがあるはず。見せ方一つで印象が変わる。ウポポイでは、アイヌが屋外で、裸足で踊る昔の映像も見られて、現代的なショーと同時に見られる。彼らの話を直接聞ける小屋もあって、厳しい歴史も分かる。それでもショーでは普通に格好いいって思えるっていうのは、すごく重要な気がしています。
 日本舞踊も、脚光を浴びる方法って、実はあるかもしれない。もちろん賛否あると思いますが、やはり今の人に響く方法を、思い切ってやるのも一案ではないかという気がします。古典はなかなか出合うきっかけがないですが、特に若い人が出合って「格好いい、すごいな」って思えたら、同世代の共感を得やすい。そういう連鎖が起きれば、面白い人たちが出てくるのではないか、と思いましたね。

岡:若い人のために、入場料をもうちょっと、安くしないといけませんね。日本舞踊協会も頑張っていて、映像配信でおしゃれな作品を作っていて、学生には人気がありました。きっかけとしては、思い切ってこれまでと違う方向性でもいいような気がします。


岡田万里子

舞を次代に繋ぐ

岡:伝承の課題は一言では言いきれないです。観客も育っていないし、日本舞踊を対象とした批評も宣伝も廃れていて、「こういう公演があった」という事だけでも、世間に知られるようにしないと。観客もいない大変困った状況で、どこから手を付ければいいのか、分からない。過去の対談も全部拝見しましたが、同じ事を指摘していますよね。ダンスは盛り上がっているのに、日本舞踊だけ、取り残されている感じがある。

鈴:ダンスについて言えば、やっぱりテレビで振付をするようになったのは、すごく影響が大きかったと思います。ここ何年かで観客層が広がった。認知度が上がった分、教育現場や地方での仕事、ワークショップも増えています。振付家によって全く違うことも多い分、「こうでなければいけない」っていうのはない。
 音楽に合わせて踊るダンスは、リズム感がよく、体が動ける子かどうかで上手下手が出てきてしまうことが多いです。でもコンテンポラリーダンスの場合、「その人(自身)の体を生かして、何ができるか」っていうダンスなので、「音に合わせなくてもいいし、型にはまらなくても大丈夫だよ」って導き方もできやすい。そういう意味で、教育現場で認知が広がっていると思います。
 僕も子供が対象のワークショップの時は遊びを多くし、大人は頭で理解してもらう。大人って、分かってやった方が楽しい。子供は分からなくても一緒に真似してくれますが、大人は、何でそうなるのか分からないと、「何をやっているんだろう、私」ってなっちゃう(笑)。どうやって、この右手を出させるか。「どんなイメージを持って動くか」「それがどんな動きになって、どんな身体表現になるのか」ときちんと説明すると、みんな楽しめる気がします。そこから体系化も進む。自分の動ける範囲で夢中になれるんです。
 僕は車いすダンサーへの振付もしていますが、足が動かなければ、這っていく姿もちょっとした発想を加える事で、美しく見せられます。でも本人は、何が美しいか分かっていない。車椅子だったら、ブレイクダンスみたいにすごく格好良く回れる。「立てない足で、何とか歩いてみて」って言って、動けない足を自分の手で動かすダンスを作ったりします。
 それをお客さんに見せると、車椅子ダンサーの旦那さんも友人も皆、「美しかった」って口を揃えた。それを本人は、気づいていなかった。そうした声が車椅子ダンサーにフィードバックされると、「こういう表現でいいんだ」って自信に繋がる。そういう体験をしてもらうと、やっていて嬉しいですよね。

国立劇場への期待

岡:かつては「京阪の歌舞伎舞踊」のような、座敷舞以外の作品も見てもらえる企画公演があったと思います。座敷舞については、郡司正勝先生(早稲田大学名誉教授、1913~98年)をはじめとする専門家の講座があって、同じ「芦刈」でも流派の違うものを並べて舞う企画がありました。お金もかかりますが、そういう企画は国立劇場にしかできない。令和5(2023)年以降の建て替え期間中は、例えば東京・国立能楽堂で代替してほしいです。空白期間に、地方に巡業に行くなどできないでしょうか。公演回数を増やさないと、廃れてしまいます。


国立劇場第21回舞踊公演(昭和48年)「京阪の歌舞伎舞踊」チラシ


国立劇場第34回舞踊公演(昭和53年)「京阪の歌舞伎舞踊」チラシ

岡:個々の舞踊家が、自宅で近隣の人を呼んで舞う会をするだけでも、違ってきます。アメリカに住むと、地方の大学街にも劇場がいくつかあって、そこで新しい戯曲の紹介をする公演が催され結構、近隣の普通の人たちが集まる文化が育っています。
 日本では、劇場文化が特別になりすぎています。ですから日本各地に劇場があって、いろいろな芸術に接する文化が根付けばいいと思います。今、みなさん色々な面で余裕がなくなっていて、私なんかは時間的余裕がなくて、劇場に行く時間がありません。

鈴:ワークショップも、ダンスや踊りを知ってもらうきっかけになります。「先生、こんな踊りやっているんだ」だけでもいい。何となく分かった気になるって大きいですよね。ワークショップで体験する楽しさもあると思います。
 僕はまだ日本舞踊がよく分からないですが、この「舞の会」のような色々な作品がみられる公演の形は、一つの取っ掛かりとしていいと思います。解説があると、よりいい。ちょっとした裏話、やっぱり知らないことを少しでも聞けると、すごく身近に感じられ、それが第一歩として重要だと思います。
 触れる機会を増やすって大事で、それはコンテンポラリーダンスも同じ。やはりテレビって影響力が大きくて、映像をきっかけに観に来る人もいるけれど、本当の意味で裾野が広がっているかは分かりません。「売れる」と、どうしても注目されるのは表面的な部分だったりします。
 あとは化学変化の大切さ。今回の対談もそうですし、違う分野の人たちが気軽に覗きに来られる雰囲気、企画ですね。この対談も、僕が入ることで、これまでとは違う人が記事を見る機会は増えると思うし、こうしたちょっとしたことの積み重ねが大事だと思います。いつの時代でも、地味だけれども価値のあるものが好きな人はいる。
 僕は「慈」しむ「味」だと変換しています。地味(慈味)でいい。ウケ狙いで、明るくする必要はない。ちゃんとやり続ける人たちが継続して、少しでも広げる努力をしていれば、いつの間にか繋がっていくのではないか。それを希望として、自分はやっています。大変だけれど(笑)

創作への向き合い方

岡:鈴木さんが新しく作品を創られる時って、「こういうテーマで作りたいな」っていうのが、ずっと頭の中にあるのですか。

鈴:僕の場合、創作と体の探求がリンクしていることが多いので、「今、こういう体を作りたい」っていうことが大きいです。時々、本から影響を受けることもあって、体のやりたいことと、その時のテーマが合致した時、新作ができる。若い頃はそれが沢山あって、「これもあれもやりたい」と真逆の事がひらめいたりしました。
 今思えば、それをやりきってからが勝負で、創作だと思います。作品が沢山生まれてくるうちは、まだまだストックが人生の中に色々ある。全部出し切って、「やることない」って所から新しいもの、「こうしたい」とひらめくのが大事だと思っています。
 常に「あれもこれもやりたい」は、もうない。でも継続していると、何か探求したいものが掴め、ひらめく時がある。それで新作ができる時は、スリルがあって創っていてワクワクします。

岡:(創作で)「やりたい」っていう思いは当たり前だと思いますが、古典芸能だと舞い手も、「なぜここで、この舞を舞っているのか」という気持ちを持つことは、難しいと思います。自分たちが創った作品でないことが大半ですし。またナイーブな意見かもしれないですが、「なぜこの舞を、令和3年11月(の国立劇場公演)にやらなければならないか」という意識は、古典作品を拝見していてちょっと足りないと思います。新作も「なぜ今、この作品を(創作したか)」っていう動機が曖昧な気がします。新作をやらなければならない会だから、創作したという感じがします。 100年に一度のこういう(コロナ禍の)状況下で、何をやるべきかを、演者の方々が考えていらっしゃるのか。考えたからって何が変わるか分からないし、古典の中でそういう意識を持つ事が難しいのも分かるけれども、そこは考えないと、私達も受け取れません。 そういうことを、(同時代性を反映した)コンテンポラリーダンスの舞台を拝見して思いました。ダンサーが、踊りで「この作品を今、この世に問う意義」っていうものを考えていらっしゃるのに、日本舞踊の場合だとどこか「国立劇場に頼まれたから」って感じで、その辺をもう少し、日本舞踊全体が考えなければいけないと思いました。

鈴:日本舞踊が、現代との接点を模索する企画はあっていいと思います。面白い現代の振付家が、日本舞踊とコラボレーションする企画は、興味が沸きます。お客さんは現代人だから。現代の感覚を持った振付家が入って、新たな思考が入るだけでも、刺激になるはず。何をやっても「あんなことしやがって」って賛否は絶対ある。起きない方がおかしい。でもそこを挑戦すれば多分、もっと多くのお客さんが、注目する。
 現代の振付家やダンサーが、「あそこ(日本舞踊)に可能性あるかも」と思ったら、そこから才能が入ってくる可能性も生まれると思う。それで良い効果が生まれて、コンテンポラリーダンサーだけど、日本舞踊も踊れる人が、若い子に出るかもしれない。そうなれば、その子たちが面白いことをするはず。そのきっかけを仕掛けると、いい気がします。
 もし僕が日本舞踊で新作を創るとしたら、抽象的な作品になると思います。今回の公演を拝見して、着物って不自由だと思っていましたが、すごくアクティブに自由に動けると分かった。思っていたより、可能性はすごくある気がしました。

岡:やっぱり新作がないと、古典も生きてこないと思う。岩波セミナーブックスの「日本古典芸能と現代 邦楽・邦舞」という戦後50年を記念したシンポジウムをまとめた本があって、戦後の新作リストが載っています。すると古典作品だけでなく、時代を反映し、当時の人たちが本当に見たかっただろう作品を日本舞踊化しているんです。かつては日本舞踊家が多かったので、そういう人たちが社会からの要請を作品に投影していた。こういうのは本当に幸せな新作だっただろうと思います。
 今の、私達の感覚と日本舞踊が乖離している状況は、何とかしなければいけない。毎年、新作を創るのもいいですが、国立劇場建て替えによる6年間の空白期間があるなら、その6年間を創作準備にあてて、詩を書く人、作曲する人、振付する人で、定期的にミーティングをして、何をやるか時間をかけて考える事も必要だと思います。「今、どんどん時間が早く過ぎてしまって、地唄舞のゆっくりした時間に合わない」と井上八千代先生が20年前からおっしゃっていますが、それにどんどん拍車がかかっています。そういう時代にあって、新作を創るなら、やはり時間をかけじっくり取り組む必要があると思います。

編集:飯塚友子(産経新聞記者)


※写真撮影時のみマスクを外しました。

プロフィール

岡田万里子(桜美林大学教授)
東京都出身。1991年早稲田大学第二文学部卒業。1999年早稲田大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学。2011年早稲田大学にて博士(文学)取得。早稲田大学演劇博物館助手、立命館大学アートリサーチセンター研究員、パリ第4大学ソルボンヌ校極東研究センター招聘研究員、ミシガン大学日本研究センタートヨタ招聘教授などを経て現職。京舞井上流をはじめ、近世・近代の京阪の日本舞踊を中心とした芸能史を研究している。主著に『京舞井上流の誕生』(2013年、思文閣出版、サントリー学芸賞受賞)。
鈴木ユキオ(振付家・ダンサー)
静岡県出身。1997年アスベスト館に入館し、舞踏の研鑽を積む。後、舞踏家・室伏鴻のカンパニーKo&Edge Co.に参加し、国内外で幅広く活動。舞踏にとどまらず多彩な視点から身体を見つめ、繊細かつ強靭なダンスによる作品を生み出している。他ジャンルのアーティストとのコラボレーションにも取り組むほか、ワークショップ等を通じてダンスの普及にも力を注いでいる。2008年、トヨタコレオグラフィーアワード「次代を担う振付家賞(グランプリ)」受賞。