日本芸術文化振興会トップページ  > 国立劇場  > 藤間蘭黄(日本舞踊家) & 町田樹(國學院大學人間開発学部助教)【前編】

国立劇場

国立劇場第165回 舞踊公演 「素踊りの世界-日本舞踊の技法を知る-」(3月13日) 特別対談【前編】
藤間蘭黄(日本舞踊家) & 町田樹(國學院大學人間開発学部助教)

シェアする
  • Facebookでシェアする
  • Twitterでシェアする

衣裳や鬘を付けず、紋付きなどの衣裳だけで踊る「素踊り」。シンプルだからこそ、舞踊家の技量により観客の想像力を大いに刺激する、究極の日本舞踊の上演形態とも言える。国立劇場では1970年以降、素踊りを特集する公演を続けてきたが、今回の「素踊りの世界-日本舞踊の技法を知る-」から新たに解説を付け、幅広い観客に開かれた公演になった。当日、解説・出演した日本舞踊家の藤間蘭黄さんと、フィギュアスケート選手から舞踊やスポーツ科学の研究者に転じた國學院大學助教の町田樹さんが、公演を振り返った。(以下、敬称略)



「これぞ変幻自在」

〈公演の冒頭、藤間蘭黄と藤間蘭翔が30分かけ、「振りと描写 概説~動きと描写」で丁寧に解説。扇や手ぬぐいを使い、風や波、酒宴などの情景を表現する「見立て」を中心に、踊りの技法を次々と実演していく。観客は想像力を駆使する「素踊り」の魅力に触れ、上演予定の3演目についても鑑賞の手引きがなされた。〉


解説(左より藤間蘭翔、藤間蘭黄)


扇を徳利に見立てた、お酒を飲む振りの実演

町田(以下、町):私は今、31歳ですが、恥ずかしながらこの30年間、日本舞踊も歌舞伎も拝見した事がありませんでした。ですから今回の公演で初めて日本舞踊、それも素踊りの世界を拝見する機会に巡り合うことができました。劇場に行く前は、自分のような素人に分かるのか、踊りの醍醐味や味わい深さが享受できるのか、と実は不安でした。
 ところが全くの杞憂に終わりました。最初に蘭黄さんの素晴らしい解説があり、日本舞踊の所作や「見立て」について、実演を交え丁寧に見せ、その後の鑑賞を助けて下さった。120%楽しませて頂きました(笑)。とにかく所作一つ一つの美しさ、型や身体のライン、プロポーションなどで完成された黄金比を感じさせ、美しくて見惚れました。型から型への流れも、とても滑らかで優美です。現在、私は日々バレエを踊っていますが、この点はバレエと共通していると思いました。バレエもポジション一つ一つに型があり、ポジションだけをいくら綺麗に決めても駄目で、次の動作にどう流れるかが非常に大事です。
 そして、日本舞踊の醍醐味の一つである見立ての醍醐味には、驚きの連続でした。「変幻自在とは正にこのことか」とまざまざと見せつけられました。蘭黄さんが解説で、「見る者の想像力も大事」とおっしゃいましたけれども、所作、身振り手振りで何にでも変化し、扇を徳利やたばこに見立てて、見る者の脳裏に絵を描く。蘭黄さんの身体の画力の凄まじさに、鳥肌が立ちました。
 「幽玄」という言葉は、日本文化を語る上で欠かせない価値や理念の一つだと思います。私はもちろん言葉としては知っていましたが、これまでの人生で幽玄を真に感じる瞬間を味わったことはありませんでした。でも今回、この「素踊りの世界」を国立劇場という空間で鑑賞し、「これが幽玄というものか」と合点がいきました。なぜ30年間、私は日本舞踊を見てこなかったのか、と後悔した程です。素晴らしい機会を頂き、ありがとうございました。

蘭黄(以下、蘭):私は物心ついた頃から日本舞踊の世界におりますから、素踊りや衣裳をつける演目なども当たり前で、何の疑問も持ちませんでした。ところがある年齢に達した時、周りにきちんと説明をしなければ世の中から置いていかれてしまう、という危機感を抱いたんです。それが解説を始めたきっかけです。

〈最初の演目は、蘭黄による東明流『都鳥』。蘭黄の祖母で人間国宝だった、藤間藤子(1907~98年)の振付。古くから隅田川の景物とされてきた都鳥(ユリカモメ)と、周辺の賑わいを描く作品だ〉


『都鳥』(藤間蘭黄)

蘭:祖母の振付(1967年発表)で、古典となりつつあります。うちの稽古場は隅田川沿いにあり、裏が隅田川。ですから「幾世か ここに住み慣れし」という歌詞に、祖母はすごく共感していて、そんなところからあの振付は生まれました。
 私が非常に面白いと思うのは、最初のお三味線だけの音楽。「前弾き」といいますが、30秒くらいの前奏部分の曲の変化が、いかにも(洋楽の影響を受けた)〝明治大正〟なんです。古典的な音から始まって、ちょっと哀愁を帯びたメロディーがあるかと思うと、カラっとした江戸の音が出る。そこだけでも素晴らしい、と思っていつも踊らせて頂いています。

町:屋形船や吉原の情景描写などが続き、最後に「そういう江戸の時代があった」という、懐古の眼差しで終わっていく。それが古典になりつつある、近代作品のテイストなのだというのは、すごく感じました。

蘭:作られたのは昭和ですから、そういうテイストですね。


『都鳥』(藤間蘭黄)

町:江戸の隅田川の様子、変化の味わい、所作の美しさ・・・。それらを十分堪能し、また江戸の街並みをビジュアル化する、蘭黄さんの身体の画力を感じました。そして結末で、近代作品と感じさせる。「江戸への哀愁」ということを蘭黄さん、解説でもおっしゃっていましたが、正にそのような趣を感じました。

蘭:町田さんは、やはり普段から踊られて、振付もされているから、そこまで汲み取って頂いて・・・。本当にありがたいです。

〈続いて『吾妻八景』を藤蔭流三世家元の藤蔭静枝が披露。日本橋や上野など、江戸の名所の四季の情景を綴った長唄の代表曲〉

蘭:静枝先生の衣裳と鬘は、現代の女流舞踊家が素踊りで踊る時の、一つのスタイルですね。「前割れ」という鬘ですが江戸時代、歌舞伎の女形が鬘を被る前、自分の髪をコンパクトにまとめるために結った形を、デフォルメしたものです。明治時代、日本舞踊が確立し、女流舞踊家が舞台に出る時、あの鬘が考案され、今に伝わっています。
 静枝先生が素晴らしいのは、男性から女性への変わり目。微妙かつ自然に、パッと分かる。その伝わり方に、もの凄い力があったと思いました。



『吾妻八景』(藤蔭静枝)

町:微妙な変化の仕様ですよね。私は、舞台脇に表示される歌詞の字幕を見ながら拝見しました。もう少し日本文学、江戸の生活様式や文化的背景の素養があれば、もっと楽しめるのに・・・とこの機会に日本文化、文学を勉強し、より一層日本舞踊を楽しめるようになりたい、と思わせてくれました。

蘭:歌詞は私も、知っている曲だと聞こえてきますが、初めて聞く曲は辿れません。歌い方も変遷しています。次に上演された『柏の若葉』は清元ですが、最初はもっと浄瑠璃に近く、言葉がもっと聞こえていたはずです。それが段々メロディーラインを強調するようになって、「あ~ああ~、う~うう~」と節を伸ばすようになる。一種の洗練ですが、一方で言葉が分かりづらくなる、という部分もあるかと思います。
 『吾妻八景』について町田さん「文学的」とおっしゃいましたが、これは正にそうです。日本の古典文学を佃煮にしたような歌詞です(笑)。平安時代まで辿るような故事来歴が散りばめられている。これが江戸時代の洒落です。「もどき」ともいいますが、本歌取りのように昔、詠まれた歌を時代に合わせ解釈し、絡めて作っています。
 振付も、平安まで辿った振りもあれば、字面だけ読んだ振りもある。その変幻自在の面白みがあって、これはもうマニアの極み、みたいな世界(笑)。私は古典を自分で踊ったり、お稽古を付けている時、いまだに「なるほど、だからこんな振りが付いているのか」という発見が、一杯あります。知れば知るほど面白い。

〈最後は清元『柏の若葉』を、尾上流三代目家元だった尾上墨雪が踊った。五世清元延寿太夫の家元襲名のために作曲され、清元の繁栄を願い、隅田川の船遊びの情景などを盛り込んだご祝儀ものだ〉


『柏の若葉』(尾上墨雪)

蘭:『柏の若葉』は、『吾妻八景』とは打って変わって、男性のカッチリした踊りの中に柔らかさがある。おめでたい曲で、色々な風景も表現される中で、墨雪先生の硬軟自在の踊りを感じました。

町:男性舞踊家としての威厳、凛とした佇まいを堪能しました。もちろん先行の2作品でも感じましたけれども。


『柏の若葉』(尾上墨雪)

蘭:今回の3演目、本当に三者三様で、素踊りのバリエーションをご覧いただけたのかな、と思います。

町:本当に貴重な機会を頂きました。今までの国立劇場の素踊りの公演は、舞踊家の踊りだけだったそうですが、今回のような解説付きの催しは、初の試みだと聞いて驚きました。こうした公演を是非、今後も展開してほしいです。私自身、これをきっかけに、日本舞踊の奥深き世界をさらに知りたいと好奇心をくすぐられました。
 実はこの対談に向け、日本舞踊の書籍を何冊か拝見しましたが、正直に申し上げて、この公演以上に鑑賞者教育の役割を果たすものはなかったです。だからこそ、この次に何を観たらいいのか、ここからどう進めば日本舞踊の世界を味わえるのか、私自身、学びながらこれからも日本舞踊の醍醐味を味わっていきたいと思いました。

蘭:ご興味を持ってくださったのならぜひYouTubeの蘭黄チャンネル(外部サイトへのリンクです)、ご覧ください。もう100本くらい上げたかな。「OKEIKO」と称した、1分くらいの動画です。日本舞踊のいろは、お扇子の使い方などを、ご紹介しています。コロナ禍の自粛期間中にやることがなかったので、これを作っていました。お稽古場にスマートフォンを据え、踊って、その動画をパソコンで編集して、全部一人で手作り(笑)。

町:ぜひとも拝見します。あと今回の舞台を拝見し、日本舞踊をやってみたいという衝動にもかられました。これは私だけでなく、ほかの観客のみなさんもそうではないかと思います。見て面白ければ、やってみたくなる。蘭黄さんと国立劇場のスタッフのみなさんで、もっともっと発信して頂けたら、波及する確信があります。
 立った時の身体の佇まいは、何とも言えない。幽玄と言うのでしょうけれども、圧巻でした。自分も身に付けたい、あるいは経験したいと思う方々は沢山いると思います。

解説の原点は海外公演

蘭:こうした解説付き公演の原点は、海外公演や外国人との交流にあります。わが家は日本舞踊の家で、私で四代目です。祖母の藤子の時代から、外国人ダンサーが来日され日本舞踊を学びたいというと、わが家で受け入れたケースが多かった。私が小学生時代に、モダンダンスのエレノア・キングさん(1906~91年)もいらっしゃいました。母(藤間蘭景=1929~2015年)も若い頃から、日本舞踊協会の海外公演に参加し、私も付いていきました。
 海外でも最初は、踊りそのものだけをお見せしていました。しかしそれだけでは、本当の面白さをご理解頂けない。母は私の子供時分、約50年前、ニューヨークに半年ほど滞在したことがあり、そこでリサイタルを催しました。ニューヨークタイムズが取り上げてくれましたが、「手振り身振り、指先が綺麗なのは分かった。しかし、何をやっているか全然分からない」という批評でした。それを母が読み、解説が必要と悟った。それからは最初に解説を付け、細かく振りの説明をして、それを曲に乗せるとこうなる、という流れで日本舞踊をご覧いただいています。

町:今は日本国民でも、残念ながら日本舞踊が異文化になっている現状があります。私も恥ずかしながら今回、初めて拝見しましたから、日本の芸能がこのような公演とともに普及していくことを切に願っています。

蘭:さらに海外で一番衝撃を受けたのは、中近東に行った時です。現地の人が「わが国の歌は~、踊りは~」と自国の文化を説明して下さった後、「日本は日本舞踊ですよね。日本のみなさん、踊れますよね」とおっしゃった。「え」って絶句してしまいました。
 確かに私は踊れますが、日本人がみな踊れるかと言ったら、そうではない。地元の民俗芸能や盆踊りは踊れるかもしれないけれども、〝日本〟という括りでみなが知っている踊りは果たしてあるのか。そう考えた時、「これはまずい」と危機感を抱いたのです。
 日本人に、日本の民族舞踊として、日本舞踊を知って頂かなくてはいけない。かつては小学校のクラスでも、何人かは踊りを習っていて、おさらい会に行ったりして、何かしら踊りに触れる機会はありました。それがなくなって久しい。それは、われわれ日本舞踊に携わる人間の責任だと思う。現状に胡坐をかき、外に広げる努力を怠った。個々のお弟子さんを増やす努力はしたけれども、日本舞踊の未来を考え、文化として広げてこなかった。すごく反省しました。

編集:飯塚友子(産経新聞記者)


※写真撮影時のみマスクを外しました。 

※中編はこちら

  

プロフィール

藤間蘭黄(日本舞踊家)
東京都生まれ。江戸時代より続く藤間流勘右衞門派の「代地」の芸系を守る。幼少の頃より祖母・藤間藤子(重要無形文化財保持者=人間国宝)、母・藤間蘭景に師事し、研鑽を積む。1978年、藤間蘭黄の名を許される。『積恋雪関扉』『忍夜恋曲者-将門-』『隅田川』など、古風な味わいを残す代地ならではの古典作品を継承するほか、振付のみならず台本も手掛け、新作も生み出している。とくに「日本舞踊の可能性」を題した公演ではジャンルを越えたダンサーと共演し、話題を呼んでいる。2016年には文化庁文化交流使として10か国14都市で公演やワークショップを行った。紫綬褒章、日本芸術院賞、芸術選奨文部科学大臣賞等受賞多数。
町田樹(國學院大學人間開発学部助教)
神奈川県生まれ。フィギュアスケート競技者として活躍し、2014年ソチ五輪個人戦と団体戦共に5位入賞、同年世界選手権大会で準優勝を収めた。同年12月に競技者引退後は、早稲田大学大学院において研究に励むかたわら、プロフェッショナルスケーターとしても自らが振り付けた作品をアイスショーなどで発表。2018年10月にプロを完全引退し、現在は大学で教鞭を執りながらフィギュアスケートの普及にも力を注いでいる。博士(スポーツ科学/早稲田大学)。主著に『アーティスティックスポーツ研究序説:フィギュアスケートを基軸とした創造と享受の文化論』(白水社、2020年)。作品映像集に『氷上の舞踊芸術:町田樹振付自演フィギュアスケート作品Prince Ice World映像集2013-2018』(新書館、2021年)。