舞踊を語る

国立劇場第162回 舞踊公演 「舞の会-京阪の座敷舞-」(8月31日) 特別対談【前編】
山村友五郎(山村流六世宗家)& 武藤大祐(群馬県立女子大学准教授)

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京阪の花街を中心に、独特の発達を遂げた「座敷舞」。座敷という空間で洗練され続けた舞は、曲の情感や季節感を繊細な動きや目線で表現する。東京では今も見る機会が限られるが、国立劇場は開場翌年の昭和42年から毎年、「舞の会」を開催。上方の舞の最前線に接する貴重な機会として、舞踊ファンに定着している。本公演を、山村流六世宗家として出演した山村友五郎さんと、アジアのダンス全般に詳しく20年近く同公演を見続けている武藤大祐・群馬県立女子大学准教授が、それぞれ表現者と鑑賞者の立場で向き合った。(文中敬称略)


左より武藤大祐さん、山村友五郎さん

東京で上方舞に接する貴重な公演

武藤(以下、武):調べてみたら「舞の会」、僕は少なくとも2001年から見続けています。当時はコンテンポラリー・ダンスをよく見ていて、日本舞踊は手探りだったのですが、「素踊りが面白い」と気づいた。生身の体だけで踊るのがすごくいい、と思うようになったのが日本舞踊の入り口です。
 そこから段々座敷舞に惹かれるようになり、国立劇場で「舞の会 京阪の座敷舞」という公演があると毎回必ず見るようになりました。手元に残っている資料は2001 (平成13)年からですが、2000(同12)年も拝見しているかもしれません。友五郎さんが、山村若さんのお名前で出られていた頃からですね。上方舞に接する貴重な機会を、国立劇場がぶれずに続けてきたと思います。

友五郎(以下、友):「舞の会」は、国立劇場の開場翌年からずっと続いていますよね。

武:関西ですと、普通のお客さんが座敷舞を見られる機会は多いのですか。

友:流儀の会や、日本舞踊協会の公演などがあります。

武:東京のお客さんは、「舞の会」を逃すと1年間、見られないんです。僕は「舞の会」を見続けた事で、分からないなりに「これが多分、コツだな」などと独習してきた事が、ほかのいろいろなジャンルの踊りを見る時にも、大変参考になっています。

友:僕らも「舞の会」があるから1年頑張ろう、と思っています。出たくても出られない会でしたから。本番当日は、各流派の楽屋も固定していて、そこで長老と言われる凄い舞踊家さんが並んでいる景色を、子供のころから見てきましたから、「いつかはあそこへ僕も!」って(笑)。1年間頑張って、あの舞台に出して頂くって思いは、今でもありますよ。

  

令和最初の「舞の会」を振り返って

〈本公演は、座敷舞の多様さが楽しめる構成で、格調高い御祝儀物や洒脱な上方唄、男女のしっとりした風情が楽しめる艶物など、幅広い曲がそろった。午後1時開演の部は、友五郎の長男と次男、山村若と侃(かん)が地歌「たにし」を披露。カラスに食べられそうになったタニシが、カラスをほめちぎって難を逃れる様を描いた、「作物(さくもの)」と呼ばれる滑稽な曲。もともとタニシとカラスを1人で舞い分けるが、友五郎が2人で舞える振付にした〉


たにし(山村若・山村侃)

友:振付は比較的新しく(昭和52年初演)、もともとは落語みたいに1人で両方やります。カラスがくるっと回ったら、お扇子置いて次はタニシになって丸まる。結構バタバタします。1人の人間がその場で瞬時に、いろんなものを演じる芸能は、落語と日本舞踊だけですよね。落語でも、左を向いたら誰、右を向いたら誰って、見る側もそう理解している。その特長を大事にすれば、もっと面白いものが色々できるのではないかと思います。
 この曲は2年前、一人立ちでやらせていただいた。その時に、「これ2人でやったら面白いのとちがうかな」って思って一昨年(平成30年)、僕の友五郎としての1回目のリサイタルで倅たちに振り付けて上演してみたんです。みなさんに楽しんでいただけたので、それで今回もと。この曲は、韓国でも受けました。

武:素晴らしい!

友:初め、韓国にタニシがいるのすら分からないからドキドキしました。でも韓国の方もタニシ、煮つけにして食べてはりました(笑)。またロシア行くと、カラスが白かったりして、地域で違う。ですから先々で衣裳も「黒で大丈夫?」って要チェック。

武:韓国はカラス、黒かったですか。

友:黒かった(笑)。「たにし」は全く日本語が分からない方に見て頂いても、伝わる作品だと分かったから、うちの子供達がやっても何とかなるかと思って今回、やらせて頂いたんです。

〈上方舞の中堅・若手舞踊家が活躍した本公演。1時の部はほかに地唄「山姥」(井上安寿子(やすこ))、地唄「江戸土産」(吉村真ゆう)、地唄「閨の扇」(山村楽春(らくしゅん))、上方唄「木津川 露は尾花」(楳茂都梅咲弥(うめもと・うめさくや))、上方唄「御所のお庭 綱は上意」(吉村輝章(きしょう))が上演された〉


山姥(井上安寿子)


江戸土産(吉村真ゆう)


閨の扇(山村楽春)


綱は上意(吉村輝章)

武:僕は、四代目井上八千代の13回忌追善公演(平成28年)も拝見しているんですが、井上かづ子さん、政枝さんが踊られていると眼福でした。一秒一秒、心に焼き付いています。今回、安寿子さんが持っていた鮮やかなオレンジ色の扇子があって、それは政枝さんが持っていた物ではないかと思います。また最近、井上葉子さんがすごく活発に踊られていて、今後が楽しみです。


竹生島(井上葉子)


袖香炉(神崎えん)

武:あと最近、神崎えんさんにも注目しています。僕の見方だと井上流は直線的で、それと比べると神崎えんさんはすごく曲線的で、柔らかさの中に芯があると感じます。吉村流はバネがあって、たわめて力強い感じ。山村流は艶物も重要ですが、個人的には、ひょうきんな楽しい踊りが印象深いです。


木津川(楳茂都梅咲弥)

友:楳茂都に関しては、「木津川」は面白いですね。上方唄のものは、梅咲弥さんもその師匠の梅咲さんも、強みがある。(元々芸妓さんだったため、普通の舞踊家とは)裾の引き方ひとつ、違いますから。生活の中で四六時中裾引いてご飯食べている人と、稽古の時だけ裾引いている人の動きは違います。
 梅咲さん、今も99歳でお元気ですけれど(注:対談後の令和元年10月12日に逝去)数年前、「やっと普通の女の人の歩き方できてん」て僕に言うんですよ。今まで裾のさばき方が玄人だったけれど、「足悪うなって、初めてできるようになった」って。梅咲弥さんはそういう方から習っているので、こういう曲は面白い。
 しかし今回は井上流もうちも顔ぶれが若返りましたね。新たな時代に入ったのだと思います。

〈4時の部では、地唄「竹生島」(井上葉子)、地唄「由縁の月」(楳茂都梅衣華(うめきぬはな))、地唄「葵上」(吉村輝尾(きお))、地唄「袖香炉」(神崎えん)、地唄「鼠の仇討」(山村友五郎)、地唄「老松」(井上八千代)と続いた。友五郎は、千匹以上の鼠が力を合わせ仲間の鼠を食べた大猫に仇討をする様をユーモラスに舞い、客席をおおいに沸かせた〉


由縁の月(楳茂都梅衣華)


葵上(吉村輝尾)


老松(井上八千代)

友:こんなに拍手をして頂けるんだと驚きました。舞の会、いつもは結構、シーンとしているイメージです。「鼠の仇討」は「舞の会」で過去、2回(平成7年、19年)やらせて頂き、今回で3回目。最初の出で、(屏風から)顔を出した途端に拍手が来て、「どうしよう、俺」って。あんな反応は、今までなかった(笑)。


鼠の仇討(山村友五郎)

武:確かにそうかもしれませんね。

友:(客席が沸いて)「やり過ぎてないか、俺?」って不安になりました。舞台でやっている事はこれまでと同じなのですが。東京のお客様は、なかなか(座敷舞が)ご覧になれないので、悪く言うと客席に〝勉強〟のような空気感がすごくあります。

武:僕もそうですよ。

友:いやいや。ところが今回は、今までの2回と全然反応が違っていました。あの歌詞が辛いんです。「(鼠が)千匹以上の力出し」ですからね。

武:そういう(鼠千匹を1人で表現するような)物理的には絶対ありえないことを、お客様も表現として受け取ってしまう。こういう理屈では通らないところが、すごく日本舞踊は面白いですね。表現者の腕の見せ所でもあるし。

友:そうなんです。千匹って言ったらもう、手を広げるしかない(笑)。あとは8の字を(舞台に)描いて「いっぱいいるよ」って表現します。よく「残像残せ」って言われます。

武:分身のように、ですか。

友:はい。あと八百万の神を表現する時も、8の字描きます。

武:残像って、どういう動きをされるんですか。

友:一歩一歩、一足一足を大事に、丁寧に歩く感じです。それをまた祖母(四世宗家・山村若、1905~1991)がやると、そう見える。でも、どうしたらできるかは、教えてくれない。

武:そういうものですか。コツは自分で見つける。

友:そうです。褒められた事は一切、ないです。今も「出来てへんちゃうか」って思いながら踊っています。千匹以上ですから、無理ですよね(笑)。今回は、右に回ったら鼠、左に回ったら猫で、これは振付者(山村栄二郎)がそういう風に作っています。無理に回っている所もあります。人間て、後ろに引いた足で回る方が楽なのですが、無理やり逆に回る振りが入っていて、そうなると体が悲鳴を上げる。約束事と、自然の動きとが喧嘩しちゃう。。

武:面白いですね。

友:「え、そっち回る?」っていう時もありますが、回る方向を考えているうちはダメです。

武:僕は、踊りの中で「止まる」っていう動作がどういうことか、吉村流と井上流の舞で発見しました。吉村流は、止まっている間、次の動きに向けて (力を)溜めている。井上流はピターっと完全に止まってしまいます。それなのに、何の予備動作もなく動きだすんです。たわめたバネのように止まる所作と、潜在的なエネルギーもろとも消して止まる所作とが、日本舞踊の中に洗練された形でそれぞれあって、流派が並ぶと鮮やかに見えてきます。この発見以降、踊りの見方がかなり変わりました。日本舞踊を一生懸命見ると、勉強になります。本当に繊細な世界だと思います。

友:僕らは、(師匠に)教えられたままやっていますので、「凄いね」って言われても分からない。動きに対して、自分で何か考える事はほぼないです。曲の解釈やアプローチの仕方はまた別ですが、例えば「止まる」動きに対して、今おっしゃったような事を考えることはないですから、非常に新鮮です。

日本舞踊の可能性を考える~海外公演

〈友五郎は、同世代の舞踊家と構成する「五耀會(ごようかい)」(ほかのメンバーは西川箕乃助(みのすけ)、花柳寿楽(じゅらく)、花柳基(もとい)、藤間蘭黄(らんこう))でも、流派を超えて意欲的な公演を続けている。5人がインドを訪れ、日本舞踊とインドの伝統舞踊が融合した作品「ラーマーヤナ」を創作。その成果として平成30年7月、国立劇場で「印度の魂 日本の心 真夏の宵の競演」と題する舞台も行った〉

友:(インドの古典舞踊)カタックダンス、難しかったですよ。インドで5人で習ったんですが、リズムの取り方も分からなくて大変。向こうの方々は、指の関節で「タケタケタ…」ってリズム、数えはるんですよ。

武:口三味線みたいですよね。

友:いい経験でした。シタールの音に乗ったりして、凄く面白かった。

武:日本とインドで何か共通点、ありましたか。

友:やっぱりどこかアジアでした。カタックも跳んだりせず、回転や旋回は凄い。

武:それでビタッと止まりますよね。すごい筋肉ですよね。

友:そう。なんで止まるか分からない。しかも裸足でね。 僕らは足袋を履いていてもそんなに回れないし、滑るから止まれないし。

武:あとあまり広く移動しないで踊りますよね。

友:そうです。だから似ていますよね。

武:そもそもは不特定多数のお客さんに見せる踊りとしてできてなくて、小さな空間でのお客さんや、神様に見せる踊りですよね。バレエは間口の大きな劇場で踊られるから、動きも大きくなるわけです。そうした違いを大事にこれからも育ててほしいです。外国で公演をされる時は、詞章は字幕ですか、それとも紙を配布するのですか。

友:字幕も出しますし、プリントで歌詞を訳してもらったものも配布し、それで公演前に通訳を通じて説明します。でも解説は、極力やらないようにしたいですね。

武:解説に縛られてしまうからですか。

友:そうです。踊りが分からないなりに、そのまま御覧頂きたい、という思いもあります。

武:詞章の意味にとらわれ過ぎると、見えるところが見えなくなる恐れがありますね。

友:そうです。

武:インド舞踊もゼスチャーの意味がどうこうと、それを読み解くことに一生懸命になると、踊りも音楽も味わえなくなってしまう。順序としては逆で、好きになったら詳しく理解すればいいと思います。(つづく)

編集:飯塚友子(産経新聞記者)

 

※後編はこちら

プロフィール

山村友五郎(日本舞踊山村流六世宗家)
大阪生まれ。祖母の四世宗家・若、母・糸のもと、幼少より修業する。父は宝塚歌劇団演出家・植田紳爾。1992年、早逝した母に五世宗家を追贈し、六世宗家・山村若を襲名する。2014年には約120年ぶりに山村友五郎の名跡を復活、襲名。座敷舞と、初世より伝えられてきた上方歌舞伎舞踊の二つの流れを大切に日本舞踊の普及・振興に努めるほか、歌舞伎や宝塚歌劇の振付など幅広く活躍。日本芸術院賞、芸術選奨文部科学大臣賞、文化庁芸術祭賞等受賞多数。
武藤大祐(群馬県立女子大学准教授)
東京生まれ。1997年、早稲田大学第一文学部卒業。2004年、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。コンテンポラリー・ダンスやアジアの舞踊史、コミュニティにおけるダンスや身体の在り方を中心に研究するほか、ダンスの振興に関する各種財団のアドバイザーやダンスフェスティバルの選考委員などを歴任。共著書に『バレエとダンスの歴史――欧米劇場舞踊史』(2012)、『Choreography and Corporeality: Relay in Motion』(2016)など。