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国立劇場

国立劇場第161回 舞踊公演 「花形・名作舞踊鑑賞会」(8月3日) 特別対談【後編】
花柳壽應(日本舞踊花柳流五世宗家家元後見人)& 古井戸秀夫(東京大学名誉教授)

「花形・名作舞踊鑑賞会」をテーマに、日本舞踊界で重きをなす花柳壽應さんと、日本舞踊を温かくも厳しい視線で見つめてきた古井戸秀夫さんによる対談の後編(前編はこちら)。
日本舞踊がもつ可能性やあり方、日本舞踊家として「見せる」ことへの意識など、普段は知ることのできない貴重なエピソードが詰まっています。最後までどうぞお楽しみください!

女方の修業は必要

壽應(以下、壽):常々、弟子たちには「女方をやらなければ駄目だ」と言っています。日本舞踊の基本は、女方の身体の使い方です。「道成寺」を踊れないと駄目です。二世壽輔は僕に甘かったですが、二世西川鯉三郎先生(1909~83年)や、六世藤間勘十郎先生(1900~90年)は厳しかった。また武智鉄二先生(1912~88年)からも「女方をやりなさい。踊りの身体ができる」とおっしゃいました。衣裳をつけて演じないと、素踊りもできない。素踊りでの女方は、技術的にはとても難しい。でも鯉三郎先生や勘十郎先生は、なさっていた。芸がないとできません。

古井戸(以下、古):どうすれば踊りが面白くなるか、よくご存じのお二人ですよね。

壽:お二人とも歌舞伎の振付けをよくご存じでした。

古:花柳のお弟子さんは芸者が多いから、手が多く、その通りやればある程度は見せられる。でもプロになるためにはもう一つ、「何か」が必要で、先生は俳優経験で、「何か」を見つけたのではないですか。

壽:僕は若い頃、二世壽輔が「役者をやったら、色々な事を覚えられる」と勧めてくれ、「花柳寛」として俳優もしましたが、振り返るとそれがプラスになったと思います。俳優時代、長谷川一夫さん(1908~84年)にも色々な事を教わりました。その後、自分のリサイタルでも俳優さんと沢山、踊りました。六世中村歌右衛門(1917~2001年)、四世中村雀右衛門(1920~2012年)、五世中村富十郎(1929~2011年)といった方々と一対一で踊る。あまりお稽古はして下さらなかったけれども、ポイントになる所をお伝え下さいました。やはり、一番大事なのは心です。長谷川さんも、もともと歌舞伎役者で、上方歌舞伎をよくご存じでしたから、非常に細かく教えてくれました。

古:女方と踊る時と、女優さんと踊る時って、違いありますか。

壽:初代水谷八重子さん(1905~79年)や、山田五十鈴さん(1917~2012年)ともご一緒しましたが、表現の仕方が歌舞伎の女方と違ってリアルですね。

古:日本舞踊の女流の方って、小さくとも魅力的な方が多いですね。

壽:文学座の杉村春子さん(1906~97年)は、「あたしは踊りできないのよ」と言うけれども、ちゃんといい形になる。地唄舞を習っていたらしいです。

古:着物の着方がすごく綺麗ですよね。杉村さんや山田さんはある意味、「歌舞伎の女方の芸」を「女の芸」に変えたのではないでしょうか。ところが今の日本舞踊家は、むしろ女性そのものの美しさを持っているように思います。

女流舞踊家の躍進

古:今、日本舞踊の魅力の一つは女流舞踊家ですね。僕が日本舞踊を見始めた頃は、後に人間国宝になられた藤間藤子先生(1907~98年)がいらっしゃいました。江戸時代から続くお狂言師の系統で、娘役より強い男の役がお上手でした。でもそういうお師匠さんが減っている気がします。江戸時代から女流の舞踊家がいて、頂点の舞踊家は、男の役を踊ってきた。しかし今は、女流が女を踊り、男が男を踊る。


藤間藤子(国立劇場第23回舞踊公演より)

壽:そういう時代でしょうね。昔は、舞踊家は芸者さん出身が多かった。

古:(新橋芸者が出演する)「東をどり」でも、大スターがいました。

壽:芸者は、常にお客さんの前で踊っています。下手でも、綺麗にみせる何かかがある。宝塚も同じで、稽古場で見ていると「うーん・・・」と思いますが、舞台に出ると見せ方がうまくて案外いい。エンターテインメント性でしょうね(笑)。

古:日本舞踊協会で聞いたら、今は9割、女流だそうです。

壽:どんどん増えています。

古:すると、男性舞踊家が女方をするチャンスは減ってきて、女流の相手役が定番になってしまう。だからこそ、女方を勉強しておかないといけない。
 その一方で、女流の舞踊家は男が演じる女方とは違った魅力があると思う。女方が作った〝女性〟は、日常の女性とは違い、夢のような世界に誘ってくれます。女流は、日常に近い形の女性の美しさを踊ることが、大きな課題ではないかと思う。僕は女性のための「本物」を作らなければいけないと思う。

壽:今後は日本舞踊の会をするにも、もっと女性が増えるでしょう。女性が「吉野山」の忠信や「連獅子」も、できないことはないけれども、別物みたいになってしまう。

古:そのためには拵え(扮装)も含め、考えないといけない。

壽:衣裳や鬘も、女方のために作られていて、特に傾城は大変です。

群舞にも魅力

古:日本舞踊のように、これだけ群舞ができる伝統芸能はないと思います。流派を超えた群舞は、先生が中心になって作られました。特に東京文化会館で平成24年12月に上演した「日本舞踊×オーケストラ-伝統の競演-」は、黒紋付き袴姿の男性舞踊家約40人が群舞で「ボレロ」を踊って、こんなに凄いのかと驚きました。

壽:「ボレロ」を率いた狂言師、野村萬斎さんの熱です。彼が動き始めたら、どんどんほかの舞踊家たちが引っ張られていった。大したものです。彼は演出家の目を持っていて、プロデューサーでもありますね。
 でも日本舞踊の群舞は、非常に作り方が難しい。バレエのコール・ド・バレエ(群舞)のように、揃えられません。僕は日本舞踊協会の創作公演で振付をした時、非常に悩んだ。その時、演出の佐藤信さんが「日本舞踊で群舞は無理」とおっしゃった。流派によってメソッドが違うので、同じ振りでも違う。そこで「それぞれの役のキャラクターで、踊ればよい」ということにした。
 幸い、その公演は「カルメン」が題材で明確なキャラクターがあったので、僕は舞踊家一人一人に「自分でキャラクターを作って、レポートを書きなさい」って言いました。それで、各人が自分はどういう役か考え、それぞれ個性を出しながらの群舞が、ある程度成功したと思います。日本舞踊の群舞は、もともと(京都祇園で明治5年から続く)「都をどり」の総踊りですから。

古:群舞という言葉自体、日本舞踊にはありません。ただ歌舞伎舞踊では、(15世紀、歌舞伎を創始した)出雲の阿国の時代に、お祭りの盆踊りのような群舞はあった。でも舞台では明治11年、新富座開場式で初演された「元禄花見踊」からではないか。あれもキャラクターダンスで、若衆と女方と立役ですね。

日本舞踊の振興のために

古:全国にこんなに劇場ができたのに、地方で本格的な日本舞踊の会がまずありません。劇場法では、劇場は地域振興に繋がる文化活動をしないといけない。ところが各劇場のプロデューサーは、洋楽洋舞で育った人たちで、邦楽邦舞が分からない。ですから国立劇場が統括して、国立で作った企画を全国に回すといいと思います。まずは近県でやればいい。今回の公演の入りが良かったのは、古典の代表的な曲を、比較的安価にみられる点も大きかったのではないか。とにかく国立劇場でプロデュースしないと。それをきっかけにして、各地に企画できる人が育つはずです。

壽:集客の要となるスターを、周りで作らないといけない。松竹は、歌舞伎のスターを次々作ります。でも舞踊家は個人でやっていて、頭が古い人が多過ぎます。僕が10年前「欲望という名の電車」を日本舞踊でやったら、さんざん批判されましたからね(笑)。でも僕は50年前からやろうと時期を狙っていた。日本舞踊にはまだまだ可能性があって、題材も一杯、あります。僕は、日本舞踊で「カルメン」「ファウスト」「マクベス」もやった。若手には、もっと冒険をしてほしい。

古:僕も「欲望-」が日本舞踊になるのか?と思いながら拝見しましたが、なっていましたよね。

壽:エンタメという言葉を、舞踊家は嫌います。アーティスト指向なのでしょうが、今の時代、エンターテインメント性もないと駄目です。

古:面白くないと。

壽:エンターテインメント性を大衆化と勘違いしている。そうではない。お客様が喜ぶものを言うんです。

古:観客も色々いて、変な物を喜ぶ人もいるけれど、本物を喜ぶ人もちゃんといる。今の舞踊家は、技術的には昔の舞踊家よりうまいと思います。

壽:舞踊家の技術的レベルは全体に高い。でも個性的な人がいなくなってきている。国立劇場が開場した時、日本舞踊の養成所ができなかったのは、流派が壁になりました。東京芸大に日本舞踊学科を作る時も同じです。僕は芸大の教壇に立つ立場で、「卒業生を集め、文部省(当時)管轄の国立舞踊団を作りたい」と提案しました。長唄の東音会みたいに、本名を名乗って踊らせたいと思ったんですが、それぞれ各流派の名取ですから、師匠から「待った」がかかって、結局できませんでした。でもプロの舞踊団があった方がいいと、今も思います。

古:新国立劇場バレエ団は、養成所も含め成功していますよね。外国人ダンサーに引けを取りません。舞踊家には、振付とトレーナー、ダンサーと3つ仕事があって、では日本でプロのダンサーが何人いるのか。お師匠さん方に聞くと、「今は内弟子が取れなくなった」と聞きます。トレーナーである先生になりたくても、お弟子さんになる子供がおらず、働く場がない。本来は、ダンサーとして舞台の数を踏んで、生活できればいいと思いますが、年一回くらいしか、発表の場がない。

壽:かわいそうだと思います。

古:踊る機会を増やして、興行できるような形を考えないと。

壽:国立劇場に、ぜひやって頂きたい(笑)。

古:そのためにはお客さんが入らないと、今回の公演は入っていましたね。外国人もいました。国立劇場ができた時、伝統芸能を保存しなければならない大きな使命があった。歌舞伎も、駄目になるかもしれない、と言われていたのが、不死鳥のごとく蘇ったのは、国立劇場の公演をきっかけに市川猿之助(現猿翁)と坂東玉三郎が大スターとなり、国立の養成所が下支えしたからです。
 邦楽も、声明や雅楽は国立劇場が育てたようなものです。ですから今こそ、国立劇場が日本舞踊に手を差し伸べてほしい。東京都が「キッズ伝統芸能体験」という子供向けの体験事業を続けていて、舞踊家も子供も生き生きと稽古を続けている。あの実績を踏まえ、鑑賞教室をやったらいい。それが明日の日本舞踊を支えると思います。

編集:飯塚友子(産経新聞記者)

  

プロフィール

花柳壽應(日本舞踊花柳流五世宗家家元後見人)
伯父の二世花柳壽輔(初代壽應)に師事。1967年、五代目花柳芳次郎を襲名。長年にわたり花柳流宗家家元後見人として流儀を支える一方、異なるジャンルにおける振付・共演等幅広く活躍。2007年、四世家元壽輔を襲名。2016年には孫の六代目芳次郎に宗家家元を継承させ、自身は二世壽應を襲名した。2011年、日本芸術員会員となる。振付師としても流派を超えた著しい活躍をみせ、膨大な作品を残している。また、「舞踊塾」を主宰し、広く若手舞踊家の育成に注力した。旭日小綬章、日本芸術院賞等受賞多数。
古井戸秀夫(東京大学名誉教授)
東京生まれ。1974年、早稲田大学卒業。同大大学院で郡司正勝に師事。早稲田大学文学部教授、東京大学文学部教授を歴任。専攻は演劇学・舞踊学、歌舞伎・日本舞踊の研究。歌舞伎の文献研究と併せて歌舞伎の復活・復元研究にも取り組み、国立劇場歌舞伎公演、舞踊公演で台本の補綴にも携わる。『評伝 鶴屋南北』(白水社、2018年)にて第69回芸術選奨文部科学大臣賞、第70回読売文学賞、第51回度日本演劇学会河竹賞、第41回角川源義賞を受賞。公益社団法人日本舞踊協会副会長。